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2021年1月9日土曜日

漢字「民」:「民」に見る壮絶な社会発展史、奴隷を指す言葉から「人間」の特性の一つを表す言葉になった



漢字「民」:「民」に見る壮絶な社会発展史、漢字・民は、奴隷を表す漢字から、光り輝くすばらしい概念を表す言葉に生まれ変わった。

漢字 「民」の本義は奴隷である。漢字「民」には奴隷から「民主」たる地位を獲得するまでの見る壮絶な社会発展史が刻まれている。

 現代は「民」が主たる存在である「民主主義」の時代といわれている。近代になって、ルソーの啓蒙思想に代表される自由・平等を求める思想に導かれた人々の苦難に満ちた闘いによって、ようやく近年民主主義が根付いたと考えられる様になってきた。そして今や漢字「民」は人民、民主などという言葉に使われ、光り輝くすばらしい概念を表す言葉に生まれ変わった。

 ところがその最先端を走っていたはずのアメリカにおいて、トランプの出現により、その民主主義がいとも簡単に破戒されるのを見て、民主主義とはかくも脆いものであったかと今更ながら戦慄を覚えた。

 そこで、以前にこのブログでも触れた漢字「民」をもう一度レビューし、漢字「民」の歴史を振り返り、民主主義を見つめ直したい。



引用:「汉字密码」(P644、唐汉著,学林出版社)
唐漢氏の解釈
 漢字「民」は象形文字である。甲骨文字と金文の上部はどれも眼晴だ。その下は錐を示している。錐を用いて眼精を刺すことを示している。

「民」の本義は奴隷である。殷商時代、いっそう便利な統治を実施する為に、殆どの捕虜は奴隷とした。すべて左目を針で刺して潰した。これで誰が外族の奴隷であるか識別するのに便利にできた。この見えるようにしたことで、われわれの祖先は便利な実用かつ残虐行為を発明した。

 これの社会的背景としては、社会が発展するとともに、さらに大きな生産力を必要とした。その労働力の担い手として、捕虜が奴隷として供されるのは当然の成り行きであったし、必然でもあった。かくして手っ取り早く奴隷を識別する方法として、この刺瞎が編み出された。

「民」は「奴隷」一般から、君主と管理の外の統治された所有人に拡張された。古く四民あり。即ち「士民、商民、農民、工民」との言葉があるが、この種の「民」が貴族の外所有する人であったことを示している。古代社会においては人と民は明確に区別していた。人は統治者のことをいい、「民」は被統治者のことを言う。しかし後世になって、既に戦国時代にあっては、人と民を区別することはなくなった。


字統の解釈
 漢字「民」は民は眼睛を失って盲目 となった奴隷であり、この字形は古代奴隷制の一証となしうるという。古代には異族の俘虜などが奴隷化されることが多いが、それは神の徒隷臣僕として、 神にささげられるもので、そのとき傷害を加えることがあった。その語義が拡大されて、新附の民一般をも、民といった。
 秦の始皇帝のとき、高漸離も楽人として目を失っている。〔詩、大雅、仮楽〕 に「民に宜しく人に宜し」と民・人を並称しており、卜辞•金文に人というものも、移民族のものを呼ぶことが多く、民•人は元みな本族以外のものをいう語であった。


結び
 太古の昔、「民」の本義は奴隷であった。最初は労働力の担い手として、社会の底辺で被支配的な地位に甘んじていた奴隷が、社会の生産力の発展とともに労働力の担い手としてしっかりとその地位を確立するようになってきた。長い闘いではあったが、やがて、支配者は「人」と呼び、被支配者は奴隷であろうとなかろうと、全て「民」と称するようになった。つまり奴隷という地位から商民、農民、工民となり、民という地位を確立するようになった。そして、身分制度が希薄になるにつれ、漢字「民」そのものも一般大衆を指すようになった。現在ではむしろ人民、民主などという言葉に専ら使われ、漢字・民は、奴隷を表す漢字から、人間そのものを指す言葉に生まれ変わった。



