気ままな散歩

2020年12月30日水曜日

漢字「舌」の成り立ち:甲骨の時代から二枚舌はあった?



漢字「舌」の成り立ち:甲骨文字の舌が二枚舌のように描かれているのは、食べると話すの二つの機能をを見える化したのかも知れません。
 漢字「舌」の由来と成り立ち:舌は非常に大切なものにもかかわらず「二枚舌、舌先三寸」のように軽く扱われてきた。

 昔から嘘をつくと閻魔大王に舌を抜かれると脅されてきた。また舌を嚙み切ると出血多量で死ぬといわれている。それほど舌は体の中で重要な部位である。にもかかわらず、舌は「二枚舌、舌先三寸」のように軽く扱われてきたのは、その軽さからなのだろうか。
 漢字「舌」に表されている舌の軽さに迫ることができるだろうか。


引用:「汉字密码」(P737、唐汉著,学林出版社)
唐漢氏の解釈
 「舌」の本来の意味は舌先です。 甲骨文にある「舌」という言葉、その下の「口」は口の絵文字、口から突き出ているのは舌であり、舌の先は二つに分かれまるで二枚舌のようです。その横にある小さな点は話しているときに飛び散る唾液を表しています。 形と長さの点では、甲金文の「舌」という言葉は蛇の舌に非常に似ていますが、まるで二枚舌のようです。 「説文」は「舌、口の中で話す、味わうこと」と解釈しています。舌が二枚舌のように描かれているのは、この二つの機能を見える化したのかも知れません。

 人間の舌には、話すことと味を区別することの2つの主要な機能があります。 したがって、中国語の「舌」は、「舐める、話すこと、味わうこと」に多く関係があります。舌のつく言葉は主にスピーチと味に関連しています。 話すとき、舌は器用に回転しなければなりません。したがって、舌の回転は「舌の無駄、唇枪舌剑(白熱した激しい議論)」などの言葉に拡張されます。また舌は「帽子のつば、火の舌」などの舌のようなものに拡張されます。



字統の解釈
象形:口中より舌の見える形。卜文の字形は舌端が二つに分かれている形に書かれている。


漢字源の解釈
会意文字 「干(盾をあらあわす)+口」で、口の中から自由に出入りする棒状の舌を表す


結び
 卜文に表された文字からはまるで二枚舌が甲骨の昔からあったかのような印象を受ける。甲骨文字の舌が二枚舌のように描かれているのは、食べると話すの二つの機能をを見える化したのかも知れません。太古の人々の思いとは異なるかもしれないが、思わず「クスッ」と笑ってしまうような漢字である.



「漢字の起源と成り立ち 『甲骨文字の秘密』」のホームページに戻ります。

2020年12月27日日曜日

漢字「禍」の由来と成り立ち:災と異なり、「禍」は、人間が引き起こした自然のバランスを崩れにより引き起こされた災害のこと



漢字「禍」の由来と成り立ち:「禍」は、人間が引き起こした自然のバランスを崩れにより引き起こされた災害であるのに対し、「災」は「災」は、水、火、風などによる自然災害のことです。
 漢字「禍」の由来と成り立ち:今年の漢字の第2位は禍でした。コロナ禍が反映された結果でしょう
 今年一年はコロナ禍で明け、コロナ禍で終わろうとしています。コロナはたかが風邪だと思われたものが、結果的には世界中にパンデミックを引き起こしつつ、単なる疫病に終わらず、経済にも大きな傷跡を残し、人々の価値観さえも変えてしまったといわれています。

 漢字「禍」は今年の漢字の第2位となりました。これも、コロナ禍が反映された結果でしょう
 今年の漢字の第1位は「密」で、これもやはりコロナ禍に関連した漢字で、コロナに対する戒めとして、「3密」などの言葉が世の中を駆け巡りました。

 そこでここではコロナ禍の「禍」という漢字の由来と成り立ちに付いて一緒に考えて見ましょう。「禍」という漢字は、わざわいを読み・意味しますが、わざわいという漢字には「災」があり、この両者の違いについても調べてみることにします。



引用:「汉字密码」(P825、唐汉著,学林出版社)
唐漢氏の解釈

 「禍」はもともと象形文字でした。甲骨文の「禍」という言葉は、「凶兆」の卜骨を表示しており、祖先が古代には、助けることなく神々が災害をもたらすことを示しています。「禍」という言葉の第2款は、明示的に犬を使用して卜辞の骨を咥え去りを用いて、災害と患の到来を合わせて表現しています。

 金文の「禍」という言葉は、第1款の左側の横に「示」が追加されています。これは、禍を追い払い、禍を回避する祭祀を意味します。卜骨の下に、加えられた口は禍が神の口から来ることを強調されます。

  小篆の「禍」という言葉は金文を継承しており、楷書はそれに沿っており、「禍」と書かれています。

 古代人の目には、自然災害と人為的災害が区別されます。「禍」は、神の意志に違反することによる人為的なものによって引き起こされ、祖先の神の保護の失敗の結果だと看ていたようです。「災」は、水、火、風などによる自然災害のことです。洪水・飢饉の自然災害を災と表します。



字統の解釈
形声:声符は咼。咼は残骨に対して呪詛して祈る形の字で、「禍」はその声義を承ける字である。

 難しい言い回しだが、要は残された骨を呪い祈る意味だというのである。のろいにより引き起こされた禍とでも解釈するべきなのかもしれない。





漢字源の解釈
会意兼形声。「示」(祭壇)+音符咼(意味は穴を示す)で神のたたりを受けて思いがけない穴(落とし穴)に嵌ること


  結び
 唐漢氏も字統も漢字源も少しずつニュアンスが異なりますが、いずれも「禍」というのは「災」と異なり、人間が引き起こしたことにより、自然のバランスを崩したことにより引き起こされた災害と解釈され、古代人はそれを、神の呪いや神の怒りという表現で考えたようです。

 古代人の解釈が現代にそのまま通用するものではないのですが、コロナ禍とはまさにこの古代の言葉の定義にぴったりとはまるといえましょう。留まるところの知らない人々の交流、環境の破壊、森林破壊、温室化による温暖化現象これらの複合によりコロナ禍は引き起こされたものであるというえるでしょう。有吉佐和子の「複合汚染」をさらに大きな規模で考える必要がありそうです。
「漢字の起源と成り立ち 『甲骨文字の秘密』」のホームページに戻ります。
参考ページ:来年は丑年です

2020年12月24日木曜日

漢字「告」の由来と成り立ち:告白とは重い響きの言葉だ。それは「告」が神に告げるという厳粛な言葉から来ている由縁である



漢字「告」の由来と成り立ち:告白が重い響きを持つのは、「告」が神に告げるという厳粛な言葉から来ている由縁である
 「告」は生贄の牛を祭壇に並べたことからくるという解釈と祭祀を執り行うとき神に告げる言葉を「サイ」という祝詞を入れる箱を木に結びつけたことからくるという説等諸説があるが、いずれにせよ単に話すとか語るということではなく祭祀に臨んで神に祝詞をあげるという厳粛な使い方をされたことから来るものだ。


