気ままな散歩

2021年1月31日日曜日

漢字「節」の成り立ちと由来:竹カンムリと「即」からなる。竹節を使えば、即食器にも煮炊きもできることを字で表現した


漢字「節」の成り立ちと由来:竹カンムリと「即」からなる。竹節を使えば、即食器にも煮炊きもできることを字で表現した
 今年の節分は2月3日ではなく、2月2日だ。中国での節分の節は「节」と書く。竹カンムリではなく、草カンムリではなくである。この場合「木に竹を接ぐ」ではなく「竹に草を接ぐ」ということだろうか?
 この場合漢字「節」の持つ本来の意味は失われてしまう。機能性を追求したがために、合理性を失ってしまった典型というべきかもしれない。



引用:「汉字密码」(P198、唐汉著,学林出版社)
唐漢氏の解釈
 金文と小篆の字は竹と音声とからなる。上辺は竹冠で節の類属で下辺は即である。意味は竹節で即おわんとしても作れるし、又竹筒で即ご飯を煮炊きできる。これは一種の直ちに調理具に用いることができる材料選びだということを字で表現したもの。

 「節」は俗にいう竹の節のことだ。だから一段一段となっており、だから骨の節、関節にも拡張される。時間を一段一段分けるのにもつかわれ、季節という言葉も出来た。清明節、重陽節、春節など。 古人は竹節が竹に制約する作用があることを知っており、事物に制約の意味を産んだ。節制、節省、節約など。当人の行為が制約を受けたとき、礼節、気節、節操など。所謂、玉は壊しても白は変わらず、竹は燃やしてもその節は壊れない。これは説が道徳上意義を高めることの描写だ。

 この解釈はあまりに俗的な解釈なので、本当かなと思ってしまう。しかし、文字の解釈はこんな要素も許されてもいいのでは。しかし、金文を見る限り、実に巧みに表現されており、この解釈がそれほど突飛であるようには思えなくなる。


参考記事:
漢字「即」の成り立ちと由来:食事を山盛りにした食器の前に坐ること、節分の「節」を構成する要素になっている


まとめ
 漢字がいろいろの民族で使われるうちに変形することはやむを得ない。だからこそ、漢字の成り立ちを学ぶ中で、その歴史やその文化を担う民族性まで触れることになるので興味は尽きない。



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2021年1月30日土曜日

漢字「衛」の成り立ちと由来:城や村を取り囲んでぐるぐる回っている様を表す。原義は城邑に対して、村と街の護衛という意味


漢字「衛」の起源と由来:城や村を取り囲んでいる様を表す。城邑に対して、村と街の護衛という意味だ
 『衛』という言葉は、中国では「卫」と書く。繁体字のあるいは我々の馴染んだ「衛」とい意味も何もかも失われてしまっている。

 言葉が実態を忠実に反映したというべきか。
 ベトナムが最近言論統制を強めているといわれる。かつて民族の闘いの先頭に立っていた前衛党の姿はもうそこにはない。前衛党という看板は、彼らの言う民族の敵を倒した後は、「前衛」という言葉は押入れの奥にしまい込んでしまっているのではないか。

 ここで前衛の「衛」という漢字の起源と成り立ちについて、振り返って見る。


引用:「汉字密码」(P571、唐汉著,学林出版社)
唐漢氏の解釈
卫の繁体字は『衛』と書く。も原本は会意文字である。甲骨文字の衛の字は上部は足が左向いた形で、下部は足が右を向いた形である。中間の□は邑、集落を示している。全てで人の足で城邑を取り囲んでいる意味だ。城邑に対して、村と街の護衛という意味だ。金文の衛の字は甲骨文から分化して、且つ両側に行の形が加えられ、道路が四方八方に通じていることを示している。明らかにこの衛の字は城邑の護衛だけではなく交通の要衝の護衛の意味も加えられている。また交通要衝の軍営的護衛も見えてくる。造字法則の上から述べると後一つの衛の字は外形内声的形成字である。 


漢字「衛」の漢字源の解釈
 会意兼形声。□の場所を足が左、右の方向に巡っている姿をします会意文字で、外側をぐるぐる回ること。後にギョウニンベンがついて、外側をめぐって中を守ることの意味になった。


漢字「衛」の字統の解釈
 声符は韋。韋は城邑の形であるの上下を巡回する形で、それを行の間に置いた形声文字が「衛」である。衛とは城邑を護ること。


まとめ
 簡体文字は漢字の複雑な構成を簡単にして、覚えやすくしたといわれるが、そのことによって漢字が3500年間伝えてきた文化を失ってしまっている。



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漢字「客」の成り立ちと由来:家を表わすウ冠と「来る」を意味する各の会意で「家に来る」の意


漢字「客」の成り立ちと由来:家を表わすウ冠と「来る」を意味する各の会意で「家に来る」の意

引用:「汉字密码」(P742、唐汉著,学林出版社)
唐漢氏の解釈
 「客」、これは会意と形声文字です。 中国語の文字「客」の上部は部屋の形で、下部は「来る」を意味する「各」です。 両者の会意で「家に来る」という意味です。 その中の「各」も又表音文字であるため、これは会意兼形声文字です。
  小篆と楷書の文字「客」の字は、金文から継承されています。

 「客」の本来の意味は到来です。拡張されて来客賓客になりました。
 また拡張されて、異国に住む、旅で滞在することの意味である。
「現代の中国語では、「客」は主にゲストを指し、単語の意味は「顧客、観光客、外国人ゲスト」などの「ホスト」とは逆です。

 
漢字「客」の漢字源の解釈
 会意兼形声。各とは足が四角い石につかえて止まった姿を示す会意文字。客は「ウ冠(屋根、家)+音符各」で、他人の家にしばし足がつかえて泊まること、またはその人


漢字「客」の字統の解釈
 ウ冠と各に従う。ウ冠は廟屋、各は祝祷して神に祈り、神霊がそれに応えて下降する意味で神のいたることをいう。


まとめ
 会意文字家で、ウ冠と「来る」を意味する各から「家に来る」の意を表す


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2021年1月28日木曜日

特措法・感染症法改定議論に見る「罪と罰」:罰を決めるにはその罰の対象となる罪を明示的に規定しなければならない


特措法改定議論に見る「罪と罰」
 特措法・感染症法改定議論に見る「罪と罰」:罰を決めるにはその罰の対象となる罪を明示的に規定しなければならない

今国会で特措法及び感染症法の改定案が審議されている。その改定の最大のポイントは「営業時間の短縮要請に従わなかった飲食店への過料や、感染症法の改正案での入院を拒否した患者への懲役刑」の2点だ。

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

犯罪とは
 通常社会的に明らかに有害または危険とみなされて禁止され,刑罰法規により有罪とされる行為のこと。社会現象としては,必ずしも有罪とされない行為も含め,より広義に用いられることもある。何が社会的に有害であり危険であるかに関しては,多様な見解が存在する。立法機関は,ときに強力かつ声高な少数派の影響を受け,特定の団体のみに益のある法やその団体の見解のみが反映された法を制定する場合がある。これらの法は一般の利益に矛盾し,一般の道徳的信念に反することもあり得る。このように,犯罪の概念は文化や時代に非常に左右されやすく。いかなる行為も万国共通の犯罪とは断定し難い。


  私はこの国会での議論に非常に危ういものを感じる。それは特措法の議論の中で、まず「罰則」が取り上げられている。飲食業者への過料と入院拒否患者の懲役刑」だ。そもそもここで刑罰が想定される犯罪というものは何だろう。「罪」とは、社会的に明らかに有害または危険とみなされて禁止され,刑罰法規により有罪とされる行為のことをいう。
 ここで飲食店の犯した或いは侵す怖れのある「罪」とは一体何だろう。飲食店が営業時間の短縮要請に従わなかった場合、社会的に明らかに有害または危険はどう及ぶのだろうか。営業時間の短縮要請に応じなかった行為によって、新型インフルエンザの蔓延阻止にどれだけの影響が出るのだろうか?

