気ままな散歩

2012年4月24日火曜日

漢字の世界では、家の中に酒があることが「富」ということ

  最近日本では貧富の差が拡大しているといわれている。これは米国が先行し、最近では中国もまた同様という。貧富の差は「資本主義国」の専売特許であったが、近年未だ社会主義を標ぼうしている中国でもこの傾向が出ている。ということは中国は既に社会主義を標ぼうできる状態ではなくなって、資本主義に嵌っていると言わねばならないのではなかろうか。
 最も私から言わせれば、中国のそれは資本主義というより、金本主義という言葉がぴったりなのではと考えている。つまり土地の私的所有は認められていない、資本家がまだそれほど育っていない。賃金労働者の権利つまり「自分の労働力を売る」場所(市場)が成熟していない等などの状況では資本主義というには・・・。
 私の見解はともかく、「富」という漢字のルーツに当たって見た。当って見て驚いた。何と「富」という字は酒に関係しているということだ。それなら我が家では酒を切らしたことはない。しかし貧乏だ。やっぱり世の中間違っている?いや狂っているのは俺の頭?


  甲骨文字の富の字は家の中に一瓶のおいしい酒があるという意味だ。江統《酒諾》曰く「飯が尽きず、暇にまかせて、鬱々と味を為し、気を長く蓄え芳し」。酒を醸成するための前提条件は、まず腹いっぱい食べることだ。併せて飯が尽きないほどあること。
 上古時代、日々皆腹を満たすことはたやすいことではない。あまった食物を酒に発酵できれば当然相当豊かになれる。ここでは屋内の酒は豊かな生活の源である。金文の「富」と甲骨の文字とはよく似ている。小篆の「富」の字は将に屋内に酒瓶の形をしている小篆では字を分解して象形の面白みがなくなっている。 

  「富」の本義は富んで充足していること。常に財物が多いことを表し、「貧」に相対している。論語「学而」の中にあるように「貧しいこと語ることなく、富んでいること驕ることなく」という格言がある。《漢書・食貨志》には更に「富める者田を連ね道を連ね、貧しいもの立錐の余地なく」の社会描写。ここでの富は皆財物が多いという意味である。しかしここまで来ると中国の上古の話ではなく、日本の現代の話そのものではないか。

「漢字の起源と由来ホームページ」に戻ります。

2012年4月23日月曜日

漢字「皿」の起源と由来:上古の器皿の象形

甲骨文字は象形文字、金文では金偏がつき
材質を表す。
 「皿」は象形文字である。甲骨文字中の皿の字は将に上古の器皿の形である。金文の更に字には左に金偏が加わり、皿の材質を表示して、会意形声文字である。更に金へんには蛇足が付け加えられている。しかし古代の器皿は全てが金属製というわけではない。この辺りは少し疑問が残るところである。「皿は金属製より、陶器がずっと多かったのではと思うのだが・・。

小篆の形体は甲骨文字に戻っているため、金の字の旁はなくなっている。楷書では隷書化の後「皿」と書く。皿の字の本義は物を多く盛り付けた(液体であることもある)器具で、‘明"、"碟"、"杯"、"盘"の総称である。一種の総称で大体盛り付けの器具一切を指す。  

「漢字の起源と由来ホームページ」に戻ります。

2012年4月21日土曜日

「豆」の起源と由来:元々は脚の高い食器であった

 前回「食」の字の中に食器を表す「豆」が含まれていることを紹介した。今回はこの「豆」についてもう少し触れてみよう。
 今では日本でも中国でも「豆」と言えば、食べる豆のことを指す。しかし古代ではこれは、食べる豆ではなく、豆などを盛り付けた脚の高い食器を指していた。
「豆」元々は食べる豆ではなく
豆を入れる食器を現わしていた
 「豆」これは象形文字である。甲骨の文字の形体から見ると、「豆」は高い脚の皿である。中にこの高脚皿の中に付けられた物が表されている。金文と甲骨文字は相似である。ただ上部の横一線があるだけで、この一時期の銅豆或いは蓋を表示している。小篆と金文は相似であるが、真ん中の食物を表示していた横線が取り消され、楷書では「豆」と書くようになっている。
 「陶豆」は最初は新石器時代にみられた。商周の時代にはこの種は主食の盛り付けに用いられ、既に日常で常に見られる陶器になっている。1987年安陽の殷墓から出土した銅豆の中にも鳥の骨が発見されていることから、豆も肉を盛り付ける器であったとみられる。「豆」が日常食器となったことから黍の主食の盛り付けに用いられている。また「器皿」などの容量単位として用いられている。単位としては四升は一豆に等しい。
  豆類の植物の総称を豆とするようになったのは、一種の仮借の問題である。上古の豆類はと「菽」と書いた。豆は常々豆類が豆の上に盛り付けられた為に、人々は豆類を豆と称するようになった。