引用:「汉字密码」(P24、唐汉著,学林出版社)
祭祀のとき神に祈りや祝詞を奉げ、告げること
唐漢氏の解釈
 「告」の字は甲骨文字の第一款は、「牛」と「口」から成り祭告、告庙を意味する。告の字の構造の形象から看て、それは祭壇の前の皿の上に置かれた、切り刻まれた雄牛の頭に非常によく似ています:彼の目は大きく開いていて、何かを言っている様子が伺える。

 告は牛の頭を祭祀に用いて祖先を慰める神祗を表示している。又「告」の本義は人びとが祭祀の時に発するする祈祷であり、それゆえ牛の鳴き声とも理解できます。



字統の解釈
 木の小枝に祝詞を収める器の賽をかけている形象形文字である。 祝詞の器を木の小枝に付けて捧げ 髪に祈告する意味で告とは神に訴え告げることを言う。説文には 牛と口に従う字とし「牛人に触る。角に横木をつくとし、人に告ぐるゆえんなり」とあり、牛が人に何かを訴えようとするとき横木をつけた口を摺り寄せてくると解するが、上部は牛の形ではなくて物をかける木の枝の形であることは卜文、金文の形において明らかである。

 唐漢氏と字統の解釈は、祭祀に生贄の牛を使うか、木に祝詞を掲げるかの違いはあるが、祭祀に神に何らかの祈りをささげる点では一致している。

漢字源の解釈

 会意文字だとする。漢字源では、牛の角に縛った枷の原字だとする。後付の解釈のような気がする。


結び
 現代で告白という言葉は、単に「言う」とか、「話す」ということだけではなく、ある種の重みを持ったものとして語られる。告白が重い響きの言葉の理由は、「告」がそもそも漢字が発生した太古の昔から、神に告げるという厳粛な意味を持っている由縁である


「漢字の起源と成り立ち 『甲骨文字の秘密』」のホームページに戻ります。

2020年12月21日月曜日

漢字「牲」の起源と由来 昔、祭祀で生贄に牛や羊が生きたまま用いられたことによる



漢字「牲」の起源は昔、祭祀で生贄に牛や羊が生きたまま用いられたことによる
 漢字「牲」には、祭祀で生贄に牛や羊が生きたまま用いられたことが残されている。生贄は現代では野蛮なこととして、否定されているが、太古の昔には、生贄として牛や羊、豚がその犠牲になった。時には人間さえもその犠牲となって、神々に祭られている。しかし日本での埴輪の出現にもあるように、生贄として生きた動物を使う風習は次第になくなっている。その理由は、残酷であるという理由ではなく、むやみに生贄として殺してしまうのは、労働力や生産の観点から好ましくないという理由もあったようだ。


引用:「汉字密码」(P22、唐汉著,学林出版社)
甲骨文字では羊、
金文と小篆では牛が生贄に使われたことが示されている
唐漢氏の解釈
 「牲」、これは会意文字です。甲骨文字の「牲」の文字、左側は羊の頭の形、下側は雌羊の生殖器を表す水平の三角形の記号、右側は草の成長の形です。 両形の会意でつまり、母羊は子羊を出生して繁殖させることの願い。

 金文と小篆の「牲」は、牛と生まれるからなる会意と形声の字に変化している。古代中国の文字では、獣畜類の形はしばしば互換される。動物の繁殖の意味を表現からは「羊」と「牛」の意味は同じようなものです。もちろん、画像の本体が変更された理由は、農業における牛の役割の増加にも関係しています。

 古代の祖先は、次の理由で「家畜」を犠牲として使用していました。その理由はまず、野生動物を狩る必要がありますが、捕獲される動物のほとんどは死体です。次に、狩猟は偶然性を伴うもので、祭祀の時に捕獲物があるというものではないので、育てた家畜を使って非常に太らせて、供応のとき、祖先や神々の神霊の優先を反映し、敬虔な神への心を体現したと思われます。

 体が大きく肉が多いため、古くは牛が最も犠牲になりましたが、農業における牛の役割から、この犠牲を使うことができるのは「王」だけです。例えば、「礼記・王制」では、「諸侯は理由もなく牛を殺さず、大夫は理由もなく羊を殺さない」と書いています。 「周礼」の定めるところによれば、牛肉を食べる資格があるのは皇帝であり、諸侯は平時は羊肉だけしか食べず、牛肉は毎月1日しか食べられない。下位レベルの大夫は、平日は豚肉と犬の肉、毎月1日しか羊肉を食べることができなかったようです。 古代の祖先の政治生活において、牛は非常に重要な役割を果たしましたが、これは牛にとって悲劇的な役割です。



字統の解釈
声符は生。「説文」に「牛完全なるなり」とあって、祭祀に用いる犠牲をいう



漢字源の解釈
会意兼形声。「牛+音符生」で生きたまま神前に供える生々しい牛のこと。


結び
 生贄には、当初羊が用いられたことが、甲骨文字からは知ることができる。太古の昔は、野生の獲物を生贄にしていたようfだが、祭祀のたびに捕獲するのは必ずしもできないこともあり、養育した牛を用いるようになったと考えられる。

 この生贄の風習は、今でも残っており、中東では羊が用いられ、太平洋諸島では、豚が再使用の生贄に用いられるようである。




2020年12月17日木曜日

漢字「牛」の起源と由来:牛の頭を正面から見た形、「牛」は「丑」ではない



漢字「牛」の起源と由来:牛の頭を正面から見た形「牛」は「丑」ではない
 牛は反芻動物であり、人間が飼い馴らした最初の6畜の動物の1つです。強力で性質が良く、耕作地や物資の運搬に使用でき、中国国民の農業文明の少しでも欠けてはいけない役割の1つです。 現代社会では、牛は徐々に「耕畜」から引退し、「牧畜業」の主力となっています。牛乳、牛肉、牛革はどれも経済的価値が非常に高い。
 さてその牛は十二支では「丑」というまったく別の漢字があてがわれている。漢字の発生は「牛」と「丑」ではまったく異なる。
 「牛」と「丑」は似ても似つかない! ここでは本来の「牛」について、漢字の起源を探るたびに出たい。



引用:「汉字密码」(P14、唐汉著,学林出版社)
唐漢氏の解釈
 古代中国の文字「牛」は水牛の雄牛の頭を簡略化したものです。上の画像は内に湾曲した角に似ており、下の画像は簡略化した雄牛の頭に似ています。

角と耳の特徴が強調されています。古代中国の文字「羊」と比較すると、 明らかに、これは2つの動物の「角」の異なる特性に基づいています。中国語の文字では、「牛という字」の付くすべての文字は牛とその行動に関連しています。