 その影響について何ら根拠も示さずにこういった法律を施行しようとするのは、「つべこべ言わずに従え」ということと全く同じこととなる。


引用:「汉字密码」(P632、唐汉著,学林出版社)
"辠”は奴隷の鼻を切り取ることを示している  "辠”は“罪 "の初文字であって会意文字である。金文の "辠 " の文字の上部は "自 " で、鼻を示しており ;下部は "辛 " で、奴隷を示している。両の会意で、奴隷の鼻を切り取ることを示している。
 《説文》は "辠を解釈して、「法を犯す」なり、辛と自とから、いわゆる法を犯した者は鼻をしかめて苦辛の憂と言う意味となった。




始皇帝は「辠」の字が皇に似ているということで「罪」に改めた。
 図の示すように、小篆の "罪 " 文字二つがある、一つは金文の "辠 " から来ていて、もう一つは秦始皇が命令して作った新しい "罪 "の文字である。"罪 " の文字 を作って以降、「罪」は、法網に捕捉した下の非法の人を示している。

苟子の必罰主義 
 "罪 "(辠 ) の本義は犯罪者で、古代の割鼻の刑も示している。また拡張されて法を犯す行為、即ち犯罪をいう。《苟子・王制》にあるように、功無く褒めることもしないのは、罪もなく罰することもしないのである。"犯罪を犯した後、必ず処罰される、鼻を切り落とされ非常に苦しい目に会う。

 だから、"罪 " は又拡張され苦痛、例えば "受罪"の様に使う 。

 古代の帝王はたまたま天災と人災があったとき、人民反抗を緩和するために、往々にして"罪己诏 "を公布し、自責することを示す。ここの "罪 " の意味はいわば "呵責 " という意味だ。


字統の解釈
 会意文字:正字は「辠」。自と辛に従う。自は鼻の象形。辛は入れ墨に用いる針器の形。古くは罪あるものには、鼻に入墨をしてその刑を示した。


まとめ
  罰は非なる行いがあらかじめ定められないと無原則的な罰則の適用となる怖れあり。従って営業時間の短縮要請に従わなかった飲食店や入院を拒否した患者が具体的に如何なる罪を犯したのかもしくは侵す怖れがあるのかを明示的に規定することは何よりも大切なことである。


参考記事: 「罪と罰」: 漢字の起源と由来

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2021年1月24日日曜日

漢字「弓」の成り立ちと由来:原始的な弓は、木で、単弓であったはずです。商代になって、2層の材料を貼りあわせた合体弓になった。


漢字「弓」の成り立ちと由来:原始的な弓は、木で、単弓であったはずです。商代になって、2層の材料を貼りあわせた合体弓になった。
漢字「弓」の原義は弓である。拡張され弧に関係するものも弓偏がつくようになった
引用:「汉字密码」(P571、唐汉著,学林出版社)
唐漢氏の解釈
 「弓」は象形文字です。甲骨文から見ると左辺は弓の背で右辺は弓の弦です。将に古代武士が使用していた強弓のようです。甲骨文のもう一つの一款と金文の形は弓の背とつるを省いたものです。実際上弓は使ってないときは弓の弦を外した形が描かれている。小篆大体金文と同じでまだ弓の様相を持っています。楷書からは弓の形を見出すのは難しくなっています。

 原始的な弓は、弦は木で、単弓であったはずです。商代になって、2層の材料を貼りあわせた合体弓になった。この種の弓は使わないときは背の方に反り返っており、使うときにようやく弦で引っ張って湾曲するようになります。このことから複合弓と呼ばれます。『考工记• 寻人(インタビュー』では弓を作るのに用いるのは、乾いた角、筋、接着剤、糸、漆など六材です。このときの製弓技術は相当の進歩を遂げています。古代と中世期全体で見ても、中国のこの種の技術水準を越すものはまだありません。

矢の発明人類技術の一大進歩です。華夏民族は機会の利用原理を会得しており、弓を使うとき力を加えて引っ張って変形するとき、ためて放す量、手を開放すること、剛体が速やかに回復して原状に戻ることと同時に溜めた力を猛烈に解放することができるか、弦上の矢を引きとめて、弾が有力に射出することなどの技術を会得していた。


漢字源の解釈
  象形。弓の形を描いたもの。


字統の解釈
 弓体の形。「説文」に窮むるなり。地下記をもって遠きを窮むるものなり」と、弓・窮の音の通ずることを持って説いている。



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漢字「保」の成り立ちと由来:一人の人が嬰児を背中に負ぶった状態を示す


漢字「保」の成り立ちと由来:一人の人が嬰児を背中に負ぶった状態
 古代の漢字を見ていると、子供や嬰児を古人たちが如何に 大切に育て、慈しんでいたかを示す漢字を発見することがある。この漢字「保」もそのような漢字である。見ていてほほえましい。

引用:「汉字密码」(P544、唐汉著,学林出版社)
唐漢氏の解釈
  「保」は会意文字です。幼児は歩くことができず、いかに保護するか、容易ではありません。常に見て助ける方法は嬰児を胸に抱くか、背中に負うかです。甲骨文と金文の「保」の文字は人が嬰児を背中に負っている形です。右下の1点は大人が背中に手を当てて保護していることを表示しています。
 小篆の字体は書き方の上で対称に平衡にしています。又子供の左下に1点を加えて元来の象形の意味が跡形もなくなっています。「保」の字の本義は「保護、守衛」の意味です。


漢字源の解釈
  会意兼形声・。保の古文は呆で、子供をオムツで取り巻いて、大切に守るさま。


まとめ
 古代の漢字を見ていると、子供や嬰児を古人たちが以下に大切に育て、慈しんでいたかを示す漢字を発見することがある。この漢字「保」もそのような漢字である。見ていてほほえましい。今の世で時に耳にする子供を捨てたり、蔑ろにしたりすることは漢字の上では見当らない。

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地に堕ちたアメリカ! アメリカは合衆国、合州国のどちらの国名がお似合い? 


