気ままな散歩

2017年6月7日水曜日

漢字 地の起源・由来:万物の生成の源を表す「土」と古代の生殖崇拝の観念を表す「也」の会意文字


漢字 地の起源と由来:万物の生成の源を表す「土」と古代の生殖崇拝の観念を表す「也」の会意文字

 ここでも唐漢氏の説には、少し「納得しかねる部分」があるが、部分的にあれこれというより、全体としてどう評価するかということに力点を置いているので、そのまま紹介する。古代では、万物は火、水、土、気の元素?から成ると考えられていた時代があった。地とはすべてを育むことを意味する也と土から構成されるのは、ある意味最もな帰結かもしれない。

唐漢氏の解釈
 「 地 」は説文では、「エネルギーの始め、軽、清、陽は天をなし、重、濁り、陰は地になった。万物を陳列するところ。「地」は土と也の音声からなる。許慎の見るところによれば、天地の形成ないし、混沌とした状態から別れ、軽い清いものが天に昇り、重い汚いものは淀んで地になった。この種の認識と宇宙星雲の実際の形成過程は十分近い。許慎が見てきたように、地はまだ万物の陳列場であった。いうに及ばず、土は万物を生み、地球上に持つ物体全て土地の上のものだ。
 「地」は「土」と「也」からなる。「也」は古文字のなかでは、女性性器の象形である。始まりは古代の生殖崇拝の観念の表現だ。両形の会意で、よく繁殖し全てを慈しみ増やす土で、「地」は天に相対し、地面を表す。
【「汉字密码」(P305、唐汉著,学林出版社)参照】


結論
 漢字 地の起源と由来:万物の生成の源を表す「土」と古代の生殖崇拝の観念を表す「也」の会意文字。
 古代では、万物は火、水、土、気の元素?から成ると考えられていた時代があった。地とはすべてを育むことを意味する也と土から構成されるのは、ある意味最もな帰結かもしれない。


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漢字「岸」の起源:谷あいで橋を架けうる高い場所?


漢字「岸」の起源と由来

「汉字密码」(P309、唐汉著,学林出版社)によれば、
「岸」:谷あいで橋を架けうる高い場所
 「岸」これは会意文字である。古代帝王の印章文字「岸」の字の上部は山の図形で、下辺は「干」の字だ。中間はひっくり返し記号の「がんだれ」の三つの会意文字即ち木の幹が倒された様子で、一本の木の橋頭が対面の山の高いところにある形。小篆と楷書はこの流れを受け継いだ形。 岸の本義は峡谷で、水辺には単独の木の橋を立てうる高地のこと。以降専ら水辺の高地を指す。説文の解釈では岸は水崖(涯)或いは高いものとしている。

白川静博士は、「字統」では、山冠の下の字は、「用例もなく、岸の字をこの音に当てはめるために作ったような字」と評しているのでなんとも分からない。ただ、西晋のころ、「この地名で儀式が行われている。この場所は山川の断崖のようなところで、岸の初文である」としている。
唐漢氏の説明の木の橋云々は、少し分からない。謎は尽きない!


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2017年6月6日火曜日

漢字「岩」の起源・由来を「甲骨文字」に探る:「巌」の簡体字。元々巨岩の山峰を指していた

漢字「岩」の起源と由来

  最近霞ヶ関の辺りではやたら土木工事が為されているようだ。「岩盤規制」に穴を開けるなどという言葉が漏れ聞こえてくる。今使われている言葉「岩盤」の「岩」こそ、将に太古の昔に使われていた用法そのものかもしれない。せっかく岩盤を穿つというなら、ちまちましたことは考えずに、「霞ヶ関の魔の岩盤」に穴を開けて欲しいものだ。

            

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「汉字密码」(P309、唐汉著,学林出版社)によると、

「岩」は元は巌の異体字である。漢字の簡体化の時に「岩」を借りて「巌」の簡体字とした。
 甲骨文字の岩の字は会意文字で山の形の上に3個の石の塊を加え、巨石が突起して山峰を形成していることを表示している。小篆の岩の字は別に起こしたかまど或いは山から殷の声の形声字である。(また威厳の意味を含んでいる)楷書はこの関係から巌と書く。漢字は簡化の時点で岩を規範とする。

岩は本来巨石の挺立する険しい山峰を指し、広東省の七星岩のようなものだ。また拡大して一般に山峰を指す。


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2017年6月5日月曜日

漢字「安」の起源・由来:成熟した女性を大切にし、子孫繁栄を願った漢字


漢字「安」の起源と由来

 漢字「安」の起源・由来:成熟した女性が、個室で安心して生活できるように保証したことを示す

甲骨文字の生まれた時代は、父系制社会に移行する過程に在ったが、まだ母系制社会の生活習慣を残していた。成熟した女性が個室を持ち安心して生活することは、氏族共同体を護る基本であった。氏族全体で、女性を大切にし、子孫繁栄を願った漢字