字統の解釈
 象形文字である。牛を正面から見た形。「説文」に「大牲なり」とし、下体は牛に特徴的な腰骨墳起の状を移しているものであろう。


漢字源の解釈
象形文字。やはり牛を正面から見た形とする。


結び
漢字「牛」の成り立ちについては、象形文字で、牛の頭を描いたものであろうということに誰しも異論がないようである。

 ウ冠に「牛」と書いて、牢という字になるが、この字の「ウ冠」は家を表すのではなく、柵を表現するものという。古代中国の中原地方には野牛が大量に群れをなしていたという。われわれの祖先は水牛を飼い馴らすのに地面に大きな穴を掘り、その中に野牛を囲い込んで飼い馴らしたという。このときの柵がウ冠で表現されたことから「牢」という字が生まれたという。
 このことは伝説の物語として、殷の王子・王亥(BC1854-BC1803)が初めて牛を飼い馴らしたとの記述が「楚辞」にあり、王亥という人物の真偽は別としても、野生の牛が殷王朝のころには既に飼い馴らされていたであろうことと符合する。このように漢字の中には、人間の生活が刻まれている。




「牛」を含む故事・成語については「牛にかかわる故事来歴、役に立つ人生の糧・成語集」に触れられているので、紹介しておこう
「漢字の起源と成り立ち 『甲骨文字の秘密』」のホームページに戻ります。

2020年12月5日土曜日

漢字「豐」(豊)の起源と成り立ち:たかつきという足の高い器に山盛りに盛りつけた様子の象形文字



引用:「汉字密码」(P737、唐汉著,学林出版社)
唐漢氏の解釈
 甲骨文字と金文の「豐」の字は本来上古の時代では客を迎えた時、玉器を飾る習慣があった。即ち珍蔵の玉や玉器などを選んで来て、誇示するのと併せて誠心の付き合いの生活情景。上古の時代、客を接待するのに祭りの品を奉献し玉器の数量の多いことで誠意を推し量った。俗語でいわゆる「出血を惜しまない」ということだ。因みに「豐」は「盛んなること」「数の多いこと」の意味がある。小篆の丰を別の意味と区別するようにし、もっぱら豊盛の意味だけに用いるようにし、豊の字とは細かい区別を生じ二つの丰の間に一つの区分けの記号を設けた。楷書では「豐」と書き、簡略化の方式の決りから「丰」を簡体字とした。 

 丰の本義は盛んなること、数の多いことである。現代中国語では「豊か」という意味では、「丰」が用いられ、漢字「豊」は、「たかつき」の意味に使われているようだ。


字統の解釈
 豆中にものを盛って入れた形。説文に「豆の豊満なるものなり」をいう。



漢字源の解釈
 会意兼形声文字、丰は△型に実った穂を描いた象形文字。豐は山+豆(たかつき)+音符丰二つ」で、たかつきの上に、山盛りに△型を為すように穀物を盛ったことを示す


結び
 豐と豊は別字である。豐の簡体字は現代中国では、丰と書く。

「漢字の起源と成り立ち 『甲骨文字の秘密』」のホームページに戻ります。

2020年12月4日金曜日

漢字「舞」の起源と成立ち:原字は「無」、祖先の無心に踊る喜びを表現していたであろう。


漢字「舞」の起源と成立ち:原字は「無」、松とヒノキの枝を両手に持って踊る人間の形としても表現
 漢字「舞」という字の初文は「無」であった。無心に舞い狂う祖先の姿が見えてくる。
 甲骨文や金文からは紛れもなく、この「無」が「舞うこと」を表していたであろうことが良く分かる。

 甲骨文字は実に生き生きと人々の生活を表している。おそらく祖先は祭りや神への奉納の中で、踊り喜びを表現していたであろう。それを表した字が「無」なのだろう。しかし、漢字「無」は「有無」の無に仮借されたために、区別するためにこの字の下に両足をつけ、全身で踊る姿が体現されたと考えられる。

 漢字「舞」の原字は「無」、松とヒノキの枝を両手に持って踊る人間の形としても表現されており、実に生き生きした古代の人々の息づかいが目に浮かぶ。


 甲骨文では手足に飾りをつけ、エクスタシーになって舞い狂う祖先の姿が見えてくる。古代に「無」という概念が在ったのかどうかは分からないが、おそらく金文や小篆では無我の境地と現実の「舞う」という行為を字で持って区別したのだろうと思う。

引用:「汉字密码」(P802、唐汉著,学林出版社)
唐漢氏の解釈
 甲骨文字の「舞」という言葉は、松とヒノキの枝を両手に持って踊る人間の形としても表現されています。その発音も、ダンスの集合的な呼びかけ、つまり「鳴、鳴」から来ています。金文では、「無」というのは「有無」の無に仮借されたから、言葉の意味を区別するために、「舞」の下に意味記号「舛」(二つの足の形)が追加されています。 小篆の「舞」は金文を継承し、楷書は「舞」と書きます

「舞」の本義は踊りです。 《礼记乐记》には「手で踊るのを知らないなら足を踏み鳴らす」というものがあります。踊りの起源は遺伝学の観点から説明されています。古代の祖先の心の中で、歌と踊りを通して内なる感情と願いを表現することは、「祖先の神々」とのコミュニケーションの目的を具体化することができます。歌と踊りの祭典は、儀式や魔術において非常に実用的な役割を果たしました。



字統の解釈
 無と舛に従う。無は舞の初文。後に無に両足をつけた舞が舞楽の字となり、 無はもっぱら有無の無、否定の言葉に用いる。説文に「楽しむなり。足を用いて相背く」とする。舞は無の繁体字である。



漢字源の解釈
 漢字源による解釈 会意兼形声文字である。人が両手に飾りを持って舞うさまを表す文字「無」の下に、左足と右足を開いたさまを表す字形「舛」が追加されたもの。



結び
 甲骨文字は実に生き生きと人々の生活を表している。おそらく祖先は祭りや神への奉納の中で、踊り喜びを表現していたであろう。それを表した字が「無」なのだろう。後にこの字の下に両足をつけ、全身で踊る姿が字に体現されたと考えられる。これぞロマンだ!



