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2012年12月24日月曜日

いかに「它」から「蛇」が生まれ出ずるか


前号で述べた通り、蛇を表す字は、「」という字であった。しかし、今では蛇を表す字は「」である。なぜ、「」が「」に変化したのか? またそれはいつのころか、唐漢氏はそれは甲骨文字が作られて以降、言葉の発展の過程で小篆のころに「」という漢字が確立されたと考えているようである。ではその変化はどのような過程を辿ったのであろうか。

引用 「汉字密码」(P102, 唐汉,学林出版社)

古代人が非常に恐れたのは蛇にかまれることであった。

 はるかなる昔、雨量が満ち溢れ、河の流れも湖沼も今日と比べるとはるかに満ち満ちていた。水草、灌木は生い茂り、鳥類の天国であったし又蛇類にとっても天国であった。このような環境に住み生活する上古の先民が農耕する上で、最も恐れたのは毒蛇にかまれることであった。一巻の終わりになるのはいずこも同じで、現代においてさえ、第3世界つまり発展途上国では三万人がにかまれて命を落としている。

「蛇はいないか」というのは、日常挨拶であった

  所謂古人は顔を合わせると往々に「蛇はいないか?」と尋ねた。この言葉で以てお互いの関係を表す挨拶としてきた。このことは後日中国人があいさつに「飯食ったか?」というが如しである。

いかに「它」から「蛇」が生まれ出ずるか

  上古の時期から、「」という字は、「其它」(その他のという意味)の「它」にもいつも借用されてきた。文字言語の中で使用頻度は非常に高く、区別のため人々は別に「蛇」という字を作った。あとから現れた「」の字は明らかに「它」に「虫」を付け加えたものである。

 こうして「」で蛇を表すことが実質的に難しくなったため、「」はいわゆる「それ」という意味を専ら表すようになり、本来の「へび」を表す字として「蛇」という字が作られたと考えている。

古代文化と蛇の密接な関係

 蛇と上古先民の命運の関係はひとりでに又古代文化と密接な関係を持っている。神話伝説中五色石で以て自然に打ち勝った「女か(じょか)」は、首は人間で体はであったと言われている。「帝王世紀」では、应牺氏は体は蛇で人の首をしていたと書かれている。

 はるか昔の先民の素朴な概念中まるでと親戚や血縁関係にあるとの咬傷から免れるかのようである。氏族のトーテムを作ったのは、まるでその他の氏族に対し一種の抑止作用を願ったかのようである。
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2012年11月25日日曜日

来年はの干支は「へび」:漢字「巳」の出生の秘密

 「子丑虎卯辰馬未申酉戌亥」は地支、干支・十二支は殷商時代すでに天干と相交えて日にちを表していた。安陽の殷墟の小さな村で発見された、甲骨文字が刻まれた「甲子年表」はほぼ中国で最も早くカレンダーが順序どおり並べられていたことが知られている。」ということは既に述べた2011年2月の「十二支の始まり」という稿で述べた。
 しかし、「上古の先民は何のためにこの漢字を作ったのだろう。漢字はまたどんな事実の拠り所に、こういう漢字を作るようになってきたのか?」という疑問はまだ残る。要は漢字「」の出生の秘密は何?
 ここで唐漢氏は以下のような仮説を提唱している。
 個体発生学と人類発生学の相似の一面が科学的に証明されている。殷商民族は商代の甲骨文字に刻まれている、干支年表の十二支が嬰児の生育時期に酷似している。人類が何かを生み出す時期、全てのものは何らかの目に見える現象を以てその拠り所とした。文字のその例外ではない。十二支を考え出した拠り所は、古代人はまさしく人間が胎児のときから、生まれ出ずる過程の中にそれを見たと考えられる。天干の中の10文字と十二支の中の12個の漢字は必ず彼らの現実の生活の反映であるはずだ。

唐漢氏自身はこれを仮説としては認めてはいないが、しかしこれが仮設ではなくなるためには、まだまだ多くの裏付けが必要であろう。 「漢字の起源と成り立ち 『甲骨文字の秘密』」のホームページに戻ります。