「漢字の起源と由来ホームページ」に戻ります。

2012年4月19日木曜日

「食」の漢字の語源と由来:食器に盛り付けた御馳走


「食」の原義は足の高い食器(「豆」と書いた)に
盛り付けられた食物の意味
  「食」これは会意文字である。甲骨文字の「食」の字は、下部は食器(即ち豆)の外形のデッサンである。食器の上部は尖がっておりまた両側は2個の点があり、既に盛り付けて外に溢れ出ている様を表している。上部の三角形は男性の符号である。両者の会意で、外に出て狩りをし、採取をして、将に帰って来た男たちの食べ物を表している。金文では書くために便利なようになり、食器の形は少し簡略化され、上部の2点も省略されている。 
 小篆の食の字は下部は既に食器の形らしからぬようになっているが、但し形上は却って美観になっている。

 楷書は即ち単純な文字の符号に変化し、甲骨文字の「食」の字の下部の「豆」と書くのは、原本は古人が、稗粟、稲、高粱等の主食を盛り付けた食器である。「食」は名詞で、専ら主食を指し、後に食物一般を指すようになった。「食」の字は殷商の卜辞の中では一つは「食べる」意味で、二つ目は食事の時間を表した。卜辞の中の「大食」の様なことは、即ち午前89時の食事の時間を言う。また朝食(大食、意味は腹いっぱい食べる);「小食」は午後4、5時の時間で、又「饗」(「小食」、意味は晩方未だ祭祀後の飲食に関連している。)この種の飲食の習慣は大采、「小采」という類の労働の習慣に適応し、即ち日の出から8,9時の労働は大采となり、十時から午後3,4時の労働は「小采」となった。

 食の本義は己の好むだけ盛り付け男の食物を残しておくことである。(少し回りくどいが・・。)また男たちが帰って来てから一緒に食べることを表す。この故に、一般的な意味の食物に拡張された。また名詞から動詞の「食べる」という意味も引き出された。
 この事から当時の生活様式や労働様式が垣間見える。


「漢字の起源と由来ホームページ」に戻ります。

2012年4月17日火曜日

食文化の曙

  世界の料理と言えば、フランス料理、中国料理、日本料理と3つが並び称されるが、この中で歴史の最も古いものと言えば、言わずと知れた中華料理である。その最初の担い手は、漢字の生れるはるか前の新石器時代に既に火を使い陶器の調理器具まで作り出した華夏民族であろう。 
 「民食を以て天を為す」人類と飲食は共にあり、飲食は人類の創造、また人類の第一の生活要件である。

 「礼記・礼運」曰く、昔未だ火がなかったころ。草や木の食事、鳥獣の肉、その血を飲む。以降火を治めて利用した。

華夏民族の飲食文化は火に炙って焼き肉を食べ始めたが、飲食の本当の過程は調理器具と皿の発展が相まって成り立つものである。
   考古学の資料は新石器時代の早くから早くも我々の祖先は調理皿を作り、形状は乳房のごとき三本脚の一般的な高温陶器の出現があった。飢えれば食べる、多ければ捨てるという食事が変わった。更に重要なことは調理方法の改善を促進し、人々の飲食の内容が大きく豊富なものになった。殷商に至ると即ち漢字が作られる頃には調理器具のセットまで出来た。既に世界民族の林から独立を為し、華夏民族の飲食文化はすでに食べて飽き足らずの味を持っていた。  
 古代の漢字には、食器、酒器など非常に多くの漢字が残されている。今後食器や酒器についても振り返ってみたい。
 この点近代にいたっても、南太平洋諸島の民族の様に味に関する語彙が非常に貧しい文化と著しい対照をなしている。

「漢字の起源と由来ホームページ」に戻ります。

2012年4月16日月曜日

漢字「配」の起源と由来:酒瓶を配る男の意味

「配」は酒を配る人の意味。
「配」は会意文字である。甲骨文字と金文の「配」の字の左辺は酒瓶を表す「酉」である。右辺は膝まづいて中腰になった男を表している。両形とも会意文字で今酒をその他の人に配り分けている様を表示している。小篆の「配」の左辺は「酉」であるが右辺の人の形には変化がみられる。すでに人の形ではない。楷書の「配」の形は、この縁から人の形はさらに一歩変化し、ついに酉と己からなる会意文字となっている。