参考
 漢字「無」の由来:「舞」という字の初文。無心に舞い狂う祖先の姿が見えてくる
「漢字の起源と成り立ち 『甲骨文字の秘密』」のホームページに戻ります。

2020年11月23日月曜日

来年の干支は「うし年」です 漢字では「丑」と書きますが、「牛」との違いは何でしょう


来年の干支は「うし年」です 漢字では「丑」と書きますが、「牛」との違いは何でしょう 


 来年の干支は「うし年」です 漢字では「丑」と書きますが、「牛」との違いは何でしょう
 本来、何でこんなややこしい漢字を使うようになったのでしょう。この記事を読めば、その由来が見えてきます。

 何はともあれ、来年の干支は丑年です。現代ではこの丑という漢字は日本では干支以外ではほとんど用いられなくなりました。
 漢字「丑」で思い出すのは、明治の島崎藤村の文学作品「破戒」の主人公の名前が「丑松」でした。
 年賀状を出す人が少なくなりました。


干支の起源
 干支の起源は起源は商(殷)代の中国に遡ります。今から3500年前の中国の殷ではすでに、甲骨文字という漢字が使われ、その甲骨文字で書かれた干支による暦が日常的に用いられていたといわれています。

 今では、干支の「うし年」を、漢字では「丑」と書きますが、「牛」との違いは何でしょう。」そもそも何でこんなややこしい漢字を使うようになっているのでしょう。少し原点に立ち返って考えてみましょう。

 私たちは年のサイクルを十二支で考えることが多いのですが、これはそもそも干支 の考え方に基づくもので、十干は10年1サイクル、十二支は12年を1サイクルとしたものです。この両方合わせて干支で見れば60年が1サイクルということができます。
  60年といえば、人間の寿命がせいぜい50年だったことを考えると十分な長さだと考えられたのかも知れません。

 因みに日本人の平均寿命で考えてみると安土桃山時代の平均寿命は30歳代、室町時代は24歳代、平安時代は三十歳、奈良時代は28歳から33歳、弥生時代が十歳から20歳そして旧石器時代は15歳前後であったといわれています。 古代中国においては 日本よりも過酷な自然環境だったと思われ、日本人より短かったと考えられてますが、 せいぜい三十歳代が平均だったろうと思われます。

 とすれば十干十二支による暦年の数え方というのは、60年1サイクルと考えたのは まあそれほど短くもなく長いものでもなかったかもしれません。

 またまた年賀状の季節になりました。来年の干支は「うし年」です。 漢字では「丑」と書きますが、「牛」との違いは何でしょう

 毎年この季節になると、来年の年賀状のことを考えるのが、日本人のいわば習性のようにもなってきておりますが、この干支で年の移り変わりを知るということは、実に3500年前には考え出された暦に起源を持っているわけです。来年はこの干支によれば、丑年に当たります。 今年はコロナの問題もあり、人々の価値観も変化しつつありますので、この習慣がどう変化するか見てみたいものです。


干支「丑」の起源と由来
 丑年は干支では二番目に位置します。太古の先人たちは、年を人間の一生のサイクルで考えていたという説があます。もし人間の出生の過程を干支で表したとすれば、丑年は出生のかなり早い時期にあたります。胎児が産道から出た直後と考えてもいいのかもしれません。

引用:「汉字密码」(P868、唐汉著,学林出版社)
唐漢氏の解釈
 「丑chu」これは、象形字です。新生児の小さな手の描写からできました。生後の胎児の主な特徴の1つは、5本の指が握り締められ、小さな握りこぶしがしっかりと握り締められ、分離できないことです。これは、人の死とは対照的です。指に短い縦線のある甲骨文の「丑」という文字は、この現象を意図的に描いたものです。
 金文の「丑」という言葉は、指先の曲がりを斜めの垂直線に変えていった。漢字の線が進化した後、小篆と楷書は今日の「丑」になりました。

 「丑」の本来の意味は、新生児の握りしめられたこぶしであり、「干支」の2番目の位置を占めます。「子」から「丑」までに 「胎児」は頭から手足が併出する順序になります。および胎児全体から手の細部までの視覚的な変位は、今日の胎児の誕生を観察する人々の心理とまったく同じです。


字統の解釈
 丑 とは指の先に力を入れて強くものを取る形また体の爪を立てている形である。説文には「始めなり 12月」 と言うが、意味がはっきりしない。 要する十二支の丑を以って解しようとするもので、字の初形に関しない。十二支はもと十干と組み合わせて日の干支に用いたもので、記号的なものに過ぎない。

 それでも、「丑」なる漢字が記号的なものに過ぎないとしても、そこになぜ位置付けられたかは探求されるべきであると思う。


漢字源の解釈
 丑は象形である。手の先を曲げてつかむ形を描いたもの すぼめ引き締める類を含み紐などの音符となる。殷の時代から 十二支の2番目の十二支の2番目の数字に当てて漢代以降動物・方角などを当てて原義を失った。



結び
 唐漢氏の説明は、十二支に丑がなぜ位置づけられたかという説明に一応はなっている。しかし、字統や漢字源の解釈では、両者とも丑がなぜ十二支の2番目に位置づけられたかの説明にはなっていない。

ヴィキぺディアによると、現在の干支の「丑」という字の本義は「紐」であり、その意味するところは、生命エネルギーの様々な結合であるとしています。この意味付けが現代人にはある意味ぴったり来るのですが、文字そのものから見るとこの説にはどうしても無理があるように思います。つまりよる複雑な文字である「紐」が、単純な「丑」より先に存在したとは考えにくいのです。

 しかし由来はどうあるにせよ、字形では「丑」は物をつかむ形から来ているのですから、来年はこの字のとおり、心もとない世の中で、しっかりと未来を掴み取ってほしいものです。

参考文献:「十干十二支の起源と成り立ち」
「漢字の起源と成り立ち 『甲骨文字の秘密』」のホームページに戻ります。

2020年11月22日日曜日

女の漢字「妊」の起源と由来:女偏に「壬」で処女から若妻に替わることを表わしているか?

漢字「妊」の起源と由来:女偏に「壬」で処女から若妻に替わることを表わしているか?

「妊」:説文では「孕」なりと説明がある。
「壬」は貫くという意味で、
女性が最初の性交を通して若妻になることを示している
唐漢氏の解釈
「妊」これは会意及び形声文字である。説文では「妊」即ち孕むことなりと云っているが、説文ではこれに疑念を持ている。
  女と壬から成り立ち、壬は声調を表す。

  図に示すように甲骨文字の任は右辺は女で左は「工」に似た「壬」である。「壬」は上古時代は、専ら針の意味を持っていた。

  このことから貫き通す、通過の意味である。女性が最初の性的接触を経て、処女から若妻に替わることを表示していると考える。
  「工」は工具の意味として用いられ、「左」という漢字も、手に工具を持つ意味と解釈されている。女偏に「壬」で女に何らかの手が加えられたことを意味するかの解釈もなりたつ。
  金文の「妊」の字は左辺の「工」の字の中に一点が加わっている。小篆はこの点が長くなり今日の楷書になった。


字統の解釈
  因みに白川博士はこの「工」という字を呪具で、古代では巫女や卜時に使っていたと推測している。これを呪具と見るか針のような工具とみるかは、文字学観にも係わる非常に重要な問題だと思う。

  女子と男子の交わりは受胎妊娠となる。為に妊の字は女性の懐妊を表している。即ち妊娠で妊の字は現代漢語では、この意味で使われ続けている。
 

「漢字の起源と由来ホームページ」に戻ります。

2020年11月4日水曜日

漢字「竈」の由来と成り立ち:中国語では簡略化され「灶」と書く



 鬼滅の刃の竈門兄弟はえらく難しい名前である。漢字「竈」成り立ちは?最近こんな難しい字が書ける人はそうおるまい。中国語では簡略化され「灶」と書くが、「竈」というもの見ることがほとんどできなくなって、今や死語のようになってしまっている。少し前、それでも50年程前には少し田舎に行けば、よく見ることができた。

