2019年3月12日火曜日

漢字「医」は矢傷を治す外科医療の意味であった。内科医療の概念は後世になってから


漢字「医」は矢傷を治す外科医療の意味であった
 「医」の漢字の成り立ちは外科から始まり内科へと発達した。これは漢字から明確に跡付けられる。後世になって、薬効を用いたと考えられ、「酒」の字が加えられ、内科治療が「医」の分野に加わったのだろう。

 この発展の仕方は、実際の医術の発達に追随したものと考えられる。つまり最初は、矢などの外科的な治療を治すことがまず第一優先だったろう。

引用:「汉字密码」(P450、唐汉著,学林出版社)
「医」の字の成り立ち」
 「医」は「醫」"の簡体字で、金文の" 医"で、外構えは"匚"で、篭を表している。内側の左側は矢の形であり、右側は"攴"です。 2つの形を合わせて、鍼治療で病気を治療することを意味している。金文の他の字は左の外側は「人」の形で、内側の「矢」、「攴」は分割して、右に移動し、針を刺して治療する意味を明確に示している。
 小篆の「医」という言葉は、その下部に「酉」を追加していますこれは酒を意味し、付け加えられた酉は酒の効能が病気の治療に使用できるためです。


古くから医療に酒が使われた
 小篆では下部に「酉」が追加されています。これは酒を意味しており、「酉」を付け加えて、酒の効能が病気の治療に使用したことを示している。《史记•扁鹊仓公列传》では、病が「胃腸にあるときは、酒と濁り酒の及ぶところなり。」この意味するところは、病が内臓にあるときは、酒が薬物としての効能を発揮すると言うことです。

 このため、楷書では「醫」と書き、画数が多いので、簡略化すると偏と旁を取り「医」と書かれています。


現代の中国語での「医」の使い方
 現代中国語では、「医」は名詞や動詞にも用い、あるときには医者のことを言ったりします。



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2019年2月22日金曜日

漢字「疾」:太平洋戦争中の陸軍の戦闘機「疾風」余聞


漢字「疾」にまつわる話
 「疾」といえば、老齢の方は「疾風(はやて)」という飛行機を思い出すだろう。一つの言葉でも、年代により全く思い起こす言葉が異なる。疾とは太古の昔は、外傷のことを言った。そして、戦前では戦闘機の名前(注1)でもある。
注1
 「疾風」とは、第二次世界大戦時の大日本帝国陸軍の戦闘機の愛称。呼称・略称は四式戦、大東亜決戦機、決戦機など。連合軍のコードネームはFrank。

 かの有名なゼロ戦は、日本海軍の艦上戦闘機のことである。
「疾」の字の成り立ち」
 この疾という字は甲骨文字の時代(今から約4000年前)にすでに生まれているが、人を表す「大」と思える記号の腋の下に矢印が記されている。この示す意味は人が矢で負傷した様を表現した字である。つまり「疾」とは外傷を負ったことを表す記号であった。



「疾風」の生まれについて
 この戦闘機「疾風」を設計したのは、小山悌という人で、中島飛行機という会社で製造され、約3,500機が製造されている。

「疾風」を生み出した「中島飛行機」という会社
 さてこの「疾風」という戦闘機は、日本最初の民間の飛行機製造会社の「中島飛行機」という会社で生産されています。中島知久平という人が飛行機研究所を創設し、1918年中島飛行機製作所と改称し、後に株式会社とした。その後戦争拡大国策に乗って急成長し、三菱重工業と共に日本の軍用機製造の中軸を担った。代表的な機種は一式戦闘機の『隼』などがある。
 戦後富士産業と改称した。1946年占領軍の財閥解体方針により解体されたが、富士重工業(スバル),富士精密工業(プリンス自動車工業に改称、1966年には日産自動車と合併)などに引き継がれた。


参考記事:「病」と「疾」はどう違う?」

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