「宮刑」という屈辱の刑を受けた司馬遷の恨みを感じる漢字「刑」
石川五右衛門はかまゆでの刑、古代中国では斬首刑、始皇帝による生き埋めの刑、そして司馬遷が受けた屈辱の「宮刑」など残酷な刑が過去行われてきた。しかしこれらの刑罰は、残酷だけではなく誤った運用のために、数々の悲劇と損失がその刑罰に付随してあり得ることを忘れてはならない。
ここではその「刑」という漢字を跡付けてみる。
「刑」は会意文字です。金文の「刑」という字は左右が組み合わさった構造です。右側には刀の形がありますが、ナイフの形の下部には2つの「×」記号があります。これは荊の条で編んだ処刑用の鞭を表している。(しかし私には、この×は受刑者の血しぶきのような感じを受けます)
左側の「井」記号は、人体の背中の血痕を示している。小篆の刑の字は金文に依拠していて、まさに荊の弦をよじった刑の鞭が刀に代わり、「井と刀から会意と形声文字となった。これから、楷書は刑の字に変わった。
「刑」の本義とは、犯罪者と奴隷達に肉体的な罰を課すことを意味します。 「説文」では「罰」と解釈している。その抽象的な意味から拡張され「刑法」になる。たとえば、《左传•昭公六年》には、「刑法本」は法的条項と表現している。
《周礼• 秋宫•司刑》は「5つの罰則」を述べている。ここで「5つ刑」とは5種類の刑法である墨、劓、宫、刖、大辟のことである。「酷刑、厳刑拷打」などの言葉の中に「刑」という言葉が使われている。
- 墨 刺青
- 劓 鼻そぎ
- 宫 去勢する
- 刖 罪人の脚を切る
- 大辟 死刑
字統の解釈
「刑」の字の原字は「井」+「リットウ」から構成されているとする。「井」には二つの意味があり、一つは首枷と鋳型を表すとしている。首枷からは刑罰の意味が出てきて、鋳型からは「型」の漢字が派生されたという。慣用により字形と字義が分化した例だとしている。
結び
そもそも司馬遷が「宮刑」を受けることとなったのは、前漢の時代匈奴討伐の任を受けた李陵が、敵地深く攻め入り多大の戦績を上げたにも拘らず、敵に囲まれ降伏のやむなきにいたったことを擁護したためである。これは捕虜によるデマによる誤った情報に基づくものであった。このようなことは現代でも起こる話である。現代では、さすがに「宮刑」はないが、要職から更迭されたり、失職されたりする事例は、アメリカのトランプ政権の周辺でから漏れ伝え聞く。デマによって被害をこうむった本人だけの問題ではなく、国家的な損失も計り知れない。
情報が飛び交う昨今、デマに踊らされないようにすることが、一人ひとりに求められている。
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