地に堕ちたアメリカ! アメリカは合衆国、合州国のどちらの国名がお似合い? 
アメリカは合衆国、合州国のどちら?
アメリカの新大統領はバイデンはようやく政権の座につくことができた。特に移行期間中トランプ支持者が議会に乱入・占拠した有様を見て、世界中の人びとが驚愕したことだろう。私もその一人だ。

 「なんだ!この有様は?目を疑い、失望し、実に情けなく感じた。世界の自由と民主主義を標榜した国が・・。こんなどうしようもない国だったのか?こんなどうしようもない国に振り回されてきたのかと思うと、自分たちの不甲斐なさに情けなくなった。殆どの責任はトランプが負わねばならないとしても、アメリカの少なくとも7100万人の人びとがトランプに追随し、彼の撒き散らすデマと口車に乗っかり、彼を支えてきたのも事実だ。

 そのアメリカでは、銃を撃つ自由を叫び、ある口実が付けば、いともたやすく殺人すら可能だ。マスクをしない自由は、他人に病原ウイルスをばら撒く自由にも繋がっている。自由を守れと、他国に侵略する自由を叫ぶ。核兵器から自国民を守ることを口実に、世界中に核兵器でにらみを利かせる自由を主張する。これが『もう一つの真実だ!』

実態から見て、アメリカの国名は「合衆国」と「合州国」のどちらが相応しい?
  アメリカの国名は「United States of America]だ。その政治機構は独立性の高い48の州から成り立った連合国家だ。従ってこの日本語の呼び名は「アメリカ合州国」の方が正確ではないかと思っていた。しかし特に大統領選挙の中で見せたトランプの挙動とトランプ支持者の妄動を見て、今のアメリカは日本の呼び名の「アメリカ合衆国」が最もふさわしいと感じた。ここでいう「合衆国」の「衆」は烏合の衆の「衆」だ。
 なぜ合衆国となったかについては、以下の論文に考証されています。これによると、清朝とアメリカの条約締結時に「合衆国」と定められたとある。
「なぜ United States を合衆国と訳したのか」(高原正之、大正大学研究紀要104号)


引用:「汉字密码」(P352+P293、唐汉著,学林出版社)
漢字「衆」の起源と成り立ち
 衆は会意文字である。甲骨文字の形は上下結びついた構造をしている。上半分は「白」の形で目標あるいは目的地を示している。下半分は三個の人が組み合わさった形である。両形の合意で多くの人が同一の目標に向かって行進していることを表示している。衆の形は歴史上大変大きな変化をしている。
  金文では甲骨文字の白が眼に変わっている。小篆では上半分はさらに横に書いた「目」に変化している。 楷書の繁体字の字形は上半分の横目はもう一歩変化し皿になっている。下半分の3人の人は字形とは見分けが難しく変化している。簡体字になって众と書き、3人の人を表し、簡潔明瞭になった。「衆」の字のの本義は多くの人が同一目標に向かって進むことである。3人が一つの目標を見つめるということでも問題はない。それとも3人が敢えて地の同盟を結ぶということでもある。すべて衆人の意味である。「大衆、群衆、聴衆、観衆」などの言葉の中の「衆」の字の髯は皆多くの人を示している。

漢字「州」の起源と成り立ち
州は象形文字である。甲骨文字の州の字の上に小さな丸い点が加えられている。これは泥や砂が堆積し小さな陸地になっていることを示したものだ。このことより州の本義は水中の陸地のことだ。説文は州とは水中で人がすむことのできるもので、周りは水だ。その説と甲骨文は完全に符合している。

 行政区画と水中の陸地の両種の区別のために、後の人は州にサンズイを加え、「洲」を亚洲、美洲、欧洲、北美洲、南美洲、大洋洲、南极洲 "のように水中の陸地とし、大陸と付近の諸島と区別した。周囲は皆大海で、洲を表示させた。

 一方「州」は行政区分をチベット自治州や揚州のように表示するのに用いた。



まとめ
  「アメリカ合衆国」と国際的に定式化されたのは清朝の末期のアヘン戦争のあったころだ。
 今更呼称を変えようもないが、残念ながら今のアメリカには自由と民主主義を主張する権利も資格もない様に思ってしまう。資本主義の終焉が叫ばれている中、アメリカが以前の力を取り戻し、国際的な威信を取り戻す日が来るのだろうか。

 そんな日が来るか来ないかにかかわらず、これからの世界は大変な時代に突入したような気がしている。

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2021年1月23日土曜日

漢字「喜」の成り立ち:鼓を打って神を喜ばせる意。神を喜ばせることが、ごちそうを供え、音楽を奏して大衆自身が喜ぶようになった


漢字「喜」の成り立ちと由来:「壴」は台の付いた器にうずたかく食物を盛って飾りつけた様
 昔から大衆的に喜びを表現するのには、太鼓を打ち鳴らし、ごちそうを食べ、踊るのが定番であった。
 しかし、それは最初の形態は神に祈り、神に対する感謝であったはず。それが、自分の喜びでもあったろう。いつしか神の感謝と大衆の喜びが分離し今日の形となったのは自然の成り行きであろう。神の存在が人々の心から消え去るとき、漢字はどんな変化を遂げるであろうか。



引用:「汉字密码」(P807、唐汉著,学林出版社)
唐漢氏の解釈
「喜」、これは会意文字です。甲骨の碑文「喜」は上下の構造が結びついており、上部は「壴」(太鼓をまっすぐに立てた形)、つまり「太鼓」の絵文字であり、下部は口です。つまり、口はドラムの音に倣っています。古代文献《礼记•乐记》曰く、凡そ音が発するところ、人の心が生まれるもの。心が動いて、物を然るべくする。物に惑い動くので、声が形づくられる。」


漢字源の解釈
  会意文字:「喜」は「壴+口」からなる。「壴」は台の付いた器にうずたかく食物を盛って飾りつけた様。または鼓の左側と同じと考え、飾りつきの太鼓を立てた様とも解する。「喜」は「壴+口」。ごちそうを供えまたは音楽を奏してよろこぶことを示す


字統の解釈
 会意文字「喜」は「壴」と口に従う。壴は鼓、口はサイで、祝禱を収める器。神に祈り、鼓を打って神意を喜ばせる(楽しませる)意である。神に祈ることが原義。すなわち神楽であって、人が喜笑する字ではない。


まとめ
 「喜」の原義は、鼓を打って神意を楽しませる意である。最初は神に祈り神を喜ばせることが目的だったかも知れない。しかし、殆どすべての祭祀の例に漏れず、神に感謝したり神を喜ばせることがやがて、民衆の楽しみと宗教的な色彩が分離し、ごちそうを供えまたは音楽を奏して自分自身の喜びを示すようになったものであろう。

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2021年1月22日金曜日

漢字「引」の成り立ちと由来:弓に矢をつがえ、引いて発射するのに満を持している様


漢字「引」の成り立ちと由来:弓に矢をつがえ、発射するのに満を持している様

引用:「汉字密码」(P571、唐汉著,学林出版社)
唐漢氏の解釈
「引」、これは会意文字です。 甲骨文字の形の左側は「弓」の絵文字であり、弓線の点線は発射後の弦の振動を示しています。右側は手に持った矢の形です。 小篆の「引」は右手の形を省略し、硬さを保持しています。これは、「弦」が「弓」にかかっていることを意味します。
 「説文」は「引、開弓也」と解釈されます。矢は弦の上に置かれ、弓でいっぱい引いて、発射の準備ができたことを意味しています。

 成語で「引而不发」(弓を引き絞ったままや放たず満を持す)という中の「引」という言葉は、弓を引き絞るという意味です。「引」という言葉は、弓を引くという意味で、また拡張された別の言葉で、「引导、引起、引用」などの意味も持ちます。


漢字「引」の漢字源の解釈
 会意文字である。「弓」と縦線の二つで、弓を直線状に引くさまを表すとしている。


漢字「引」の字統の解釈
 漢字源の解釈と同じ。


まとめ
 この文字は、成り立ちも明瞭で、解釈も学者によりあまり差異はない様である。


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2021年1月19日火曜日

漢字「祭」の成り立ち:肉と又(手を表す)と示(祭卓)からなる。太古の祭りは残酷だった

2021年1月19日 再録

漢字「祭」の成り立ち:生贄を神に捧げる儀式を表現。太古の祭りは残酷だった
 今「祭」は神から離れ現世の喜びを享受を意味する漢字となった?