 「安」の字は会意文字である。甲骨文字の「安」は上部は部屋の形状をしている。下部は部屋の中に膝まづいて、左に向いて座る女子である。金文の「安」の字の構造もまた部屋の中の女の字である。小篆と楷書の形体は甲骨、金文と同じである。但し楷書の建屋の形状は「内」に変化している。



「汉字密码」(P551、唐汉著,学林出版社)は、その理由はありと氏族共同体に解く
 何故女のいる部屋の中は「安」としたのか。「母系」社会の観点から見ると、発育して成熟した後の女性がもし自分の居所を持っていなかったとしたら、男性と野外で接合するだけで、居所もなく、生まれてくる子供があちこち逃げ回るだけとしたら、氏族全体に騒動をきたし混乱させてしまう。このために成熟した女性には自分の個室を与え、氏族全体の安寧とつつがなく暮らす様にさせるためだ。

白川静氏は「字統」のなかで、「安」を祖先を祭る寝廟の中で執り行われる儀式が、安静で、安寧であったことから発生した漢字と説明している。この一文だけで、評価は出来ないが、この説明ではウ冠(即ち屋内)のなかに女が配置されているという説明が不十分と思うのだが・・。
   「安」の本義は安定、平静である。安定から拡張して安穏や穏固の意味になり、《苟子•王霸》の「国安んじ、民憂うることなく」とは「国家安穏だと欠食・着るものにこと欠くことなく、庶民の不安定さを憂慮することもない。また安穏から引き出されて「安放、安置」がある。



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漢字「秋」の起源・由来を「甲骨文字」に探る:古人は「コオロギ」を戦わせることから生まれたという


漢字「秋」の起源と由来


 秋はどこか物悲しいとよくいわれるが、「実りの秋」、「収穫の秋」、「食欲の秋」、「天高く馬肥ゆる秋」と巷では、およそ物悲しいという雰囲気と異なる言葉が飛び交っている。
 確かに秋の紅葉の美しさを歌い上げた和歌 「嵐吹く 三室の山の紅葉葉は 龍田の川の 錦なりけり」という歌には物悲しさは微塵もない。芭蕉の「秋深き 隣は何を する人ぞ」の俳句にもあまり物悲しさは歌い込まれていない。ではこの物悲しさは誰が言い始めたであろうか。
 物悲しさとは関係がないが、三国志のなかで、いよいよ出師の「秋」と書いて、出立の時と表現している。秋は作物の豊凶が確定する時。それは人々の生死にも関係することなので、重要な時を「秋」で表現したのだという説もある。(白川静 「字統」)
  さてこの秋という字は如何にして生まれたのだろう。

 「汉字密码」(唐汉著,学林出版社)によれば、
  秋の字は甲骨文字の中ではコオロギである。有るものはキリギリスの形という。その発音はコオロギの鳴き声にたとことから来ている。図の示すところによれば、その形はこおろぎの非常によく似ている。発音は鏡像を組み合わせたような前脚と、形のはっきりしている2つの長いひげと強い後ろ脚など、本当に古人の絵の天才ぶりには驚かされる。このことから、我々は一歩推理を進めざるを得ない。殷商の民族は蟋蟀を闘わせるのを好んだのだ。
 この文字を見たとき本当に面白いなと感じ入ってしまった。このじっくりと見た観察眼とそれでもって秋を表した生き生きした感性が伝わってくるようで思わず笑ってしまった。

 但し白川博士は「字統」で、この旁は、コオロギではなくはくい虫の一種だと説明している。コオロギかハクイ虫かは決め手になる文献もなくどちらでもいい事かもしれない。「ハクイ虫」とする根拠が少し薄弱な気がする。

 しかし少し後世になると、この直接的な感じ方が少し異なる方向に向くようになった。おそらく農耕の発展が跡付けられ、秋はそれとの関連で捉えられるようになったといえる。金文から小篆への文字の変化には古代の人々の認識の変化が文字の変化となって現れているように思える。
 間違いなく、秋は収穫の季節であり作物は黄金色を呈し、あたかも火が燃えるがごとくである。この為秋は火と禾で構成される原因になった。「野客丛談」曰く「物熟すを秋という、秋は収穫の意味である」。秋の字のはじまりは相互にかみ合うことであり、勝者は得意に鳴き、敗者は逃げていくコオロギである。但しとどの詰まるところ、秋とこの時節の概念の発生は強い関係があり、農作物が成熟し収穫のあり様を示している。

 この忙しい世の中で、少し頭を休めて蟋蟀の音に耳を傾けて見られてはどうだろう。しかし多くの都会人にはそのような自由も許されていないかもしれない。
 その様な方々に一句献上しよう 「コウロギも 田舎も遠く なりにけり」 (白扇)
 所変われば品変わるというが、この甲骨文字の解釈にもいろいろな解釈があるようで、ある人はこれはコウロギではなくて蝗だという方もおられる。そして蝗の食害を防ぐ目的で、蝗を焼いて儀式をしたという解釈である。確かにこの解釈も十分ありうると考えている。



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