 配の原義は酒を分配する人の意味である。また古語の中では「男女の結合」ということで、「配偶、匹配」等の様に用いられた。又さらに拡張されて、若干の部分で「調配、塔配、配料のように一緒という意味にも用いられた。 「配備」の様に補充して完備するという意味にも拡張された。成語の中でも「成龍配套」(各部を組み合わせて完成したシステムを作る)様に使われる。
 「配」は古代ではまた「発配」を指す。即ち流刑懲罰の罪を受けるという意味である。

「漢字の起源と由来ホームページ」に戻ります。

2012年4月15日日曜日

「省」という漢字の起源と由来


 日本で「省」といわれて最初に思いつくのが、「文科省」「財務省」「外務省」などの国の仕組みのことである。
 最近では、官僚の専横独断が鼻に付き、こういった官僚の仕組みに対する不信感も増幅されており、嘆かわしいことである。
 中国語では、省という字は二つの読み方があり、それに伴い二つの異なる意味を持っている。いわば同音異義語である。

「省」:よく見る、察、省く、古代王宮の禁止区域
一つはShengと読み、省く、省略する、「○○省」の省(日本の県に当たる)であり、もう一つはXingとよみ、内省する、反省する、悟るの意味である。
そこで、甲骨文字に戻ってこの文字の由来を探ってみよう。

この文字は会意文字である。甲骨文字では、眼の上に三画を付け加えて、目に差し込む光を左右から観察している形である。金文は甲骨文字を引き継ぎ、形は相似である。小篆では金文の第2項目の下辺の眼の形が転じて「目」に変化している。すぐ上の点は長く引き伸ばされ湾曲している。楷書では「省」と書かれるようになった。

 「省」の本義は細かく見て、じろじろ観察するということである(審査するように見る)。また前に過ぎ去ったことを省みるという意味でもある。
 《論語》では「一日三回わが身を省みろ」と語られている。もともとは審視するという意味から派生して、探望や挨拶をさすようになった。覚悟、知る、悟るなども派生的な意味である。

また減少の意味あり。このことから節省(節約)、倹約等の言葉が派生した。

省は古代にあっては王宮の禁止区域のことである。「篇海類編」の解釈では省とは禁署なりとある。男が入ることが禁じられた省のこと即ち、言いかえればこの中には査察ができない妾の場所のことで、これによって、これが中書省や尚書省などの官署の名称となった。
 ところで白川博士の説はこの唐漢氏の説と異なり、目の上に付いた枝の様なものは「呪力をますために眉に付けた飾り」のことを言い、呪力をますために飾りをつけて、地方を巡察して取り締まり、見回ることが「省」だというのだ。そして見回った後取り去るべきものは取り去るので省くという意味も出てきたとのこと。ここでも白川博士が卜辞や呪術を重視していることがよくわかる。

「漢字の起源と由来ホームページ」に戻ります。

2012年4月12日木曜日

中国人に最も好まれる木「桃」の起源と由来

桃は中国では、日本の桜の様に人々に好まれ文人にも愛され、多くの作品や故事来歴に登場している。

桃の木の「兆」は卜辞の際、亀の甲に
レや卜が現れ、兆の字に似ていること
から造られたという説


桃は「木」と「兆」から出来ている。今から3400年前殷代の人々は亀の甲を利用して吉凶を占っていた。灼熱で焼いた亀の甲羅に裂け目が卜やレのいろいろの形をなし、かつ左右に裂け開く文様の形は「兆」の字の様である。従って、桃は「桃」と書くようになったゆえんである。また桃の実が熟し左右に裂ける時、裂けた桃の表面は卜卦の様な文様を呈することからも「桃」と言われるようになったこともありうる。これは桃の実は手で分けることが出来るのも一つ理由かもしれない。

しかしここで「兆」の字の起源と由来がはっきりしていないので、少し説得力に欠けるきらいがある。

桃は果物の名前である。また木の名前でもある。桃の木は落葉樹で高木である。高さは約1丈(3メートル強)余りで春に開花し、花は多く、紅色の花は愛らしくあでやかで艶めかしく、白い花は清楚で優雅である。
桃はもともと中国の文人が好むものであるので、桃を主題とした詩文歌には枚挙のいとまがない。
「桃源郷」や「桃園の契り」など故事にも事欠かない。

