ラベル 出生 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 出生 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2022年11月14日月曜日

漢字「卯」:2024年の干支は「卯」うさぎ年ならば、身の安全はウサギの保身術を見習ったら

2023年の干支は「卯」我が唐漢氏は『古代人は、天体の規則性を人間の出生から始まる身近な事柄に当て嵌めていた。それが十二支の原義である』と説いた

  来年の干支は「卯」。これは象形表意文字だ。「子丑・・」から初めて4番目に位置する。

唐漢氏の解釈 
 唐漢氏は『古代人は、天体の規則性を人間の出生から始まる身近な事柄に当て嵌めていた。それが十二支の原義である』と説いた。
 この説は、通俗的であり、感覚的に受け入れ易いものである。しかし、天体の規則性を認識することと、身近に起こる出来事を結び付けるには別問題で、体系的な認識が必要で、直感的にできるものではない。
 甲骨文字の字形は嬰児と胎盤が母体から出ているが、両体が共存する状態からの母親と嬰児の間の分離を見ることができる。卯の字は育産を体現しており、この苦痛であるが偉大な過程が完成した状態を示しており、一個の新しい生命の誕生を表示している。金文の卯は甲骨文字と同様であり、小篆は字形に美観と丸みを持たせ上部に横に広がりが出ている。楷書は簡単さがなくなり、繁雑になって、模倣して(猫をまねて虎を描くということわざがある)卯になった。 

 人間の胎盤はおおよそ400-500gで嬰児の6分の一程度である。卯の本義はもともと母と嬰児、胎児と胎盤の分離である。だから「分」と「産」の意味である。これが即ち卯の字が物象の源であると説く唐漢氏の考えである。

 卯は卵の形の上の基礎になっており、卯を知らずしてどうしても卵と識別する方法もない。分体の意味は子供を産むことの完成であり、だから原義は拡大され「止」の意味を持ち、ないし「留」形の源にもなっている。胎児と胎盤の割断から、拡大解釈され「殺」の意味を持ち、「劉」の繁体字の由来でもある。


字統の解釈 字統P794
 牲牛の肉を両分する形。
 卜辞に犠牲を卯す(ころす)意に用いており、それが字の初義である。
 説文に「冒なり」と同声の字をもって訓し、卜文と金文の字形は牲牛の肉を両分する形と見られる。我が国の俗説はふ古く卯の日の信仰から来たものと考えらえる。



 

卯・兔にまつわる成語
 うさぎは体も小さく運動能力も優れているわけではない。そのために外敵も多く、狐、狼、鷲などに狙われやすい。したがってうさぎの危機管理に関わる言葉ことわざなど教訓として今日まで受け継がれている。
狡兔三窟
狡兔三窟・・・かしこい兔は多くの隠れ穴を持つ。あらかじめ逃げ道を用意しておき、巧に身の安全を図る。
 


兔子不吃窝边草
兔子不吃窝边草・・・うさぎは自分の巣の傍にある草を食べない



2011年に「卯」の説明はこちらをクリックしてください。


「漢字考古学の道ホームページ」に戻ります。

2022年1月23日日曜日

古代の「育」の成立ちと由来:子供の出生

漢字・育の成りたち:母親が子供を産み落とす様子そのまま。漢字・育を逆さまにして見れば良くわかる。
 現代は「育」という字は、育てるという意味がまず頭にくるが、古代の字からの実推察するとまずは生むことが先決であったようだ。確かに古代は人間の寿命というのは恐ろしく短った。したがって、まずは生むことは何よりも優先されたのであろう。、


 漢字の面白さを再認識させられるような「目から鱗」の漢字にぶつかった。


 古代の「育」と「毓」の由来と起源:
分娩の様子がそのまま字になった。古代人の発想はなんともすごい!
 難しく考えないで、字を単純にひっくり返してみると歴然としている。これぞ「180度の発想の転換」だ




描写のリアルな点はなんともすごい
現在では氏名、地名にしか使われない 

 さて、その漢字は今ではほとんど使われないが、古代中国では「育」の異体字として使われていた「毓」という字である。これは中国よみではYu(4)と読むが日本語の音読みでは「イク」である。この甲骨文字たるや自分にとってはある種の衝撃を受けたといってもいいような文字である。
 というのは感覚的に言えば、あまりに露骨、そのまんま。本当に古代人はこのような受け止め方をしていたのだろうか?





漢字・育の字の変遷:
甲骨文字_育育の上辺の甲骨文字「子」育の上辺の文字「子」の反転漢字「育」変遷後
現代ではこの文字が原義を代表している




漢字・「毓」の字:
 「毓」は「育」の字の異体字となっている。甲骨文字、金文の「毓」(訓:いく、音:ユウ)の字は皆一人の婦人が今まさに出産している状況を描写している。  女の人の下には下を向いた子供の形があり、今まさに嬰児が母体から分娩して来ている様子である。逆さの子供の下の方の小さな点は、分娩時の羊水の流出を表している。
小篆は金文を受け継ぎ字形構造はほぼ同じであるが、図形の持ち味は消失して、「毎」と「寛」の会意字になっている。ここで何で「寛」なのかは理解できない。は母の髪飾りを指していたことから拡張され年配の女性、盛んなることを表す。

 「毓」の本義は生育である。また出産をも表している。又毓と育は両形とも異型同義語である。此方の字「育」は、子供視点に立っているとも云えないだろうか。

「漢字の起源と由来ホームページ」に戻ります。

2012年11月25日日曜日

来年はの干支は「へび」:漢字「巳」の出生の秘密

 「子丑虎卯辰馬未申酉戌亥」は地支、干支・十二支は殷商時代すでに天干と相交えて日にちを表していた。安陽の殷墟の小さな村で発見された、甲骨文字が刻まれた「甲子年表」はほぼ中国で最も早くカレンダーが順序どおり並べられていたことが知られている。」ということは既に述べた2011年2月の「十二支の始まり」という稿で述べた。
 しかし、「上古の先民は何のためにこの漢字を作ったのだろう。漢字はまたどんな事実の拠り所に、こういう漢字を作るようになってきたのか?」という疑問はまだ残る。要は漢字「」の出生の秘密は何?
 ここで唐漢氏は以下のような仮説を提唱している。
 個体発生学と人類発生学の相似の一面が科学的に証明されている。殷商民族は商代の甲骨文字に刻まれている、干支年表の十二支が嬰児の生育時期に酷似している。人類が何かを生み出す時期、全てのものは何らかの目に見える現象を以てその拠り所とした。文字のその例外ではない。十二支を考え出した拠り所は、古代人はまさしく人間が胎児のときから、生まれ出ずる過程の中にそれを見たと考えられる。天干の中の10文字と十二支の中の12個の漢字は必ず彼らの現実の生活の反映であるはずだ。

唐漢氏自身はこれを仮説としては認めてはいないが、しかしこれが仮設ではなくなるためには、まだまだ多くの裏付けが必要であろう。 「漢字の起源と成り立ち 『甲骨文字の秘密』」のホームページに戻ります。