五月の「五」の出所については先日説明をした。
今日は「月」について解説しよう。しかしながらこの字は感覚的には非常に明瞭で、いまさら解説しようもないかもしれない。
「月さま、雨が・・」というのは日本で幕末に活躍した土佐勤皇党の首領、武市半平太に芸者が寄り添って傘をしだす時に言ったセリフということである。因みに月形半平太は武市半平太のことだ。これだけ聞けば、月形半平太は大変な色男で、月とは我々にとって昔から何かロマンチックなものを感じさせるものである。
天の月は時に丸く、時に欠ける。丸い時は少なく、欠けている日が多い。もし円形で月を表現したら、日の字形と似たものになってしまう。しかし甲骨文字の月の字は欠けて丸くなく、明らかに湾曲している。月は満ち欠けの変化をし、太陽は欠けない。古人は月の中に一点の小さな点を加えることで、特別の意味を持たせ、月の上の影を表示したり、或いは満ち欠けを表示しているかもしれない。
月の満ち欠けの変化は循環し、非常にはっきりしており、この為に古人は月に生命の意味を与えた。
子供たちに月の上の影は山姥、ウサギ、金木犀の木などと話しする時、子供たちはあなたがでたらめを言っていると思うだろう。都市の上空で月を見ることは既に非常に少なく、時に顔を見せることもあるが、薄暗く、光は少なく、そこでどうしてウサギや金木犀を見ることが出来るだろうか。車の排気と工場の煙突は子供たちの視覚に変化をもたらし、彼らに古人のロマンの彩りを想像させることすら難しくなっている。いまや昔のロマンを感じるのはできなくなってしまったのだろうか。
ついでに月婆といえば、中国では産婆のことを指すらしい。また月下氷人とは仲人のことを言う。またこの月下氷人というのはいささか古い言い回しで、現代では「紅娘」と言う方が通じる様である。いずれにせよ月婆とか月下氷人といえば、産婆とか仲人というより、なんとなく美しく聞こえるから不思議なものである。
「漢字の起源と由来ホームページ」に戻ります。
|
0 件のコメント:
コメントを投稿