甲骨文字「家」 |
甲骨文字「牢 」 |
牛と豚では何でこうも扱いが異なるの?
豚と牛では扱いがえらく異なる。不平等ではないか。豚は家に住み、牛はなぜ牢なのか。もう少し探ってみる。
結論から先に言うと、牢のウ冠はウ冠のように見えて、実は昔は家ではなく柵であった。
甲骨文字、金文文字の両方にある「牢」という字は牛が閉じ込められた状態を表している。
殷や商の遺跡を発掘中、多数の大小さまざまな円形や長方形の地面に掘られた穴を発見した。これらは浅いもので2メートルから4メートルあり、深いものでは9メートルに達した。この穴の前面には上に上がるための道がつけられ、この坂道の底には木製の柵の門が取り付けられていた。もし野牛を捕らえたらここに押し込めたのであろう。そしてこの方法は数十年、あるいは数百年も掛けて何代も何代も飼いならす中で、更に飢えをしのぐ制度として奨励されてきただろう。
こうするうちに野生の牛のかたくなな性格も次第に消失し、何事にも耐え忍ぶ性格が構築されてきた。これは牢の功績である。
「牢」の本来の意味は、牛を殺したり、養ったりするための地面に掘られた穴である。このことから家畜を養うための丸い柵のことを牢と呼ぶようになった。「亡羊補牢」(成語:羊に逃げられてから柵の修理をするの意味)の中の「牢」にもつかられている。さらにそれから犯人を捕まえて押し込めておく監獄牢や牢獄という言葉にも用いられるようになった。このほか「堅牢」のように堅固な状態を表す形容詞にも用いられるようになった。
結び
このように家と牢では全く異なるのである。甲骨文字ではっきり分かるだろうが、家のウ冠は明らかに屋根であり、牢のウ冠の部分は紛れもなく「囲いと門」である。
更に近年の研究で、この殷墟が栄えたあたりの黄河流域は今より温度が2、3度高く高温湿潤の地域であったといわれている。そのためこの辺りは、牛、水牛、虎、豹、象などが多数生息していた野獣の宝庫みたいなところだったかもしれない。そのことは漢字にも見事に表現されている。
漢字の世界は深い。
豚と牛では扱いがえらく異なる。不平等ではないか。豚は家に住み、牛はなぜ牢なのか。もう少し探ってみる。
結論から先に言うと、牢のウ冠はウ冠のように見えて、実は昔は家ではなく柵であった。
牛は古代は一種の野生動物であった。すなわち野牛であった。
家畜動物とするためには、牛の凶暴な野生を改造して、まじめにこつこつ働く牛、あるいは「牛っこ」の類の優良な性質にするためにこの有史以前の先住民たちは散々苦労をして、長い年月を掛けて事を成し遂げてきた。
唐漢氏の解釈牛は古代は一種の野生動物であった。すなわち野牛であった。
家畜動物とするためには、牛の凶暴な野生を改造して、まじめにこつこつ働く牛、あるいは「牛っこ」の類の優良な性質にするためにこの有史以前の先住民たちは散々苦労をして、長い年月を掛けて事を成し遂げてきた。
甲骨文字、金文文字の両方にある「牢」という字は牛が閉じ込められた状態を表している。
殷や商の遺跡を発掘中、多数の大小さまざまな円形や長方形の地面に掘られた穴を発見した。これらは浅いもので2メートルから4メートルあり、深いものでは9メートルに達した。この穴の前面には上に上がるための道がつけられ、この坂道の底には木製の柵の門が取り付けられていた。もし野牛を捕らえたらここに押し込めたのであろう。そしてこの方法は数十年、あるいは数百年も掛けて何代も何代も飼いならす中で、更に飢えをしのぐ制度として奨励されてきただろう。
金文「家」 |
こうするうちに野生の牛のかたくなな性格も次第に消失し、何事にも耐え忍ぶ性格が構築されてきた。これは牢の功績である。
「牢」の本来の意味は、牛を殺したり、養ったりするための地面に掘られた穴である。このことから家畜を養うための丸い柵のことを牢と呼ぶようになった。「亡羊補牢」(成語:羊に逃げられてから柵の修理をするの意味)の中の「牢」にもつかられている。さらにそれから犯人を捕まえて押し込めておく監獄牢や牢獄という言葉にも用いられるようになった。このほか「堅牢」のように堅固な状態を表す形容詞にも用いられるようになった。
結び
このように家と牢では全く異なるのである。甲骨文字ではっきり分かるだろうが、家のウ冠は明らかに屋根であり、牢のウ冠の部分は紛れもなく「囲いと門」である。
更に近年の研究で、この殷墟が栄えたあたりの黄河流域は今より温度が2、3度高く高温湿潤の地域であったといわれている。そのためこの辺りは、牛、水牛、虎、豹、象などが多数生息していた野獣の宝庫みたいなところだったかもしれない。そのことは漢字にも見事に表現されている。
漢字の世界は深い。
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4 件のコメント:
面白い記事だ
犠牲の由来を調べているうちに、牢の由来も気になってここにたどり着いたのですが、興味深い上にとても参考になりました。
しかし、他の(個人)サイトだと「豚は農耕のために棍棒で叩かれ死ぬまで叩き続け、焼いた後に参加者でその肉を分け合う」とあったのですが、豚の扱いもかなり酷いものだったのではないかと思うのですが、これらについて、どうお考えでしょうか。
なや
コメントありがとうございます。古代は非常に生産力が低くおそらく日々の食糧を調達するのにも大変な苦労を重ねていたものと思われます。そうした中で、豚は肉質も良く、多くの子供を産むため大事に養育していただろうと思われます。特にメス豚は、餌をやって飼っていれば、オス豚がやってきて種付けをしてくれるため非常に重宝していただろうと思われます。従って私の考えでは、捕まえた野ブタを追いかけまわして殺して食ってしまうようなもったいないことは恐らくしなかったと思われます。
しかし、牛の方は力も強く、家の中で飼いならすことが難しく、村で共同で大きな穴を掘り、その中で飼う以外はなかったのではなかろうかと考えています。その穴も発掘されているということです。結果として家で飼うのか屋外で冊の中で飼うのかが文字にも反映されたものと考えられます。
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