 祭りには文化祭、歌謡祭、感謝祭、音楽祭など色々あれど、神々の匂いを感じさせるものは今はあまり見ない。なぜ変わった? 漢字の変化ではなく人々の意識の変化?即ち生活の変化?
 上古先民は神を喜ばせ、神の施しを受けることで自分たちの命を永らえることができると信じていた。「祭り」はそのために生贄を生きたまま神に捧げるという残酷な儀式であった。上古先民は血の滴る肉片を祭卓に載せ神に捧げることを進んで喜んで行っていた。 したがって祭りは神に祈りを捧げるための重要な儀式であった。そして漢字「祭」にはそのことをあからさまに示す跡が残されていた。

しかしながら、今では、神社の祭りにしても神々の匂いを感じさせるものは今殆ど見ない。ともすれば、我々は現在の尺度で、物事を見てしまうことがよくある。しかし、今の尺度で物事を見るのではなく、過去は過去の尺度で物事を見るという歴史的な視点が必要である。

 したがって、祭りを調べれば、神々と人間の係わり、言い換えれば人間の精神の進化が跡付けられるはずだ。

「祭り」は生贄を生きたまま神に捧げるのは、現在から見るときわめて残酷な儀式であった。

 その痕跡は世界各地に残された数々の痕跡。
 ともすれば犯罪を犯しているかのごとき評価をすることさえ見受けられる。
  •   日本では、魏志倭人伝には卑弥呼の死に際して、100人あまりの奴婢が殉職させられた記録や諏訪大社の御柱にまつわる伝説、静岡県三股淵の付近では人身御供を伴う祭りが12年毎に行ったという言い伝えが今でも残されている。これは神の怒りを静めるための祭りであったといわれている。

  • 中国では 殷代の紂王以前には、生贄を捧げられ、神の意思を確認したとみられる甲骨文字が出土している。また、殷墟からは850人もの軍隊の人骨や戦車が出土している。あの残虐非道といわれる紂王ですら、奴隷の生贄を中止させたといわれる「慈悲」の心を持っていたと伝えられる。その行為が彼の「慈悲心」から来るものなのか、生産性が下がることを恐れる「合理性」からくるものかは今は分からない。

  • 現代のペルー首都に近いところで1400年代に栄えたチーム王国で140人以上の子供と200頭以上のリャマの生贄して捧げる儀式が行われミイラが残されている

  • また、アルゼンチンの北部の山頂で1999年、インカ帝国時代の子どものミイラ3体が発見されており、保存状態が極めてように安らかな表情で調べているということである。

  • 古代メキシコに出現し強烈な輝きを放ちながらわずか200年ほどで消滅したアステカ王国では、壮大な生贄の祭りが行われたその真髄は人間の血を神々に捧げ神の生き血を人間がいただくことであった。


 このように世界各地の民族で、時の権力者たちが、多くの生贄のささげ、自らの権力を保持するために壮大な祭りを取り行って来た。祭りは現代で喜びや華やかさのみが残ってはいるが、その歴史は実に血生ぐさい歴史の連続であった。

祭りにおける神への祈りと喜びを享受することが乖離
 しかし生産の発展とともに、人々の神への依存が少なくなって、祭りにおける神への祈りと喜びを享受することが乖離するようになった。
 祭りには文化祭、歌謡祭、感謝祭、音楽祭など色々あれど、神々の匂いを感じさせるものは今は殆ど見ない。そして、近頃では、例えばハロウィーンの祭りの如く、人々がかぼちゃの仮面を被って娯楽の側面がクローズアップされているが、、これはもともと「収穫祭」といわれ、収穫の喜びを表わし、神々に感謝の意を示すものでした。
 ところがこれに商業主義が乗っかり、神に感謝することからはなれ、単なるお祭りで騒ぐことに変化してしまっています。

 この原意との乖離の是非はともかく、漢字の世界にも同じようなことが起こっています。

 お祭りで楽しく過ごすこともいいのかもしれませんが、元々は、そもそもは「祭」は神に祈りを捧げるための重要な儀式であったということを思い起こし、一歩後ろに下がって考えてみることもいいことではないだろうか?



引用:「汉字密码」(P819、唐汉著,学林出版社)
唐漢氏の解釈
 「祭」、これは象形文字であり表意文字です。甲骨文にある「祭り」という言葉、右は又(手を表します)、左は肉片、中央の小さな点は肉片に滴り落ちる血を表しています。全体的な意味は、古代の祖先が先祖の神々に犠牲を払うために殺されたばかりの新鮮な肉を使用した儀式を意味しています。
 金文の「祭」という言葉は、血の滴のドットを省略していますが、犠牲の主題と方法を強調して、祭壇または祖先の位牌を表す「示i」という言葉を追加しています。
  小篆の「祭」は、金文を継承し、美しい字体とより対称的な構成になっています。楷書では、この関係で「祭」と書かれます。

上古先民の死生観と祖先を祭ることをどう考えたか
 殷王朝と商王朝の祖先の概念では、先王と皇族は死後、別の世界(亜:かりそめの世界)に行くだけでした。彼らは2つの世界(つまり「复」の構造)を自由に行き来し、現実の世界を支配することができると考えました。(福をもたらし祟りを作る)。

 心の中で常に祖先の霊に対する畏れが膨らんでしまった結果として、祖先は、祖先の神々が何を差し置いても現実の物質的な文明をも楽しむ権利を持っていると信じていました。

 そのため、牛、羊、豚、鶏、犬などの動物、米、穀物、エッセンス、粉などの作物、翡翠、貝、女妾、男の奴婢など、あらゆる物が焼かれたりて埋められたり、河に流したり、お供えをしたりするなど、当然やるべきことを進んで行い祖先の心霊に捧げました。先祖や神々からの祝福や災いを取り除くことを願うと引き換えに、先祖の霊に捧げ献身しました。これが「祭」です。



字統の解釈
新石器時代の祭卓「示」
会意文字。肉と又と示とに従う。示は祭卓です。その上に肉を供えて祭る。祀が自然神を祀るときの字であるの対し、祭は人を祭るときの漢字である。



結び
 祭りは神に人間が生きていること、この世界に自然という恵みを与えていることに対する感謝を表すという崇高なものでした。しかしその実際の姿は、人身御供の世界があり、単に稲や果物や魚などの珍味だけではなしに、奴隷たちが焼かれたり生き埋めにされたりする世界がありました。時には生きたまま体を切り裂かれ内蔵を引き出されるというおぞましい世界もありました。
 人類の歴史には綺麗ごとだけでなく、生々しい惨たらしい世界が長く続きました。そして何より、人類はそのような血だらけになりながらの歴史の中で生きてきた結果として今の私たちがあるということです。

 そしていまでは、祭りには文化祭、歌謡祭、感謝祭、音楽祭など色々あれど、神々の匂いを感じさせるものは今は殆ど見ない。私たちが今見ている世界は、最初から出来上がったものでは決してなかったことを肝に銘じておく必要があります。漢字の中にはそれがしっかりと刻まれています。私たちは、漢字を通して人類の苦悩に迫ることができます。それもまた私たちの人間の使命だと思います。


