ようこそ、漢字考古学の道へ
漢字考古学とは?
今漢字の総数は10万字ぐらいだろうと言われてる。
これらの全ての漢字、一つ一つに意味があり、起源と由来があり、それぞれ歴史を持っている。
このブログの使命はこれら漢字の起源と成立ちを明らかにし、その背景を探る中で、人間の営みの歴史を詳らかにすることにあると考えている。
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気ままな散歩
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2016年11月28日月曜日
漢字「雀」の成立ちを「甲骨文字」に探る:小さく尾っぽが短い鳥を示す「隹」の頭に多いことと小さいことを示す修飾図が付いたもの
漢字「雀」の起源と由来
引用:「汉字密码」(P64、唐汉著,学林出版社)
「雀」の字は会意文字である。古文中の雀の字は、均しく隹の頭の上に三つの小さい点がついていて、数が多いこと(古人は3は多いことを言う)と小さいこと(又古文の小さく見える)を表している。通常集まってきた雀や山雀を示すのに好んで用いられる。この種の鳥の体形は多くは太っていて小さい。群れを成して飛んできて飛び去るのが好ましい。人々はこの種の鳥を小雀と呼ぶ。《诗.召南 .行露》の中のように、「誰が言うのか雀には角がないと。何を以ってわが家をうがつ」
以後小型の鳥を大雑把に雀と称する。楚国の詩人宋玉の《高唐赋》では「多くの雀ががやがや騒がしく、雄雌がしゃべっているワイ」
漢字が長く使用され、変化していく中で、少し法則性のない混乱も発生する。例えば鶏は古文中では「旁を隹」と書いていた。
又常には「鶏」とかく。右辺の部分が鶏や隹になるがどちらでもいい。大概は現実には長い尾の雄鳥であったり、また太った尾の短い母鳥であったりする。古人は実在では鳥が長い尾の鳥か、短い尾の鳥かは区別しがたいので「鳥」と「隹」の中はみな一つの区分しかない。
因みに日本では焼き鳥は現在では、鶏を焼いた料理を言う。筆者が思うに昔は焼き鳥といえば雀ではなかったろうか。今は雀は余り見かけないが、私の子供のころはそれこそ喧しいぐらい周りにはいたものだ。値段も鶏に比べ格段に安かったろう。4つ足を嫌っていた日本人も鳥は二本足だから重要な蛋白源ではなかったろうか。
もう一つ本文中では雀は小さくて太っている。と書いているが、実際雀は毛をむしると太っているどころか、骨と皮ばかりで肉は殆どない。それがコリコリして美味しいわけだが、どうして太っているという風に考えたのだろうか。毛があると確かに少し丸々とはしているように見えるのだが・・。ああいうのを「毛太り」というのかな?
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2016年11月26日土曜日
漢字「隹」(フルトリと読む)の起源・由来を「甲骨文字」に探る
漢字「隹」の起源と由来
引用:「汉字密码」(P63、唐汉著,学林出版社)
来年の干支は「酉」。鳥の語源を調べてみた。鳥を現すものには色々ある。「酉、鶏、鳥、禽、隹」など等
「鳥」の字を除き、字の中で鳥の種類を現す象形文字は隹(「佳」ではない)。隹も又頭、羽、身、足の鳥の形の全体を具えている。この字はフルトリと読む。
早期の甲骨文字中鳥と隹は元々同一の字である。
即ち、鳥は隹で、隹は鳥である。鳥と隹は同じでないところから始まった。鳥は尾っぽの長い鳥を称し、"隹"は尾の短い小鳥を称している。
「説文解字」の許慎の記述を細かく調べると、鳥は尾の長い鳥の総称であり、隹は尾の短い鳥の総称である。
隹は現今の漢字の中では既に独立してない字になっており、編や旁になっている。およそ全ての「隹」を含む字は鳥類を現している。すべてずんぐりした隹の形態を有し、集合的な集まりの意味を持っている。これだから隹は小さい小鳥の群れを意味している。例えば高く盛られた土は「堆」と書き、いわゆる堆積である。即ち次第に集まって一箇所に集まり一団となったものである。農家の春の米の臼、即ち「碓」(石編に堆)を用いて細かい穀物を集めることを現す。
そのほか准、維などの字のごとく、全て細かいもの(水、糸)を集める意味をもっている。 鳥類の内、雁、雛、雀などは寄り集まるのを好み、群れなして暮らす鳥である。これによって、それらの名前もまた隹が造字の用件となっている。
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2016年11月25日金曜日
漢字「鶏」の成立ちを「甲骨文字」に探る:卵ではない!やっぱり鶏だった。
漢字「鶏」の起源
引用:「汉字密码」(P65、唐汉著,学林出版社)
