漢字「余」の起源はいかに?
2016年11月23日「毎日新聞」の朝刊の余禄で、余震が取り上げられていた。その中で、漢字「余」の成り立ちが、白川さんの「常用字解」を引用してかかれてあった。
漢字の「余」はとってのつい長い針をかたどっている。白川静の「常用字解」によると、余はうみを摘出する手術に用いられるほか、土中に突き刺して地下の悪霊を取り除く呪具に使われた。これで悪霊をはらい清めた道が「途」だという。できるならば地中の魔を封じるのに用いたい余が、逆に震災の被災者の心につらい記憶を呼び起こさせる針となってしまう余震である。一方、「漢字起源説」のサイトでは、同じ「余」という字の成り立ちについて、中国の唐漢氏の著作を引用して、以下の様に解説されている。
「余」もつ意味の一つは「余り」。甲骨文字の余の字は指示語である。その中の上向き△と縦棒は男性の生殖器を表す。左右の短い横棒はVの形をしていて、下に向かって指示しているように書かれている。字形を整えてみると男性生殖器が性交後疲れて柔らかくなりブラブラしている様子を示す。男子は常に性交と養育を自らの誇るべき資本とする。だから余は我の意味があり、拡張され第一人称代詞である。
この唐漢先生の説明は、さもありなんとと思うが、少し突飛過ぎて、「本当かな?」と疑念を持たざるを得ないが、ここではどの説が正しいというつもりもないし、又その資格もない。
もう一つ、「漢字源」(藤堂明保編、学研)では、以下のように説明されている。
①会意字で、スコップで土を押し広げる様+八印で、ゆったりと伸ばし広げるの意。「余」を我の意味に用いるのは、当て字である。実に三者三様ですが、ただ、文書や情報もない有史以前の事柄は、周りから「ああでもない、こうでもない」と、このように類推していく以外に方法はない。唐漢先生の見解も、突飛に感じられるかもしれないが、実際にあったかもしれないと思う。案外そんなところが面白いのかもしれない。
② 会意、形声文字、食物がゆったりとゆとりのある意味を示す。
ただこの解釈にせよ、この起源1500年前の時代にスコップというのはどうも腑に落ちません。
「漢字の起源と成り立ち 『甲骨文字の秘密』」のホームページに戻ります。 |
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