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2021年1月18日月曜日

漢字「間」の由来:古代の「間」の字は「門」の中に月であった。門の中に月(肉を意味する)を置いて祈祷した名残りだろう


漢字「間」の由来:古代の「間」の字は「門」の中に月であった。門の中に月(肉を意味する)を置いて祈祷した名残りだろう

引用:「汉字密码」(P261、唐汉著,学林出版社)
 间は間の簡体字であり、会意文字である。金文の間の月が門の上にあり下は門である。月光が2枚の開き扉の間から差し込んできている様を表示している。本義は隙間ということだ。小篆は将に月が門の上から、中に移っている。楷書では簡単化の過程でJianと読み、间と書く。説文は解釈して隙なりとする。





漢字「間」の字統の解釈
 正字は門構えに月に作り、門と月に従う。「説文」に「隙なり。門と月に従う」とする。この字(古文)は仆に従う形で、卜の字形を含んでいる。この古文の字は、門中に肉をおいて祀り、安静を祈願するいみ。

ただし何れの解釈でも、月が日にどうして変わったのかの説明に乏しい。


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2021年1月17日日曜日

「震」の起源:雨と辰からなる。辰は蜃(ハマグリ)の初文で、ハマグリの挙動が地震の予兆に用いられた?


「震」の起源:雨と辰からなる。辰は蜃(ハマグリ)の初文で、ハマグリの挙動で予兆に用いられた
 1月17日は阪神淡路大震災のあった日だ。私もそのとき神戸にいたが、その強烈な揺れに恐れおののいたものだ。

 地震の震は漢字で雨+辰とかく。雨は気象現象を表す一種の記号だが、その下の「辰」は蜃の象形であり、且つ初文である。
 蜃はハマグリの意味で、昔はその動きを占いに使ったという。地震の予兆に蛤が使われたな残りが漢字として残っているのだろうか。


引用:「字統」(P477、白川静著,平凡社)
字統の解釈
形声 声符は辰。辰に振動の意味あり。辰は蜃の象形で、蜃の状態によって卜う方法があり、振動・震驚のことをも蜃が予兆した。《説文》に「霹靂、物を振はすものなり」とあり、霹靂とは擬声語で雷鳴をいう。
ここでいう蜃はハマグリのことを言う。声符は辰。辰は象形で蜃の初文。その肉は呪的な意味を持つものとして、祭儀や予兆のことに用いられた。


まとめ
 「震」の起源:雨と辰からなる。辰は蜃(ハマグリ)の初文で、ハマグリの挙動で予兆に用いられた。古代人はハマグリの動きで地震の予兆を占っていたのだろうか。近代になっても、鯰が暴れたら地震が起こるという予兆現象が語り継がれているが、3500年前と大して代わりのないことをやっているものだ。人間の進歩はあまりないのだろうか。


参考ページ
 地震は単に東北地方だけではなく、日本のすべてを揺り動かした:震の語源と由来


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2021年1月15日金曜日

漢字「解」の成り立ちと由来:牛の解体が漢字になった。牛が社会の中で重要な役割を果たしていた証拠


漢字「解」の成り立ちと由来:牛の解体が漢字となった
 動物の所有の中で、牛の人類の生活の影響は大変重要である。先住民たちは遊牧でもって生活手段を得るとき牛は放牧しやすく体格は大きく遊牧民にとって牛は重要な財産の指標となった。農耕時代に入ると牛はその力が大きいために苦しい労働に耐え農耕に不可欠の労働力になった。先住民の生存のよりどころにもなった。中華民族の三皇の一人炎帝乃至神話伝説中のいわゆる「神農」は農業の神様のシンボル的存在であるが《史记》の記載によれば「体は人で、首は牛」といわれている。このことから牛は農耕文化において、重要な位置を占めていたと考えられる。牛は先住民の目から見て、家と財物の代表している。牛があれば一切あることに等しいので、このことから一切のものに共通の名前は「物」と呼ばれる。  
引用:「汉字密码」(P20、唐汉著,学林出版社)
  甲骨文字の解の字は一頭の牛と牛の角を両手で掴んでいることを意味している。解の中の角は何のためにある。それは牛の気力は大変強いが、牛の首は致命的弱点である。普通の男でも牛の角に手を掛け力いっぱい牛の頭を捻りまわすと、牛はドサッと地に倒すことができる。即ちこの牛の頭は千斤の重さがあるのだ。解はまさに牛を殺すときの始めの過程を描写している。小篆の解は両手の形を省略して、代わりに一振りの刀を示している。

 説文は解を「判なり」としている。刀で牛やその他の動物を分解することの意味である。「判」の直接の解釈は、「『刂』(刀をを意味する)を用いて、半分に分ける」ことである。当然この種の解釈は小篆の解の字から来ていて、甲骨や金文の「解」の字にはふさわしくない。つまり甲骨や金文では刀を用いていなくて「手」を用いている。




漢字「解」の字統の解釈
 会意文字 角と刀と牛とに従う。刀で牛角を解く形で、説文に「判つ(わかつ)なり」という。引伸して獣体を解くの意となった。


結論
 漢字の変遷を見ると社会発展の歴史が見えてくる。この漢字「解」もまた然り。漢字の中だけではなく、漢字を通して社会の発展を見つめなおす姿勢が要求される



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漢字学の聖典

2021年1月13日水曜日

漢字「軍」成り立ち:兵車が周りを取り囲んでいる様を表す。駐屯時に兵車を用い、軍隊の軍営の周りに障壁を形成した。

「軍」これは会意文字である。兵車が周りを取り囲んでいる意味である。駐屯時には兵車を用いて、軍隊の軍営のために障壁を形成した。
 漢字軍の成り立ちは「車」と「勹」の字からなる、会意文字である。「勹」の字は象形文字で、漢字源の説明では、人が前に物を抱きかかえ体を丸く曲げて包んだ姿を描いたもの。

 「車」と「勹」の会意文字で、兵車を用いて、軍隊の駐屯時に兵車を用いて、軍隊の軍営の周りに障壁を形成した様を表現した。



引用:「汉字密码」(P612、唐汉著,学林出版社)
車で周りを取り囲んでいる・・駐屯地の陣容を示している
唐漢氏の解釈
 「軍」これは会意文字である。金文の「軍」字の中には「車」の字がある。字の外部は勹の字で、まるで手で囲んでいるように見える。(勹の字は象形文字で、人が前に物を抱きかかえ体を丸く曲げて包んだ姿を描いたもの。漢字源より)両形の会意で兵車が周りを取り囲んでいる意味である。小篆のかき方は金文と形体は大体同じである。

 春秋戦国時代の戦争中兵車は作戦の主要武器であったばかりでない。駐屯時には兵車を用いて、まさに駐屯地を取り囲むようになり、軍隊の軍営のために障壁を形成した。

 だから軍の本義は兵営とその周囲の壁、陣営である。



古代の一軍の規模
 兵車は常に軍隊の指揮車でありだから軍は又所有し指揮する軍隊の編成単位だったといえる。《管子•小臣》を解釈すると『万人为一军』とある。説文では古代では12500人を一軍とみなしたとある。