図に示すごとく、甲骨文と金文の「鸡」は頭、冠、くちばし、眼、身、はね、尾、足全部備わった鶏の横から見た形状にそっくりだ。甲骨文字の2款目の「鸡」の字は一本の縄で住宅につながれた鳥と見えないこともない。このことは殷商時期の先民は既に鳥を縄で繋ぐ方法で鶏を慣らし飼いしていたことの証拠である。小篆の鶏の字は既に変わっていて、形声と会意の字になっていた。
現在中国の農村では家の庭に鶏を放し飼いにしていて、数千年来順化飼育し、鶏は飛べないようにして、同じ種の「雄鶏」も一様に少ししか飛べないようになっている。紐で住宅につながなくても、放し飼いが出来るようになっている。
まさに甲骨文字、金文のデッサンで示しているように、図中の鶏は全て時をならす雄鶏として描かれている。かえって母鶏の形がない。このことは時計のない上古社会では、ただ時を知らせるだけの雄鶏が、毎年一匹で数十匹のますの鶏を産み落とす母鶏の何倍もの実用価値を持っていたかもしれない。個人が鶏を飼育するのは、鶏の時を知らせる功能を重視したかもしれない。
はっきりしない真夜中の時刻を知り、太陽が何時昇るかを知ることは、もっとも聡明な人でも行う方法がない。古人が見るに鶏(雄鶏)を飼うのは時間を知るためであり、暗闇の中の鬼や妖怪を駆除するためであり、母鶏を飼う目的は、ただ雄鳥を絶やさないようにするためだけだ。これが古文中で「鳴」が元来雄鶏示すためだけの字である原因である。
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2016年11月24日木曜日
漢字「禽」と「獣」の成立ちを「甲骨文字」に探る:「二足で羽のあるのは禽で、4足で毛のあるのは獣という」
漢字「禽」の起源と本来の意味は
引用:「汉字密码」(P120、唐汉著,学林出版社)
禽もまた会意文字である。金文の「禽」は上下が結びついた構造をしている。下部は畢(古代の狩に用いられた長柄のついた網)乃至長柄の捕捉網で、上部は記号「A」で、元々は男性の生殖器を表す符号である。この表示では一匹の色彩班と端の雄鳥を捕まえている。
小篆の「禽」の字は上部は「今」に変わっている。今の元の漢字は男子の射精であり、また現実の現在という意味である。
別の角度からいうと、「今」はここではすでに発声記号であり、また一匹の美しい雄鳥を捕捉したことを表示したといえよう。
「禽」は動詞を作って、鳥獣を捕まえることを指している。《逸周书・燕策》で、「武王狩りをし、虎22匹を捕まえた(禽)」。この意味は後に哺乳する「檎」を示す。「禽」は名詞を作り、すなわち鳥獣を捕獲することの意味になる。《孟子・滕文公下》の如く「終日一禽も捕まえず」。後にはまた狩りをする対象をいい、《説文》ではこれによって、禽は獣の総称としている。华佗は「五禽戦」を創立したとあるように、「虎、鹿、熊、猿、鳥」の5種類の禽獣の動作を模倣し、鍛錬する身体的方法である。(华佗は後漢の末期に活躍した医者)「禽はまた特に鳥類を指す。「飛ぶ禽、走る獣、家禽」等。《尔释》の注曰く、「二足で羽のあるのは禽で、4足で毛のあるのは獣という」
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漢字「敗」の成立ちを「甲骨文字」に探る:鼎を打ち壊すこと
漢字「败」の起源と由来
引用:「汉字密码」(P683、唐汉著,学林出版社)
「败」は「敗」の簡体字である。甲骨文字の「敗」もまた会意文字である。左辺は「鼎」の象形素描であり、手で棒を持って、叩いている様子である。もともとは会意で杯を壊すことを表している。俗語の「あなたの家の茶碗を打ち砕く」と同様のことだ。金文の旁は二つの貝となり、貴重で、値打ちのあるということをあらわしている。小篆と楷書ではこのことから「壊す、名誉を傷つける」。
説文では「敗」を「壊すこと」としている。本義は杯を壊すこと名誉をきずつけることである。《韩非子•难一》にあるように、法败損なわれて国乱れる。「法败」とは誰でも護らなければならない儒教の教え(道)が損なわれるの意味である。 「毁坏」は拡張され、凋落する、落ちぶれるの意味である。「花开败了、肉腐败了」(花開いてしおれ、肉腐る)の意味だ。「毁坏」はまた拡張され、物事の失敗、成功しないことを表す。「敗北、負けて泥、成敗得失」など。
「敗」は動詞を作り、敗れる、ヤブルの自動詞と他動詞になる。目的語のあるときは、別人を打ち破敗る。甲隊は乙隊を打ち敗る。のごとく。目的語のないときは、「自分が敗れる、甲隊が敗れる」のように使う。
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2016年11月23日水曜日
漢字「余」の起源・由来を「甲骨文字」に探る
漢字「余」の起源はいかに?