 通常は土でできた調理装置である。最近見たのは、高野山の宿坊で見ることができた。







引用:「汉字密码」(P765、唐汉著,学林出版社)
唐漢氏の解釈

 金文の「竈」という言葉は会意文字です。上部は「穴」です。ここでは動物の巣穴を意味します。下部は古代の火灶の象形図であり、カニの爪の形すなわち芝草で周囲を囲まれ中央に掘られた火の道です。

 小篆の「灶」という文字は、複雑なものから単純なものにされ、楷書は小篆を継承し、「竃」と書きます。簡略化の過程で中国語の文字は、「土かと火と」の「灶」という文字に変更されました。「灶」(説文)は、「灶、調理用灶」、つまりレンガなどで作られた調理器具と解釈されます。





「漢字の起源と成り立ち 『甲骨文字の秘密』」のホームページに戻ります。

漢字「宗」の起源と成り立ち:宗教の「宗」と「教」の違いを「宗」から考えた


漢字「宗」の起源と成り立ち:宗教の「宗」と「教」の違いを「宗」から考えた

 宗教における「宗と教」の違いは何だろう。同じ宗教でも、キリスト教とは言うが、キリスト宗とはいわない。これは漢字のルーツを探ってみると、「宗」というのは、教えではなく、大きな教えの中の一つの流れであることが分かる。キリスト教にしろ、仏教にしろ、イスラム教にしろ、大本の教えは一つにせよ、それを信じる人が増えるにつれ、いくつもの流れができてきたのだと理解できた。



引用:「汉字密码」(P822、唐汉著,学林出版社)
唐漢氏の解釈
 「宗」、「説文」は、「宗、祖先の寺院なり、内と示すからなる」と説明されています。つまり、「示」は「神主」を意味し、「内」は居室を意味します。これは、「先祖代々の寺院の建物」から作成された字です。《晋书•礼志》に記載された「古无墓祭之礼。」という言葉に基づいています。上古先民はおしなべて祖先を祭ったが、全て特別に建造した寺院や廟の中で行っています。このタイプの建物には長い歴史があります。故宮の東にある働く人々の文化宮殿は、清王朝の王族の祖先の廟です。

 甲骨文にある「宗」という2つの書き方の字は同じ意味です。「宗」という言葉の上部は家です。家の下の「丁」は神主の位牌であり、上部と側面の小さな点は礼拝のお供え物を示しています。金文、小篆、楷書の「宗」の文字はすべてこれから来ており、形に変化はありません。

漢字「宗」の使われ方と社会的な意味
 「宗」の本来の意味は、祖先と祖先の祖先廟で、祖先を奉る位牌の部屋です。同じ祖先を崇るのはすべて子孫なので、「宗族」の意味に拡張された。 同一の宗祖からしたの流派は、「宗派、禅宗」などといいます。
 祖先を後の人が尊奉、尊崇し、帰依することを宗仰、朝宗といいます。祖宗は人身の基盤であることから、本源や主旨のことを宗旨といったり、よろず変わってもその宗からは離れないなどといいます。家長から受け継がれた学校を指すように拡張されました。

中国には、いまだに続く「宗族」という「制度」があるそうだ。これは殷や周の時代に盛んになって、封建制度が確立していく上でのある種の制度的保障になったものだという。しかしその後、生産力の発展の高まりとともに、隅に押しやられ廃れていったというが、1990年代ごろから再び力を持つようになったとのことである。一方韓国では未だに隠然たる力を持っているようで、その名前は「本貫」という。





字統の解釈
 ウ冠と祭卓に従う。ウ冠は廟屋、「示」は神に奉じる時の祭卓の形。廟中の祭卓には 神位を奉じた。 それで宗は宗廟の意となる。卜辞には太宗・中宗・小宗の名前が見え祖霊への祭祀が盛んであった。


結び
 難しいことはさておいて、要は寺院・宗廟などの建物を指す。このことから、本源的なものを示すようになった。酒の「菊正宗」もこの主旨に基く命名であろう。
「漢字の起源と成り立ち 『甲骨文字の秘密』」のホームページに戻ります。

2020年11月3日火曜日

漢字「関」の起源と成り立ち:門にロックを施すことを表す。閉じるという意味を含む



 関は門にロックを施すことを表す。閉じるという意味を含む
 開は両手で門栓を引っ張っていることを意味し、あけるという意味
 門構えを持つ漢字は、基本的に門に関係しているものであるか、部屋を示しているものが多い。例えば「閨」は女性の部屋を示している。こうしてみると閨閥という漢字が実によく事態を表現していると感心する。



引用:「汉字密码」(P737、唐汉著,学林出版社)
唐漢氏の解釈
 「关」は「関」の略語です。昔はドアロックがなく、2つのドアのそれぞれにリングが付けられていました。ドアを閉じるとき、垂直の木材が「リング」に挿入されて2つのドアが接続され、閉じられました(現在は差し込みラッチのように)。

 金文の「関」という字は、リングと無垢材の形をしたドアのような漢字であり、ラッチを挿入してドアを閉じるシーンを鮮やかに示しています。 小篆の「関」はそれを増やしています。ドアの両側のカップがそれぞれ倍に増加し、上向きに湾曲したフックがドアノッカーの下に追加されてます。このように、ドアボルトをドアノッカーに挿入した後、横木を上から下に配置することもできます。


漢字「関」はドアを閉じてロックする状態を表現した会意文字
 ドアリングとドアは、ドアを閉じるために使用されているため、「関」という言葉は、「閉じる、閉じる、閉じる」という意味を持ちます。

 

漢字「閉」:字統の解釈
 門と「才」に従う。「才」は祝壽の器を付けた木の形。

 在と存の字は才に従い、「才」はその場所を聖化するための傍示的な機能を持つものと思われる。それを門中に樹てている形であるという。








漢字「開」は門に差し渡した横木を取り除く有様
 「开」は「開」の簡略化された文字です。古代中国の「開」の上部は2つのドア、中間は横一のドア栓、下部は両手です。 三つの形の会意は、両手で門栓を引っ張っていることを意味します。 小篆の「開」は、ドアボルトが断たれて開かれていること示します。これは、ドアが既に開いていることを示しており、ドア下部の手の形が変わっていることを意味します。このため、従来の楷書はこの関係から「開」と表記し、簡単化の関係で「开」と表記しています。



結び
 開、関、閉も門に関係しそれぞれ閂やロックをかけたり外したりする動作を如実に表していて面白い。これだから漢字は止められない。表音文字やアルファベットではこうはいかない。