 因みに日本の自衛隊では、師団が約7000人規模で、その上部組織として方面隊というのがあり、おおむね2個師団を擁しているらしい。このことから考えると、いろんな面で未発達の面がある中で、一軍12500人というのは、かなりの大きさといえる。逆にいうとそれだけ税負担が大きかったことにもなり、いかに収奪が激しかったのではないかと考えられる。


結び
 漢字の歴史は社会の歴史の墓標ともいえる。このように漢字をたどることにより、漢字そのものだけではなく、社会、昔の生活が浮き彫りになってくる。

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漢字「念」の成り立ちや如何に:男の性欲をそのまま漢字にしたものと見るか心の奥深くしまい込んだ思いと見るか



漢字「念」は男の性欲をそのまま漢字にしたもの

 漢字「念」は男の性欲をそのまま漢字にしたもの。ところが、もう一つ別の考え方は、「心の奥深くしまいこんだ思い」と解釈する説もある。この両者の違いは、一に「今」という漢字の解釈の違いにある。即ち「今」を射精と見るか、栓を酒器と見るかである。

 



引用:「汉字密码」(526、唐汉著,学林出版社)
念は今+心の会意文字
唐漢氏の解釈
 念は会意兼形声文字である。金文の念の字の上部は「今」という文字である。この表示は男性の性行為をいう。下部は「心」のデッサンである。両形の会意で、男子の性愛に対する渇望を表している。小篆の念の字は金文を引き継ぎ楷書も小篆を引き継ぎ、この構図は一脈を受け継いでいる。 念は説文では「心と今の声から常に思うなり。」としている。長く思うという意味だ。実際上念の本義から思慕するから来ている。




字統の解釈
 形声: 声符は今。今は栓のある蓋の形で、飲の初文はこれに従う。酒器に栓蓋を施している形である。


結び
 念は声を出して読む、念じるなど高尚な意味に用いられているが、説文では「心と今の声から常に思うなり。」としている。長く思うという意味だ。要は男の性欲をそのまま字に表した字という。しかし、太古の昔から、このようなある種の心中の思いを感じにすることができたのか少し疑問だ。





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2021年1月9日土曜日

漢字「民」:「民」に見る壮絶な社会発展史、奴隷を指す言葉から「人間」の特性の一つを表す言葉になった



漢字「民」:「民」に見る壮絶な社会発展史、漢字・民は、奴隷を表す漢字から、光り輝くすばらしい概念を表す言葉に生まれ変わった。

漢字 「民」の本義は奴隷である。漢字「民」には奴隷から「民主」たる地位を獲得するまでの見る壮絶な社会発展史が刻まれている。

 現代は「民」が主たる存在である「民主主義」の時代といわれている。近代になって、ルソーの啓蒙思想に代表される自由・平等を求める思想に導かれた人々の苦難に満ちた闘いによって、ようやく近年民主主義が根付いたと考えられる様になってきた。そして今や漢字「民」は人民、民主などという言葉に使われ、光り輝くすばらしい概念を表す言葉に生まれ変わった。

 ところがその最先端を走っていたはずのアメリカにおいて、トランプの出現により、その民主主義がいとも簡単に破戒されるのを見て、民主主義とはかくも脆いものであったかと今更ながら戦慄を覚えた。

 そこで、以前にこのブログでも触れた漢字「民」をもう一度レビューし、漢字「民」の歴史を振り返り、民主主義を見つめ直したい。



引用:「汉字密码」(P644、唐汉著,学林出版社)
唐漢氏の解釈
 漢字「民」は象形文字である。甲骨文字と金文の上部はどれも眼晴だ。その下は錐を示している。錐を用いて眼精を刺すことを示している。

「民」の本義は奴隷である。殷商時代、いっそう便利な統治を実施する為に、殆どの捕虜は奴隷とした。すべて左目を針で刺して潰した。これで誰が外族の奴隷であるか識別するのに便利にできた。この見えるようにしたことで、われわれの祖先は便利な実用かつ残虐行為を発明した。

 これの社会的背景としては、社会が発展するとともに、さらに大きな生産力を必要とした。その労働力の担い手として、捕虜が奴隷として供されるのは当然の成り行きであったし、必然でもあった。かくして手っ取り早く奴隷を識別する方法として、この刺瞎が編み出された。

「民」は「奴隷」一般から、君主と管理の外の統治された所有人に拡張された。古く四民あり。即ち「士民、商民、農民、工民」との言葉があるが、この種の「民」が貴族の外所有する人であったことを示している。古代社会においては人と民は明確に区別していた。人は統治者のことをいい、「民」は被統治者のことを言う。しかし後世になって、既に戦国時代にあっては、人と民を区別することはなくなった。


字統の解釈
 漢字「民」は民は眼睛を失って盲目 となった奴隷であり、この字形は古代奴隷制の一証となしうるという。古代には異族の俘虜などが奴隷化されることが多いが、それは神の徒隷臣僕として、 神にささげられるもので、そのとき傷害を加えることがあった。その語義が拡大されて、新附の民一般をも、民といった。
 秦の始皇帝のとき、高漸離も楽人として目を失っている。〔詩、大雅、仮楽〕 に「民に宜しく人に宜し」と民・人を並称しており、卜辞•金文に人というものも、移民族のものを呼ぶことが多く、民•人は元みな本族以外のものをいう語であった。


結び
 太古の昔、「民」の本義は奴隷であった。最初は労働力の担い手として、社会の底辺で被支配的な地位に甘んじていた奴隷が、社会の生産力の発展とともに労働力の担い手としてしっかりとその地位を確立するようになってきた。長い闘いではあったが、やがて、支配者は「人」と呼び、被支配者は奴隷であろうとなかろうと、全て「民」と称するようになった。つまり奴隷という地位から商民、農民、工民となり、民という地位を確立するようになった。そして、身分制度が希薄になるにつれ、漢字「民」そのものも一般大衆を指すようになった。現在ではむしろ人民、民主などという言葉に専ら使われ、漢字・民は、奴隷を表す漢字から、人間そのものを指す言葉に生まれ変わった。



参考:漢字「民」の起源と由来:「民主」はどこから来てどこへ行くのか


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2021年1月7日木曜日

漢字「物」の成り立ち:「牛」と「勿」からなり、殺されない牛の意から、万物一般のすべてのものに拡張された



漢字「物」は「牛」と「勿」からなり、両形の会意から、刃がボロボロになった刀では牛を殺せないことを意味します。
 甲骨文字にある「物」は、「牛」と「勿」からなる会意文字です。「勿」の本来の意味は、刃が刎ねてしまった後の使用できない刀のことです。 左右両形の会意から牛を殺せないことを意味します。


引用:「汉字密码」(P21、唐汉著,学林出版社)
「牡」と言う字は、元々オスの牛を指していた
唐漢氏の解釈
 甲骨文字にある「物」という言葉は、会意文字です:牛と勿からなる。 「勿」、本来の意味は、刃が刎ねてしまった後の使用できない刀のことです。 両形の会意。ここでは、雄牛を殺せないことを意味します。 小篆の「物」という言葉は甲骨文字を継承し、楷書は「物」と書きます。「物」という言葉の本来の意味は殺されない牛という意味です。拡張され動物の存在から物事のカテゴリーまで、それは一般的に客観的に存在する世界のすべてのものを指します。 「動物、植物、人」、さらには「材料、物体、物理学」など。物が集まった後は、すべてを「物」と呼ぶことができます。