2016年11月23日「毎日新聞」の朝刊の余禄で、余震が取り上げられていた。その中で、漢字「余」の成り立ちが、白川さんの「常用字解」を引用してかかれてあった。
漢字の「余」はとってのつい長い針をかたどっている。白川静の「常用字解」によると、余はうみを摘出する手術に用いられるほか、土中に突き刺して地下の悪霊を取り除く呪具に使われた。これで悪霊をはらい清めた道が「途」だという。できるならば地中の魔を封じるのに用いたい余が、逆に震災の被災者の心につらい記憶を呼び起こさせる針となってしまう余震である。一方、「漢字起源説」のサイトでは、同じ「余」という字の成り立ちについて、中国の唐漢氏の著作を引用して、以下の様に解説されている。
「余」もつ意味の一つは「余り」。甲骨文字の余の字は指示語である。その中の上向き△と縦棒は男性の生殖器を表す。左右の短い横棒はVの形をしていて、下に向かって指示しているように書かれている。字形を整えてみると男性生殖器が性交後疲れて柔らかくなりブラブラしている様子を示す。男子は常に性交と養育を自らの誇るべき資本とする。だから余は我の意味があり、拡張され第一人称代詞である。
この唐漢先生の説明は、さもありなんとと思うが、少し突飛過ぎて、「本当かな?」と疑念を持たざるを得ないが、ここではどの説が正しいというつもりもないし、又その資格もない。
もう一つ、「漢字源」(藤堂明保編、学研)では、以下のように説明されている。
①会意字で、スコップで土を押し広げる様+八印で、ゆったりと伸ばし広げるの意。「余」を我の意味に用いるのは、当て字である。実に三者三様ですが、ただ、文書や情報もない有史以前の事柄は、周りから「ああでもない、こうでもない」と、このように類推していく以外に方法はない。唐漢先生の見解も、突飛に感じられるかもしれないが、実際にあったかもしれないと思う。案外そんなところが面白いのかもしれない。
② 会意、形声文字、食物がゆったりとゆとりのある意味を示す。
ただこの解釈にせよ、この起源1500年前の時代にスコップというのはどうも腑に落ちません。
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2016年11月22日火曜日
来年の干支は「酉」です 漢字「酉」の起源・由来を「甲骨文字」に探る
漢字「酉」の起源と由来
「汉字密码」(P877、唐汉著,学林出版社)
読み方:(音) ユウ (訓) とり |
酉は象形文字である。甲骨文字の酉の字と半坡遺跡から出土した底のとがった陶器のビンの形はよく似ている。
この字は男の象徴を表す「且」の字をと同源である。これによって酉の字の本義は男の嬰児である。母を知るが、父を知らない母系社会で男子の血縁はせいぜい下に向かって下る辿る他ない。
申と酉の字を互いに受け継ぎ、一つは女性の共祖一つは男性の後代に対応している。(「申」を参照) 酉の字は早くから十二支の名前に借りてその本義を失っている。酉の字が構造的に酒瓶の字に似ていて、男性の祖先(先王)に酒を祭り福を祈願することから、言葉が転移し、十二支の酉と醸造の酉が混淆したものだ。
金文の酉は既に完全に酒瓶の形状をしている。このことはこの時代には製陶技術が大きな発展をしたためである。酉瓶は既に酒を醸造するための瓶となり、酒盛りの専用器具となった。原本の酒の字は水の形を省いた後、酉となった。金文から小篆は変質し、楷書は酉と書く。 酉の本義は逆さまの「且」である。底のとがった陶器の瓶である。即ち器の皿として酉は「尊」の初めの文字である。酒を盛る器を示し、指事詞に用いられる。(「尊」は甲骨文字では、酒瓶即ち『酉』を両手でささげ持つ形をしている。)
「酉」は十二支の表示に仮借されて、十二支の10番目をあらわす。元々上古先民は男根信仰があり、酒を男根にささげていた。嬰児が大きく成長して、子々孫々絶えることなく栄えることを希求した。時間をあらわすと午後5時から7時を表す。酉は部首字で漢字の中では「酉」は組み合わせて、字を作る。酒と大いに関係がある。酝、酿、酔、醒などなど。
この説明は、少しこじ付け臭いが、男根信仰は日本でも見られ、強ち否定は出来ない。
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