「漢字の起源と成り立ち 『甲骨文字の秘密』」のホームページに戻ります。

2020年11月1日日曜日

漢字「鬼」の起源と由来:先人たちは、別の世界に住む死後の人間を「鬼」と考えていた

漢字「鬼」の起源と由来:古代の先人たちは、別の世界に住む死後の人間を「鬼」と単純に考えていた
 古代では、人が生きている間は、「ひと」の世界に人が死んだ後は「鬼」の世界でそれぞれすみ分けていたと考えていたようだ。つまり、今のように神格化せず、単なるすみわけと単純に考えていたようだ。

 ところがいつの間にか、人間の現世でもややこしい世界が出てきた。いつから古代人の純朴さを失うようになったのだろう

 今や死ななくても、「鬼」のような世界に住んでいる人が増え続けているのではないだろうか。

 

引用:「汉字密码」(P832、唐汉著,学林出版社)
唐漢氏の解釈
「鬼」会意文字です。「説文」は次のように解釈されます. 人と鬼字のの頭の形から人が帰るところを「鬼」となした。(つまり人の死後帰する場所を「鬼」としている。現代でも、人が死ぬことを「鬼籍に入るというがこれは3500年前に使われていた概念をまったく変わらないことになる。)「甲骨文の「鬼」の文字からみて、これらの「鬼」の字はすべて男性と女性の体を持っている。

 田のような形は大きな鬼の頭で、古代の祖先の目では、生きているうちは人と呼び、死んだ後は鬼と呼ばれています。
 明らかにこれは鬼の頭で人(王様を含まない)から形をとった死後が骸骨の頭になったものです。 鬼の字は人とそしてその死後の頭骸骨の頭から作られている。
  人の最後の人の最後の帰着を表示しており、また人と鬼の間の関係も示しています



文字の概念の発展
 この小篆の字は、変化の過程の中で、「私」の最初の文字である「ム」の形が右下に追加されています。

 古代の人々は、陽、公私を問わず、人間は陽に住んでおり、死後陰に戻ると考えていました。
 小篆は、「ム」の形を追加し、鬼の居場所を示します。春秋時代以降 鬼と魂は自在に行き来することができるものと、やっと人の主観的な世界の中に入ってきた。

 以降鬼の字は万物の精霊を意味するものと見られるようになった。しかしこれはこの鬼の字を作る最初に含まれていた意味と甚だしく離れるものとなった。 鬼は人間が作り上げたもので、概念に並外れた力を与えています。その結果、さまざまな比喩的な意味を生みました。



字統の解釈
 鬼の形で、人鬼をいう。

 説文に「人帰するところを鬼と為す。人に従い鬼頭に象る。鬼は 陰気賊害す。ム に従うとし、ムを陰気を示すもの」とするが 古い字形は、ただ人の鬼の形に作る。

 字統の解釈では、鬼の字を説明するのに「鬼」の字を以って為しており、これは明らかな自己矛盾といわざるを得ないのだが・・。こちらの読みが足らないのか?



結び
 「鬼」という漢字の生まれと、概念の発展の過程を見ると、最初の純朴な概念を表していた漢字が、次第にいろいろな考えや概念が含まれるようになって、使いこなされてきている事が良く分かる。これは文字の発展の歴史を見る典型的なもののような気がする。

****スポンサーからの贈り物 *****


鬼の面は、邪悪なものを追い払う鬼神で威力の強い神であるという。


「漢字の起源と成り立ち 『甲骨文字の秘密』」のホームページに戻ります。

2020年10月30日金曜日

漢字「門」の起源と由来:門を形どった門そのものの象形文字


 漢字の面白さがそのままの形で分かる。誰から見ても門は門だ。門柱を2本だけ立てたものではなく、門柱に横木を渡して門の形を整えているのは、考えることはみな同じといえる。

 この文字を基にして、間、閉、関、開などの漢字が生まれた、まさに基本中の基本の漢字といえる。


引用:「汉字密码」(P736、唐汉著,学林出版社)
象形文字である。
門柱の上に横木を渡し形を整えたことは字からも読み取れる
唐漢氏の解釈
 「门」とは、建物や他の建物の出入り口を指す「門」の簡体字です。甲骨文の「門」という字は、門構え、ドア横木、両開きの門扉があります。これは明らかに完全な門です。 中国古代の建築形式で、片扉から両開きへと、発展させたものです。金文の「扉」の横木は削除されていますが、両開きの扉の元の形はそのままです。小篆と楷書はこれを一脈通じ、漢字の簡体化とき、画数が多すぎるので「门」となりました。

 門の本来の意味は、両開きの門で「芝で覆った門戸」を示しています。詩で詠われた門です。また、拡張され部屋の出入り口、つまり「部屋のドア」を示すように拡張されました。



字統の解釈
 説文の解釈を引用し、やはり「門」の象形文字とする。



漢字源の解釈
 左右2枚の扉を設けた門の姿を描いたもので、やっと出入りできる程度に狭く閉じているの意を含む



結び
漢字の面白さがそのままの形で分かる。誰から見ても門は門だ。門柱を2本だけ立てたものではなく、門柱に横木を渡して門の形を整えているのは、考えることはみな同じといえる。

この文字を基にして、間、閉、関、開などの漢字が生まれた、まさに基本中の基本の漢字。人間の思考の発展過程を辿ることができる漢字である。


「漢字の起源と成り立ち 『甲骨文字の秘密』」のホームページに戻ります。

2020年10月13日火曜日

「妊」に関係する漢字のまとめ:孕,包,妊,身,育


「妊」に関係する漢字のまとめ:孕,包,妊,身,育 子供を生み、育むことの苦闘が漢字に表れている?
  太古の昔から妊娠は重大な問題であった。だからこそ妊娠を意味する漢字は甲骨の時代から数多く存在していた。

 菅義偉首相が少子化対策として不妊治療の公的保険の適用拡大を打ち出している。実現までの間も助成金を大幅に増額するよう厚生労働省に指示した。
 これは新内閣の目玉として、大きくマスコミなどで取り上げられている。この不妊治療が、日本の「国難」とまで言われている「少子化」の問題解決にどれほど寄与するのか、はなはだ疑わしい部分がある。

 しかしながら、子供を生み、育むことは人類にとっても重要な問題である。

 3500年も前から、人類の祖先は、子供を身ごもり、育てることに全精力を費やしてきたであろう。その結果として、妊娠や身ごもりを表す漢字が数多く残されている。それだけ人類は子孫を残すことに全身の力を傾けていたのではないだろうか。その営みは、ある意味崇高なもので、現代のような性を弄ぶ風潮はとても許されるものではなかっただろう。

ここではこの「不妊治療」の
「妊」に関係する漢字:孕,包,妊,身,育について、少し考えてみたい。
因みに「不妊治療」は中国語で「生育治疗」という。言葉の問題から言うと、「不妊治療」より、「生育治療」といったほうが、問題点を大きく捉えているといえよう。なぜなら中国語の概念の中には、単に妊娠できない状態の治療というばかりではなく、「生んで、育てる」ことも含んでおり、育てる環境も含んだものとして、包括的に、概念的には考えることができるからである。
 