今日の私たちの物体意識は、今でも古代の祖先の意識と同じ基準点にありますが、今日私たちが持っている「もの」は1000万倍も多く、「すべてのもの」と呼んでいます。



漢字源の解釈
会意兼形声。 「牛」+音符「勿」で、色合いの定かでない牛。一定の特色がない意から、いろいろなものを表す意となる。牛はモノの代表として選んだに過ぎない。

 それでもなぜモノの代表として「牛」でなければならなかったのかの疑問は残る。古代には「牛」は体の大きさ、有用性、姿、周りに絶えず目に触れるものとして、ポピュラーであったのかも知れない。豚では字の収まりが悪いし、羊では存在感がないというのもその理由になったのかも知れない。 



結び
 漢字「物」の成り立ち:「牛」と「勿」からなり、殺されない牛の意から、万物一般のすべてのものに拡張された。
 漢字は社会の変化を残す母斑であると常々言ってきましたが、この漢字「物」は社会発展の痕跡というより、抽象化の概念の表れとして考えられるのかも知れない。しかし、なぜ牛でなければならなかったのか、殺せない牛がなぜ万物の代表となったのか疑問はまだ残る。




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2021年1月6日水曜日

漢字「牝」は牝牛の生殖器のかたちの象形文字だという。後に牛に限らず動物一般のメスを指すようになった



漢字「牝」は太古の昔にはメスの牛だけを意味していたが、漢字オスとまったく同じように、社会の発展に伴い牝という漢字は動物一般の性別を総称するようになった。
 漢字「牝」が動物の「メス」の総称を表すようになった背景は、狩猟生活の時代にはオス、メスの区別を明示的にあらわさねばならなかった時代から、農業・牧畜の時代に入り、必ずしも牛や、馬、羊など動物の雌雄を漢字で明示する必要がなくなった社会変化があった。

 社会の変化が漢字に変化を与えた一つの例をここに見ることができる。



引用:「汉字密码」(P17、唐汉著,学林出版社)
「牝」の本来の意味は母牛です
唐漢氏の解釈
 甲骨文の「牝」の文字は、左側に牛の絵文字、右側に女性の記号「▽」(匕)があります。 「匕」とは指事詞で、縦に曲がったものが牛の尻尾を表し、真ん中の短い横線が母牛の生殖器の位置を示しています。 「匕」とは指事詞で、縦に曲がったものが牛の尻尾を表し、真ん中の短い横線が母牛の生殖器の位置を示しています。文字の段階的な進化の過程で、「▽」は柄杓を表す「匕」となった。牛の生殖器の見た目が「柄杓」に少し似ていることから、「匕」の文字が定着した。

 「牝」というキャラクターの形、意味、音の源は、文字学の永遠の謎になっており、諸説紛々としています。「牝」の本来の意味は母牛です。後に、「牡」という言葉のように、それは抽象化され昇華され、雌動物の総称になりました。 「説文」はそれを「牝、動物の母」と解釈した。



字統の解釈
漢字「牝」は、漢字「牡」と同様、性器の部分の象形である。


結び
 漢字は社会の変化を残す母斑であると常々言ってきましたが、この漢字「牝」もそれを如実に示す一つの例といえましょう



漢字「牡」は太古の昔にはオスの牛だけを意味していたが、現代では「牡」という漢字は動物一般の性別を総称するようになった



漢字「牡」は太古の昔にはオスの牛だけを意味していたが、社会の発展に伴い、牡という漢字は動物一般の性別を総称するようになった。
 漢字「牡」は最初は牛だけに使われていたが、いつしか動物の「オス」の総称を表すようになった。その裏には、狩猟生活の時代にはオス、メスの区別を明示的にあらわさねばならなかった時代から、農業・牧畜の時代に入り、必ずしも牛や、馬、羊など動物の雌雄を漢字で明示する必要がなくなった社会変化があった。

 社会の変化が漢字に変化を与えた一つの例をここに見ることができる。



引用:「汉字密码」(P16、唐汉著,学林出版社)
「牡」と言う字は、元々オスの牛を指していた
唐漢氏の解釈
 「牡」という言葉は、もともとは古代の雄牛を指すために使用されていましたが、後に「雄羊、雄鹿」などの雄動物の総称になりました。

 甲骨文字の「牡」という単語の左側には「牛」があり、右側には男性の生殖器の図形「⊥」があります。

 小篆の字形は金文からが進化する過程で男性のシンボルは「土」になりました。

 さまざまな動物を表す象形文字の横に男性のシンボル「⊥」を追加すると、男性の羊、馬、鹿の適切な名前にすることができました。しかし、さまざまな雄の動物の固有名詞を表すこれらの文字は、長い間に大規模な文字ファミリから姿を消しました。その第1の理由は、すべて2音節の組み合わせ文字であり、中国語文字の1文字と1音の要件を満たしていないためです。第2の理由は漢字の抽象的な能力の昇華により、人々は「牡鹿、牡马」などのより簡潔な表現を持ち、古代の固有名詞を置き換えることができたからです。

 私たちの先祖にとって、狩猟と動物飼育が主な生産方法であった時代には、野獣のオスとメスを区別することは非常に重要でしたが、農業社会に入った後、狩猟は貴族や王族のレクリエーション活動になり、そのような細分化と区別はもはや必要ではないので、これに関連する文字は徐々に消え、「牡」という言葉は動物の性別の一般的な名称になりました。


結び
 漢字は社会の変化を残す母斑であると常々言ってきましたが、この漢字「牡」もそれを如実に示す一つの例といえましょう



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2021年1月4日月曜日

漢字 正の成り立ちの意味するもの:正月や正義の漢字「正」に隠された恐るべき意味は、恐るべき不正義だった


漢字「正」の起源と由来は恐るべき不正義だったことあなたはご存知でしたか?
 年賀状の季節「正月」がやって来ました。

 漢字「正」:年賀状の決まり文句「賀正」の「正」に隠された恐るべき意味は恐るべき不正義だったことを明らかにします。

漢字「正」:正月の「正」のとんでもない成り立ち。
 「正」とは、「一:もともと口と書き、邑や国を表した」とその下に「止」:侵攻する」の会意文字で、国や邑を侵攻することを表しており、もともと征服という意味だったのです。この字から征服の「征」のという字ができたのです。

 この正という字は、さらに拡張され政治の「政」という「
圧を加えてその義務負担を強制することを意味する漢字も作り出します。

 そして重圧を加えてその義務負担を強制する行為そのものは、「正当、正義」であるとされてきました。

 つまり「正義」なんというものは、征服者の屁理屈から生まれたものだということが3000年前から、明らかになっていました。

 この屁理屈からいえば、国を侵略して征服するのも正、その征服した国から重税を取り立てるのも「正」だということになります。

 だからといって現代の概念「正義」を全否定してしまうものではありませんが・・。


引用:「汉字密码」(P342、唐汉著,学林出版社)

 "正zheng"、これは会意文字です。甲骨文字の正は、上部の正方形は周囲の壁がある村や城市の壁を表し、下部は「止」という言葉で、街に足を踏み入れようと足を上げるという意味を示しています。

