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2018年11月17日土曜日

漢字「彘」(いのこ)の起源と成り立ち:猪、豕、彘、干支では「亥」すべて「いのしし」


漢字「彘(いのこ)」の起源と由来
この漢字は、当用漢字にない。中国語の中でも、この漢字が使われるのは、成語だけだという。この漢字の訓読みは「いのこ」という。この日本人で、この漢字が読める人はどのくらいいるだろう。意味は猪の意味である。中国語のピンインでは、zhiと読む。

引用:「汉字密码」(P41、唐汉著,学林出版社)
「彘」の字の成り立ち」
 「猪」にはまだ一つの別名がある。それは彘という名である。図に示すところによると、甲骨文と金文の中間部分に記号即ち代表的な矢であるが、、一匹の野猪が矢に撃たれた状況が表示されている。小篆の中では記号は既に形を変え矢の字になっている。株は則分離して二つの「比」になっている。尻と股の二つの半を表している。図形全体は野猪の尻と股の真ん中を一本の矢に射抜かれた様子を示している。

 この説明は、「字統」でも同じである。


野猪が馴化するにつれ、文字の上で起こった変化
 野猪の力は大きく荒々しい。弓矢を用いないで捕獲するのは難しい。彘の本義は元々野猪を指している。後に転じて家で変われた雄の猪を指すようになった。さらに拡張され一般の猪を示すことも出来るようになった。

現代、「彘」はどのように使われているか
 現代漢語の中では「彘」は只成語の中でしか用いられない。「行同狗彘」(犬畜生のように振舞うの意味)、「狗彘不如」(犬畜生にしかず)の意味。通常犬や猪のような恥知らずの行為、「犬や猪」の比喩に用いられる。

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2018年11月10日土曜日

漢字「猪」起源と成り立ち:中国では「猪」は豚。ではイノシシは「野猪」


漢字「猪」の起源と由来は猪豚ではない
 今まで、いのししというとともすれば干支の「亥」について触れることが多かったが、ここでは原点に戻り、干支のいのしし「亥」から少し離れて、「猪」という漢字そのものと動物の関係ついて考察してみよう。イノシシは長い間に飼い馴らされて、猪豚になり、豚になった。この間数千年の時が流れる。


引用:「汉字密码」(P886、唐汉著,学林出版社)



「猪」の字の成り立ち」
「猪」はるか昔の時期人々は、豕と称していた。つまり「猪」という漢字が出来る前には、所謂「猪」を「豕」と書いていた。 現代でも猪の「繁体字」は「豬」という字が用いられるが、「説文解字」にも「豬」が収められている。しかし猪という漢字は、秦代以前にも既にあったということである。


 甲骨文字の豕は、象形文字であり、口が長く、足が短い。腹は丸々肥えて、尻尾は下に垂れ下がる。横から眺めてみると、将に一頭の太った猪のそっくりそのままのデッサンを書いている。  





「豕」は「猪」にどのように代わって行ったか
はるか以前の先民から見ると「豕」は六畜(牛、羊、豕、馬、犬、鶏)の一つである。人類の最も早い馴化養育した家畜であり、猪はきわめて不安定な狩猟を補充する生活の道を講ずる方式を補充するものであったと見ていい。飼育されるようになった豕は、自然に食糧の備蓄として当てられるようになった。
 即ち、「豕」は非常に長い年月を経て、人間に馴化し、人間の食糧補給として、人間と共に生きてきた。そして馴化した猪は、まるで人間について回る付帯動物のように認識されてきたのではないか。「豬」の旁の「者」は元々漆器の器物上の大きな漆塗りで著わしたものを指すことから、人間に付帯するものとして、「豕」に「者」を付け加えるようになったのではないかというのが、唐漢氏の説のようである。


「豕」にかかわる古事来歴
遼東の豕(いのこ)
 時は後漢の光武帝の治世のころ、今の北京・天津の辺りの彭寵という太守の不穏な動きを大将軍朱浮が戒めた中で、使われた言葉で、「他から見れば異とするに足らない功を誇る」「他から見れば当たり前のことを自ら奇異だと誇る」という意味た。これは朱浮が、「遼東の辺りで白頭の豚の子が生まれたので、これは変わった豚だと王に献上しようとした者が江東まで行くとその地の豚は皆白かったので、恥じて帰った」という逸話から引いて戒めたという話がある。
 このような話は、いつの世でも塵芥のごとく散らばっており、どこかの首相や大統領にもこの手の話は尽きないようである。


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2010年5月24日月曜日

漢字「家」:起源と由来 「家」の中になぜ豚がいるのか 太古の昔の生活習俗に基づいていた

 なぜ、「家の中に豚がいるのか」その理由は太古の昔の生活習俗に基づいていた

 漢字「家」:起源と由来 「家」の中になぜ豚がいるのか 太古の昔の生活習俗に基づいていた

 遥か3500年前の遺跡の考古学の発見から見ると先住民は豚を家畜として飼っていた証拠がある。甲骨文字の形から見て、家の中にある豚は一頭の雄豚である。しかしなぜ雄豚なのか?