漢字「妊」の起源と成り立ち
「妊」説文では「妊」即ち孕むことなりと云っている。
 
漢字の成り立ちについては、この漢字「妊」のページを参照ください

 

漢字「孕」の起源と成り立ち
  「孕」という字は身重、懐妊の意味である。

 非常に分かりやすい漢字であるが、「孕」の本義は懐妊である。妊婦のことである。

 漢字「孕」の成り立ちについては、漢字「孕」のページを参照ください




漢字:「包」
漢字「包」の語源と由来:胎児が胎嚢に包まれている状態を著す



  

漢字「身」
漢字「身」起源と由来:象形文字である。身ごもった状態が実に生き生きと表現されている





  

漢字「育」
漢字「育」起源と由来:会意文字である。子供が頭を逆さまにして、正常な状態で生まれることを表し、正常に育つという意味に拡張された。原義は正常出産の意味

 左のヒエログラフは、こどもが女性性器から出てくることを示しているが、上下に180度逆転してみるとその意味合いがよく読めるように見える。





漢字「毓」

漢字「毓」は「育」の異体字である。この漢字も分娩を表す漢字である。

 唐漢氏はこの漢字を分娩時に羊水が流出している様を表現しているとしている。甲骨の昔からこのような直截な表現の漢字が存在していたかは、知る由もないが唐漢氏はそのように考えている。




結び
 太古の昔から人類にとって、子供を生み、育むことは大問題であったことは、妊娠や身ごもりを表す漢字が数多く残されていることからも伺える。それだけ人類は子孫を残すことに全身の力を傾けていたのではないだろうか。



「漢字の起源と成り立ち 『甲骨文字の秘密』」のホームページに戻ります。

2020年10月7日水曜日

漢字「無」の成立ち:原義は舞うこと。「舞」という字の初文。無心に舞い狂う祖先の姿が見えてくる

漢字「無」の由来:「舞」という字の初文。

  漢字「無」の由来:「舞」という字の初文。無心に舞い狂う祖先の姿が見えてくる。
 甲骨文や金文からは紛れもなく、この字が「舞うこと」を表していたであろうことが良く分かる。

 甲骨文字は実に生き生きと人々の生活を表している。おそらく祖先は祭りや神への奉納の中で、踊り喜びを表現していたであろう。それを表した字が「無」なのだろう。後にこの字の下に両足をつけ、全身で踊る姿が体現されたと考えられる。
  甲骨文では手足に飾りをつけ、エクスタシーになって舞い狂う祖先の姿が見えてくる。古代に「無」という概念が在ったのかどうかは分からないが、おそらく無我の境地と現実の「舞う」という行為を字で持って区別したのだろうと思う。

 本稿は、2020年12月4日金曜日にアップロードしたものに、加筆修正したものである。




**********************

漢字「舞」の今

漢字「舞」の解体新書

漢字「舞」の楷書で、常用漢字である。
 但し、舞の原字は「無」で、初めは舞うことを「無」で表現していたが、有無の概念を専ら「無」で表すようになり、舞うことは無の下に足をつけて踊ることをリアルに表現した。
舞・楷書無:舞の原字・楷書


  
舞・甲骨文字
舞・金文
舞・小篆


 

「舞」の漢字データ

漢字の読み
  • 音読み   ブ
  • 訓読み   まい、まう

意味
  • まう。おどる。とぶ。
  • もてあそぶ 
  • はげます。奮い立たせる。

同じ部首を持つ漢字     舞、撫、蕪、
漢字「舞」を持つ熟語    舞、舞台、鼓舞、剣舞



**********************

漢字「舞」成立ちと由来

引用:「汉字密码」(P80P、唐汉著,学林出版社)

唐漢氏の解釈

  「無」は「舞」という字の初文でもある。甲骨文の「無」という言葉は絵文字である。人物(大)の両側には、木の葉のように見える舞踊小道具があり、全体像は両手で踊る姿のようである。実は、これは松や松明を持って焚き火の周りで踊り、火の周りで踊る古代の祖先である。松とヒノキの枝の絵による表現を追加する。

 金文の字「無」は甲骨文を継承しており、枝や葉の形がわずかに変更されていることを除いて形状は似ている。

  小篆の字体は人間の姿を表す「大きな」文字を上に移動し、隷書で改変され、さらに楷書は「無」に変更されている。中国語の文字を簡略化の中で、俗体字が簡略化した文字として使用する。

 「無」という言葉は、先祖の踊りに由来している。松とヒノキの枝と葉を持って焚き火の周りで踊り、最後に松とヒノキの枝と葉を火の中に投げ込む。ダンスの終わり曲も終わり、手は空になり、火は消え、何も残りません。したがって、ダンスの「無」という言葉は、別の意味に拡張され「舞」という言葉が作られ、ダンスを意味するようになった。


漢字「舞」の字統の解釈

  もと象形文字で人の舞う形。後に無に両足をつけた舞が舞楽の字となり、 無はもっぱら有無の無、否定の言葉に用いる。説文に「豊なり」と訓し、字を林に従う字と形とするが、それは小篆の誤った字形による解釈である。


漢字「舞」の漢字源の解釈

漢字源による解釈 形声文字である文字は人が両手に飾りを持って舞うさまで、後の舞の原字である 古典では「无」でも表すことが多く 中国の簡体字でも「无」を用いる

漢字「舞」の変遷の史観

文字学上の解釈

 舞の初形である無には、その両袖に羽(羽飾 じゅしよく り)のような呪飾をつけており、おそらく羽舞を行なったもので、それが古文の字形に残されているのであろう。

 無は、「有無」の無にもちいられるようになり、本来持っていた、舞という意味では用いられなくなった。言葉の意味を区別するために、「舞」の下に意味記号「舛」(二つの足の形)が追加された。



まとめ

 甲骨文字は実に生き生きと人々の生活を表している。おそらく祖先は祭りや神への奉納の中で、踊り喜びを表現していたであろう。それを表した字が「無」なのだろう。後にこの字の下に両足をつけ、全身で踊る姿が字に体現されたと考えられる。これぞロマンだ!