 金文の「正」という言葉は、上のボックスが四角か塗りつぶされた四角であるか、あるいは水平の横一線であり徐々に形象の味を失っている。

  小篆と楷書はこの流れで「正」と書かれています。

  「正」の本来の意味は、到達目標であり、直線前進であります。拡張されたり、抽象化されたりの点から、「偏り」、「斜め」、「湾曲」とは対照的に、「中正」、「正直」の意味になっています。また指事物の正面あるいは主要面で、「反」「副」に相対するものである。「相対性」とは、「真ん中で、真ん中で」など、進行中または特定の時点で発生しているものも指します。


漢字「正」の字統の解釈
 「正」とは「一」と「止」に従う。ここで「一」は□で城郭に囲まれている邑。「止」はそれに向かって進撃する意味で、その邑を征服することをいい、「征」の初文。「正」はもと征服を意味し、その征服地から貢納を徴することを「征」といい、重圧を加えてその義務負担を強制することを「政」といった。そしてそのような行為を正当とし、正義とするにいたる。

漢字「正」の漢字源の解釈

 会意文字。「一」+「止」(足)で足が目標の線めがけてまっすぐに進むことを示す。 「征」の原字。

因みに、正月とは中国の暦法で、一年の基準になるものをいう。改正とは、王朝が変わったとき、正月をいつとするのかの基準を改めて、新たに暦を決めることをいう。


終わりに
 「正」とは征服の「征」の原字。そして「征」とは、その征服地から貢納を徴することをいう。
 重圧を加えてその義務負担を強制することを意味する「政」も正から生まれた。

 そしてそのような行為も「正当、正義」とした。つまり正義などというものは、征服者の屁理屈から生まれたものだということが3000年前の文字から言えること。

 まあ、声を大にして言いたいことは、為政者が振り回す「正義」には気をつけろということです!


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2021年1月2日土曜日

新年の「新」の起源と成り立ち:新は囚人の拘束具を斧で解き放つ意味で、囚人から奴隷へと新しい命運の始まりをいう

新年の「新」の起源と成り立ち:新は囚人の拘束具を斧で解き放つ意味で、囚人から奴隷へと新しい命運の始まりをいう
 「新年おめでとう」、「謹賀新年」などと普段から何気なく使う新年の「新」。実はその起源と成り立ちは我々が思いもよらなかった歴史が秘められていて、そこには血と涙の弛まぬ人々の思いがこめられていた。

 漢字「新」の左側は囚人のための拷問器具である「辛」、右側は柄の折れ曲がった斧である「斤」です。 二つの図形の会意文字は、囚人を護送した後、斧を使用して拷問器具を首から外すことを意味しています。囚人の拘束具を斧で解き放つ意味で、囚人から奴隷へと新しい命運の始まりをいう。


引用:「汉字密码」(P622、唐汉著,学林出版社)
「新」は囚人の首から斧で枷を外す意味
唐漢氏の解釈
 「新」、これは会意文字です。甲骨文の「新」という言葉は左右が結びついた構造を持っています。左側は囚人のための拷問器具である「辛」、右側は柄の折れ曲がった柄の斧である「斤」です。 二つの図形の会意文字は、囚人を護送した後、斧を使用して拷問器具を首から外すことを意味しています。

 金文の「新」は甲骨文字を継承しましたが、斧の形は「斤」に変化しました。小篆の文字「新」が左側の「辛」の下に「木」が追加されています。これにより、小篆の左側の構成が簡略化され、「亲」になり、そのため、「新」と表記されます。 捕虜から奴隷へ、それは新しい命運の始まりです。

 「新」の本来の意味は「新生」、つまりさしあたり死から逃れ(古代社会では大きな祝福です)、「奴隷の新しい運命」の始まりです。このことから、拡張され一般的な意味の「新」すなわち「新しい人、新しい火、新しい芽、花嫁」などの一般的な意味での「新しい」に拡張されます。
 捕虜の首から拷問器具を外し、薪に使用します。したがって、「新」はたきぎの意味を持つことから「薪」とも書きます。「新」に「草冠」を付け加えたものです。 《南史•陶渊明传》のなかの「助汝薪水之劳。」の中の 「薪水」の本来の意味は、薪と水です。薪と水は生活必需品です。したがって、後世は「薪水」を「俸禄」と呼び、現在は「給料」と呼ばれています。



字統の解釈
 会意文字:辛と木と斤に従う。辛は針。新木を採るとき、木を選ぶのに矢を放ち、針を打つなどして選木の儀礼があって、神に供すべきものを定めた。新とは新死者のための神位を作るの意味。


漢字源の解釈
 会意兼形声 辛は鋭い刃物を描いた象形文字。亲は「木+音符「辛」の会意兼形声文字で、木を切ること。「新」は「斤(斧)+音符「亲」で、切り立ての木、生々しい意。


結び
「新年おめでとう」、「謹賀新年」などと普段から何気なく使う新年の「新」。実はその起源と成り立ちは我々が思いもよらなかった歴史が秘められていて、そこには血と涙の弛まぬ人々の思いがこめられていた。



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2021年1月1日金曜日

賀正の「賀」の成り立ち:財を意味する貝と加えるが併わさったおめでたい漢字


賀正の「賀」の成り立ち:財を意味する「貝」と加えるを意味する「加」が合さったおめでたい漢字

「賀」の成り立ちと由来

 毎年この時期になると「賀正」とか「謹賀新年」という言葉が飛び交いる。普段何気なく使っている漢字「賀」にはどんなに意味が込められているのだろうか。

年賀の季節到来!! 年賀の「賀」の成り立ちと由来は?

 結論から先に言うと、賀正の「賀」の成り立ちは財を意味する「貝」と加えるを意味する「加」が合さったおめでたい漢字である。
 財を高め、祝いを言う、贈り物を贈り、祝いの意を表す。このことから、正月などの慶祝に「賀」という文字を使う。

 年賀状は下火になったといえ、今なお冬の風物詩であり、日本の文化でもある。正月を祝うという文化は、形を変えてでも残っていくような気がしてならない。


引用:「汉字密码」(P790、唐汉著,学林出版社)

唐漢氏の解釈
 「賀」は会意文字+形声文字である。金文の「賀」の字は貝と加からできている。「貝」はここでは財物を表す。「加」は「力+口」の会意文字で、上に何かを載せるという意味を含む。添加の意味である。
小篆の「賀」は上下の字が結び合わさって改まり楷書はこの関係から「賀」と書く。

説文では賀を解釈して、「礼」を以って喜びを相奉ることだ。即財宝・贈り物を送り慶祝の意を表す。


「字統」の解釈
 「字統」では、「加」+「貝」の会意文字で、「加」は鍬を清めその生産力を高める儀式を意味するという。いずれにせよ、生産力を高め財を増やすという意味だと解釈する。

漢字源の解釈
 会意兼形声。加は「力+口」の会意文字で、、上に何かを載せるという意味を含む。賀は「貝+音符加」で、もと、礼物をうず高く積み上げるの意。転じてものをおくってお祝いをすること。


結び
 賀正の「賀」の成り立ちは財を意味する「貝」と加えるを意味する「加」が合さったおめでたい漢字である。

 漢字「貝」という漢字が使われているのは、太古の昔にはお金の換わりに子安貝のような「貝」が使われていたことからきているもので、偏であろうと旁であろうと「貝」が使われている漢字は、殆ど財やお金に関係があると考えて間違いはない。
右の画像は南太平洋諸島で実際に使われていた貝の貨幣である。

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