 この謎は太古の昔の雲南省の部族の風習から解き明かすことが出来るとし ている。

 納西族の婚姻の習俗は母系性社会の族外婚の一つの段階にあった。女の子は成長した後も、家族の中の母と父と暮らし、それから後も彼女は一棟の部屋を持ち単独で居住することが許される。、氏族男子が夜訪れ、泊まることになる。

   面白いのは、全く同じ習俗を、その当時の先住民の豚を飼う檻を訪れる野性の雄豚に発見することだ。夜な夜な彼らの豚の檻に野豚が訪れ、しかも同時に彼らの母豚をはらませ、巣に子豚を恵んでいる。この頼みもしない野豚はまるで太古の昔の男子と同様で、夜が明けるとすごすごと去ってしまう。両者は恐ろしくよく似ている。

 これが当時の男、野豚の雄の重要な役割であったということだ。男は部族の女にとっては共有財産?だったといえる。

 この種の婚姻習俗はかつて優れたシステムであり続けた。殷商の末期には、商民族の中下層社会に敷衍した。しかし秦になって以降、この種の「放蕩?」な現象に制止がかかり、以降この風習は廃れたという。何らかの理由でこのシステムの存在価値がなくなったのだろう。

 これが家の字の中に雄豚のある原因である。

 こんなややこしいことをいうまでもなく、上古の時代は生産力が低いので、繁殖力の高い豚は珍重され、家の中で豚は飼われていたからだという説もある。


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2010年5月22日土曜日

漢字「家」はなぜ「ウ冠に豚」で漢字 牢 はなぜ「ウ冠に牛」なの

牛にウ冠が付くと牢になり、豚にウ冠が付くとなぜ家になる。実は牢のウ冠は柵であった。
甲骨文字「家」
 「牛」にウ冠がつくと「牢」になる。ところが、豚を意味する漢字「豕」に、ウ冠がつくと「家」になる。今日は牛がつく字についてもう少し深めてみよう。 「豕」は、豚という意味だが、今はこの字は使われず、もっぱら「猪」が使われている。





甲骨文字「牢 」
牛と豚では何でこうも扱いが異なるの?
豚と牛では扱いがえらく異なる。不平等ではないか。豚は家に住み、牛はなぜ牢なのか。もう少し探ってみる。 

 結論から先に言うと、牢のウ冠はウ冠のように見えて、実は昔は家ではなく柵であった。



 牛は古代は一種の野生動物であった。すなわち野牛であった。
 家畜動物とするためには、牛の凶暴な野生を改造して、まじめにこつこつ働く牛、あるいは「牛っこ」の類の優良な性質にするためにこの有史以前の先住民たちは散々苦労をして、長い年月を掛けて事を成し遂げてきた。



唐漢氏の解釈
 甲骨文字、金文文字の両方にある「牢」という字は牛が閉じ込められた状態を表している。
 殷や商の遺跡を発掘中、多数の大小さまざまな円形や長方形の地面に掘られた穴を発見した。これらは浅いもので2メートルから4メートルあり、深いものでは9メートルに達した。この穴の前面には上に上がるための道がつけられ、この坂道の底には木製の柵の門が取り付けられていた。もし野牛を捕らえたらここに押し込めたのであろう。そしてこの方法は数十年、あるいは数百年も掛けて何代も何代も飼いならす中で、更に飢えをしのぐ制度として奨励されてきただろう。


金文「家」

 こうするうちに野生の牛のかたくなな性格も次第に消失し、何事にも耐え忍ぶ性格が構築されてきた。これは牢の功績である。

 「牢」の本来の意味は、牛を殺したり、養ったりするための地面に掘られた穴である。このことから家畜を養うための丸い柵のことを牢と呼ぶようになった。「亡羊補牢」(成語:羊に逃げられてから柵の修理をするの意味)の中の「牢」にもつかられている。さらにそれから犯人を捕まえて押し込めておく監獄牢や牢獄という言葉にも用いられるようになった。このほか「堅牢」のように堅固な状態を表す形容詞にも用いられるようになった。

結び
 このように家と牢では全く異なるのである。甲骨文字ではっきり分かるだろうが、家のウ冠は明らかに屋根であり、牢のウ冠の部分は紛れもなく「囲いと門」である。

 更に近年の研究で、この殷墟が栄えたあたりの黄河流域は今より温度が2、3度高く高温湿潤の地域であったといわれている。そのためこの辺りは、牛、水牛、虎、豹、象などが多数生息していた野獣の宝庫みたいなところだったかもしれない。そのことは漢字にも見事に表現されている。

 漢字の世界は深い。