鯉
昔から「鯉の滝上り」の諺にもあるように、鯉は縁起のいい魚として尊重されてきた。家の掛け軸にも錦鯉が跳ね上がっている絵柄を見たことも多い。しかし、その鯉の珍重習俗が、唐の時代に端を発しているとは驚きである。「へー」の2連発ぐらいは出そうな感じだ。
魚偏に里と書いて「鯉」 |
「鯉Li」は魚と里の声音から構成されている。 「里」はもともと明確な線と明確な線引された田を指します。つまり、魚の鱗がきれいに配置されていることを意味します
春秋の末期、越国の大臣の范蠡は、呉国の一掃功成って以後、潔く身を退き、美人の西施を伴って太湖に隠居し、財を成した。著書「范蠡養魚術」これは人類最初の養魚の専門書となった。 書の中で曰く「鯉は共食いをせず、成長しやすく、高価。」鯉の繁殖産業は、戦国時代から秦漢時代にかけて大きく発展してきた。
鯉異聞 その2
唐代になると、皇帝の姓は「李」で、読みは「Li」、「鯉」の同音異義語であったため、裁判所は人々が鯉を捕まえることを禁止する命令を発し、うっかり捕まえた者は直ちに放なければならず、販売したものは罰金と60回の板叩き、捕食者は死罪になった。
これは日本の徳川時代の「生類憐みの令」と全く同じです。歴史は繰り返す!
唐時代に何世紀にもわたって、鯉は段々に神格化され、皇族や王侯たちは鯉を幟にし、兵士を調達したり将官の兵符は鯉の形に変わりました。民俗では、鯉には美しさ、縁起の良さ、勇気という意味が追加され、中国人にとって最も重要な休日の春節には鯉の絵柄が、新年の絵と提灯に描かれ、吉祥をあらわすシンボルとして、鯉踊る龍の門而して龍の門になった。
鯉異聞 鯉のぼりのルーツ
鯉を尊重し、鯉を育てる文化は日本に広まり、広く浸透していきました。毎年、こどもの日(実際は男の子の日)には、家の前にさまざまな鯉のぼりが舞います。市場では、観賞用の錦鯉の価格が数億円の高値に達しているといいます。これらはすべて、唐王朝の遺産が日本に広まったことの証拠です。
ネットのニュースによれば、ニシキゴイオークションで紅白のメスの個体が2億300万円という破格の金額で落札されたという。落札者は台湾の方のようだ。
結び
日本の鯉のぼりの風習が、中国の唐の時代に端を発していたこと。しかもその始まりが、皇帝の姓である李と鯉の読みが同じであるという何ともしょうもない偶然に端を発していることを知り、歴史の出来事も意外としょうもないことで決定付けられることもあるのだとよく分かった。
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