参考:漢字「民」の起源と由来:「民主」はどこから来てどこへ行くのか


「漢字の起源と成り立ち 『甲骨文字の秘密』」のホームページに戻ります。

2011年12月12日月曜日

漢字「民」の起源と由来:「民主」はどこから来てどこへ行くのか

民主党政権の熱気が過ぎ去って

 民主党は苦しんでいる。
  民主党が政権をとってから国民の間では期待だけは先行しながら、国民のいいとこどりだけを望んだ期待は裏切られた。国民は自らの生活は一切変えようとしないで、甘い果実だけを望んだ。 先の選挙の当時は、「自民党のむちゃくちゃな政治の後だから、民主党も大変だわな。」というのが国民の偽らざる感想であったと思うが、自民党の長きにわたる悪性の弊害は簡単に取り除けない。

 60年間続いた自民党の「独裁」の弊害に対する嫌悪感は国民の間に行き渡ってはいるが、それでもまだこのままでいいと思う国民が支配的である以上、そう簡単に世のなかが変わるはずはない。一方では橋下氏のようなファッショ的な風潮が大衆の間にももてはやされるようになって来た動きもある。

「民主」という心地良い響きは何なのか
  世の中にはそれでも「民主」という響きのいい言葉が溢れているが、我々はともすれはこの響きにだまされてしまっている部分がある。その中身と歴史を今一度振り返って見る必要がある。
 ここで「民」という字は一体どこから来たのか冷静に考えてみるのも悪くないだろう。早速「民」の字の由来について考えてみよう。

 ここでは、中国の唐漢氏に登場願うこととする。氏は彼の著作「漢字の暗号」(汉字密码)の中で、以下のように述べている。

民は奴隷を識別するために目を潰した
 民という字は左の図の通り、本来象形文字である。図の中で甲文とあるのは甲骨文字、金文とあるのは青銅器などに鋳込まれている古代文字である。この甲文、金文のいずれも上部の文様は「左目」を示している。そしてこの両者とも「目」を錐状のもので突き刺している状態を示している。それが小篆を経て現在の楷書の形「民」になったものである。

 
「民」の持つ本来の意味は奴隷である

  民の本来の意味は奴隷である。殷商の時代に統治に便利な方法として、考え出されたのが、「奴隷の左目を潰す」という残酷な方法である。戦いで他民族を征服したとき被征服者と征服者を容易に見分けられるよう、被征服者=奴隷の左目を錐で潰したのであるが、それをそのまま字にしたものがこの「民」という字である。


  当時これらの奴隷は「民」と呼ばれ、それ以外の者は「人」と呼ばれていた。後世になってこの区別はなくなり「人」と「民」が言葉の上でも統合され「人民」と呼ばれるようになったが、この「民」には「愚、頑」などの余りよくない修飾語はつけられて、「賢、偉」などのほめ言葉が修飾語につかないのはこの由来によるものである。

「民」が「人」になる長いながい道のり
 この名もなき「民」が「主」となる「民主主義」という概念は本当にすごいものである。人間は奴隷から、人民になり、民主主義の社会が実現されるまで何千年もの長い血みどろの闘いが必要であった。言葉はその概念は時代とともに変化する。しかし大事なのはその変遷の歴史と現在の位置づけである。

  現代においても民主主義が真に実現されている国はまだないといっても差し支えないのではなかろうか。日本は民主主義の国とよく言われるが、貧富の差がこれほど拡大した国、官僚が平然と税金を食いつぶし大きな顔をしていられる国、「自己責任」という言葉で国民の貧困化が黙認される国、小選挙区制で民意を死票として葬り去ってしまう国、結局声の大きさと態度の大きさがものをいう国、モンスターペアレントなどのごね得がまかり通る国は果たして本当の民主主義の国といえるのだろうか。それは日本がお手本としたアメリカでも同じである。いや日本以上にひどいかもしれない。

 中国でも孫文が唱えた三民主義がある。民権、民生、民族の三つの民をとって、三民主義とした。しかしまだかなりの制約がある。言葉の響きよりも中身が問われる時代である。

民主主義社会とはどんな社会
  かつてマルクスは言った。「民主主義が実現された社会は民主主義が眠り込んでしまった社会である」と。 この意味はどういうことだろうか。よく考えてみたい。

「漢字の起源と由来ホームページ」に戻ります。