「黍」と「稷}
おなじキビでも漢字に書くと「黍」と「稷」。 「漢字源」によると、- 「黍」:穀物の名。実は赤、白、黄、黒など数種類ある。北中国では主食にし、飯、粥を作り、酒を醸すのに用いられた。香りと粘りがある。
- 「稷」:イネ科の一年草。弥生時代に中国から伝来した。茎の高さは1m内外。葉は長く広線形。糯と粳の2種類ある。穀物の長と言われる。
黄酒と白酒
この黍を原料とした酒に「黄酒」があり、一方高粱を原料とした酒に「白酒」がある。この白酒はアルコール度50、60%というのが一般的だ。飲み方は日本の焼酎の様にお湯割り、水わりと言うのはなく、原酒でかぱかぱ飲むのが常識である。日本流に考えて、「お湯割り頂戴!」なんて言うものなら、馬鹿にされるので、言わない方がいい。自信なければ、初めから「飲めません」と断るのがいい。中途半端な飲み方は、人間も中途半端と思われるのがおちだ。日本語では同じ読みの「きび」でも、甲骨文字では全く異なった形をしている。このことは、中国古代では両者は異なる使い方をされていたのではなかったろうか。
引用 「汉字密码」(P212, 唐汉,学林出版社)
漢字「黍」の起源と成り立ち:上部は稷の穂が分かれ、斜め下に垂れている状態
漢字の成り立ち:甲骨文字の「黍」は上部は稷の穂が分かれ、斜め下に垂れている状態を言う。下部は根で右辺は水を表す。
「黍」は季子ともいう。皮を取り去った後は、大黄米ともいう。現在では陕西、山西省の北部、内蒙古の少数の旱魃、高地、寒冷地を除きこの種の糧食作物を植えることは少なくなっている。
しかし、黍は上古の時代は十分その地位は顕著であった。黍米は粟と比べ粒が大きくその色は黄色で、成熟した後一筋の香りもある。貴族だけが常食してた。平民は粟飯を食べていた。
甲骨文字の「黍」は上部は稷の穂が分かれ、斜め下に垂れている状態を言う。下部は根で右辺は水を表す。小篆の黍の字形が変化し、禾と雨の。説文は「黍」を解釈して、禾に属する粒もの也。 黍は酒にもなり、水の入った穀物。また黍の字の構成中水があり、黍が水をよく吸収することを示している。右の画像は黍の穂である。(ウィキペディアより)
黍と酒
酒の重要性は食物にも似ていた。古人は飲む酒も酒粕も正に一切食用であった。甲骨卜辞の中に常に出現する一種の酒即ち鬯(古代の酒、黒キビを原料とし鬱金草を混ぜてかもした匂い酒)は香草と黍を合わせて醸した匂い酒である。古人は黍で匂い酒を造った。黍を脱穀後一旦蒸して色が済んだ色になると一種の心や臓腑にしみる香気をもつ。黍を用いて造った酒は広軌が黍飯に比べ、濃厚で人を酔わせる。この為この種の酒は常々個人が祖先の神霊にお供えするために作るものだった。
黍と香り
黍は無論飯も作りまた酒も作る。皆香りと味はよく、個人は香りという字を作る時黍と甘いという字を組み合わせた。
「黍」は「香」の字の原字
以降黍の音を簡略化し禾とし、ついに「香」という現在の字が出来た。 黍を蒸す時一種の粘りがある。北方の農村ではいつも正月にはこの大黄米を使って、餅や粽を作り親戚や友人を接待した。この為、「胶」と「黏」の字を表示して、「占」の音で、麦飯の粘りの意味を表す。
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