「漢字考古学の道」のホームページに戻ります。   

漢字「福」の成り立ち:酒を神に捧げ祈り幸せを願うことです


漢字「福」は、酒を神に捧げ祈り幸せを願うことです
 日本では古来より、酒を神聖なものとして捉え、神事を執り行うときには酒をお神酒として捧げ祈ることが行われてきました。中国にも同じような考え方があり、昔から豊穣のしるしとして、酒を飲んで神に感謝することがあったようです。



 漢字「福」は、酒を神に捧げ祈り幸せを願う行為の一環として酒は親しまれてきたのですが、この世の中のには、酒におぼれ暴走する人びとが跡を絶ちません。

 それはさておき、漢字というものは生まれてから時が経つにつれ、概念が次第に乖離し新しいものに変質するものであることを示す証拠がこの「福」という感じのような気がします。


引用:「汉字密码」(P824、唐汉著,学林出版社)
漢字「福」は、酒を神に捧げ祈ることです
 「福」は会意文字です。甲骨の言葉「福」は左右の構造から成り立っている。左側は神のメインシンボル的なものを表す「示」、右側は酒器を表す「酉」です。

 酒は豊かな生活を象徴しています 完全に、狂気の状態で人々を熱狂させる一種の幸福な感覚にさせることができるので、ワインで祖先と神霊を祀ることは、福を乞い神に報いるという福の二重の意味を持っています。

 金文の「福」という言葉は、甲骨文字に似ており、小篆は将に酒器を縦に割った形です、楷書はこの関係で福と書きます。





漢字源の解釈
会意兼形声。神の恵みが豊かなこと。ネ偏+畐(酒を徳利に豊かに満たした様)の会意文字で神に酒を満たし感謝し恵みを願うことを言う。



結び
 漢字「福」は、酒を神に捧げ祈り幸せを願うことです。漢字というものは生まれてから時が経つにつれ、概念が次第に乖離し新しいものに変質するものであることを示す証拠の一つがこの「福」という感じのような気がします。 これ以外に「宴」という漢字などのように原義と乖離した使い方がされているのも少なくありませんし、漢字の面白いところは将にそこにあると思います。



「漢字の起源と成り立ち 『甲骨文字の秘密』」のホームページに戻ります。

2020年9月25日金曜日

漢字「柳」と楊:柳行李は楊行李とは書かない。それは「柳」と「楊」は違うからだ


漢字「柳」と楊:柳行李は楊行李とは書かない。それは「柳」と「楊」は違うからだ
 柳行李は楊行李とは書かない。それは「柳」と「楊」は違うからだ。では漢字の「柳」と「楊」はどう違う?

 今ではほとんど見かけなくなった柳行李ですが、コリヤナギというヤナギ科の落葉低木の皮で編んだ衣装ケースのことです。ほんの50年間には日本のどこの家にも見られたものです。

比較的安価で通気性にも優れ、軽いので運搬するのにも適していたために、日本では長く用いられてきました。

 歴史は古く、奈良時代にまで遡るそうです。

 背がそれほど高くないために、川べりや街路樹として用いられました。また、諺として「柳の下に泥鰌は居ない」などがあり、一度うまくいったからといって、再びうまくいくとは限らない」という意味に使われます。

 上の画像は、ウィキペディアからのものです。

引用:「汉字密码」(P160、唐汉著,学林出版社)
唐漢氏の解釈
 「柳」は「卵、木」から構成された字です。 「卵」は、象形文字で、胎盤からの胎児の分離を意味しており、オブジェクトのさまざまな部分の動作を指します。 柳の木の枝は柔らかく、きれいに整えられて垂れ下がっていますが、それぞれが風に揺れます。 したがって、人々は「木」と「卵」を使用して「柳」という言葉を作成しました。



「柳」(Goo国語辞書参照
 ヤナギ科ヤナギ属の落葉樹の総称。一般に湿地に多く、低木または高木で、葉はふつう互生する。雌雄異株。主に早春、花が穂状か尾状につき、種子は白毛があって風で飛び、柳絮 (りゅうじょ) という。街路樹や庭園樹などにされ、材は器具・薪炭用。コリヤナギ・ネコヤナギなど多くの種があるが、葉の細長いシダレヤナギをさすことが多い。

唐漢氏の解釈
「杨ヤン」の繁体字は「楊」です。










「楊」(ヴィキペディア参照)
 枝が立ち上がる種類(ネコヤナギやイヌコリヤナギなど)のことをいう。落葉性の木本であり、高木から低木、ごく背が低く、這うものまである。 葉は互生、まれに対生。托葉を持ち、葉柄は短い。葉身は単葉で線形、披針形、卵形など変化が多い。 雌雄異株で、花は尾状花序、つまり、小さい花が集まった穂になり、枯れるときには花序全体がぽろりと落ちる。ただし、外見的には雄花の花序も雌花の花序もさほど変わらない。雄花は雄しべが数本、雌花は雌しべがあるだけで、花弁はない。

結び
 以上「柳」と「楊」の違いを見てきたが、感じは確かに違うが、実際には、かなり混同して使われてきたようだ。漢字には生まれは違っても、使われていくうちに、混同されたり、あるいはまったく別のものになったり、漢字がまるで生き物のように見えることがある。

 柳と楊、赤と紅など感じは違うが同じような意味を持つ漢字がいくつかあります。今後少しずつ違いをはっきりしていきたいと思います。



「漢字の起源と成り立ち 『甲骨文字の秘密』」のホームページに戻ります。

2020年9月21日月曜日

我田引水の漢字「引」の意味するものは・・?


漢字「引」:我田引水の「引」の意味するものは・・?
「我田引水」という四字熟語ご存知でしょうか。我田引水とは、他人のことを考えず、自分に都合が良いように考えたり、ものごとを行ったりすること。読んで字のとおり、自分の田んぼにだけ水を引き入れる意です。

 少し意味合いが違いますが、「牽強付会」という似たような言葉があります。これは、自分の都合のいいように、強引に理屈をこじつけることです。

 トランプ大統領のいう「アメリカファースト」という言葉は、我田引水の最たるものでしょう。また自分が不利になると、ことある毎に、「それはデマだ」というデマを流すのは、「牽強付会」の典型的なものでしょう。それを見習った安倍政権にもずいぶん屁理屈なこじ付けを見せ付けられました。


 さてここでは「我田引水」の「引」の字を分解してみましょう。

引用:「汉字密码」(P571、唐汉著,学林出版社)
唐漢氏の解釈
 「引」、これは会意文字です。 甲骨文字の形の左側は「弓」の絵文字であり、弓線の点線は発射する前に弦が後ろに引っ張られて、移動することを示しています。右側は手に持った矢の形です。 小篆の「引」は右手の形を省略し、硬さを保持しています。これは、「矢」が「弓」にかかっていることを意味します。

  「引」、「説文」は「引、開弓也」と解釈されます。矢は弦の上に置かれ、弓でいっぱい引いて、発射の準備ができたことを意味しています。

字統の解釈
 「字統」では説文の「引、開弓也」の解釈を引用していますが、初文がないので確かめようがないとしています。




結び
 甲骨文字の字形から見ると、矢をつがえ、将に弓の弦を引かんとする様に見えますが、このことから、物を引っ張たり、手まれに引き寄せたりすることを「引」としたようです。

「射」という漢字は、この引くという動作から「射」という一連の動作の動きが、漢字に表されているようで、非常に面白く思いました。






***<コロナの引きこもりのお相手にいかが>*****


***<以上 Sponsored Proposal>*******



「漢字の起源と成り立ち 『甲骨文字の秘密』」のホームページに戻ります。