「漢字の起源と由来ホームページ」に戻ります。

2012年4月6日金曜日

漢字「虎」の起源と由来:完璧な猛虎、象形文字


 関西では圧倒的人気を誇る「阪神タイガース」。今年はなかなか調子もいいようだ。しかし梅雨ころになると打線が湿ってしまうようなので・・。関西でついうっかりタイガースの悪口でも言おうものなら袋叩きに会う。
 ただ私は、野球にしろ何にしろ、ファンと言われる人々がどうしてあそこまで夢中になれるのかどうしても理解できない。何にでも夢中になれるものを持つということは幸せなこと。私などは「可哀そうな」人間なのかもしれない。
 さて今日は虎という字に焦点を当ててみる。ひょっとしたら虎キチの面々も注目してくれるかもしれないという不純な動機に背中を押されて。
 「虎」は象形文字である。甲骨文字の「虎の字は、頭を上に上げ、口は大きく広げ、体には美しい文様があり、尻尾や足に至るまで猛虎の図である。全体の字形は縦長で虎の側面に良くあっている。実際上古人はこのように漢字を横に狭く縦に長い構造を持つ特徴がある。
金文の「虎」は大きな省略があるが未だ虎の形状を留めている。小篆の虎の字は均整がとれ美しくなっているが、既に甲骨や金文の象形の特徴は失われている。却って文字が図形から符号に向かう必然の道を辿っている。 
虎穴に入らずんば、虎児を得ず
  「虎」は説文では、山獣の君主と解釈している。これは虎を見て百獣の王とか食肉猛獣とか、林の中の覇王と言った呼び名と一致している。上古時代、東北の虎と河南虎はいつもよく見ることのできる動物であった。従って、かなり多くの言葉や成語が虎の字から出た由来を含んでいる。虎口余生,虎视眈眈,狐假虎威,不入虎穴、焉得虎子(虎穴に入らずんば虎児を得ず),虎毒不食子"などである。人々は虎の字で人の勇猛威武を「虎将、虎臣、兵雄将虎、虎背熊腰」の如く形容した。武松のように素手で虎を殴り殺した等の様に大概は最も勇猛果敢な人を指す。
 この成語は、「漢書」を著した班彪の息子である班超が、40歳ぐらいの時、それまで役所で事務手続きをしてくすぶっていた。 40近くになってその知識と能力を見出され、西域に匈奴の征圧に派遣されることとなり、武名を轟かせている。
彼は華々しく西域を駆け巡っている時、 彼が天山南路と天山北路の分かれ道に来た時、匈奴に囲まれてしまった絶体絶命のピンチの時、班超は「虎穴に入らずんば虎子を得ず」と皆を奮い立たせ、一計を案じ、匈奴の陣中の宿舎を襲い、これに火を放って夜襲を仕掛け見事匈奴を屈服したことから生まれた逸話である。
  虎とライオンではどちらが強いのだろう。勿論闘う場によって異なるだろう、竹林の中では圧倒的に虎、サバンナでは圧倒的にライオンかもしれない。しかし短期決戦であれば虎に軍配が上がりそうである。昔台湾で、虎の動物園を訪ねたことがあった。本当に子牛ほどの虎が咆哮していたが、ものすごい迫力であった。ライオンは動物園でもあれほどのものは見たことがない。 
虎は人も怖がらせるような危険な動物である。この為それは残虐危険なことの比喩にも用いられる。

「漢字の起源と由来ホームページ」に戻ります。

2012年4月2日月曜日

漢字「梅」の起源と由来:木編に母を顕す「毎」の会意文字

 昔、菅原道真が「東風吹かば匂いよこせよ梅の花」と詠んだように、梅の花は桜の花とまた少し違う感慨を日本人に与えている。
 春近しとはいえまだまだ寒い季節に一番に咲き、我々に春遠からじと告げる。そして、その凛とした姿は、気品に溢れ、見るものに一種の畏敬の感さえ与えるように感じるのは私だけだろうか?

 梅は形声字で木偏と「毎」からなっている。「毎」は象形文字で本義は氏族社会の中で、子供を最も多く育てた母親のことである。《詩経》では「原田毎毎」という表現で、田畑の植物がよく茂り繁殖していることを形容している。従って、梅がなぜ「梅」と書かれるようになったかの原因を知ることは難しいことではない。

梅が実をつける時、必ず枝枝全てに累々と実をつけている。この外女性が妊娠した時酸っぱいものを食べたい時、いつも梅の果実を口の中に入れているのは中国の妊婦の習慣の一つである。古人も認めるように梅は女性が妊娠した時の生理反応を助け、胎児を平安に発育させることが出来る。この為人々は梅を一種のめでたい樹木と考えた。 

 酢がなかったころ、古人は梅を使って生臭さを消した。《札記内則》にある「酵素を用いて和え、肉は梅を用いる」動物の肉を煮て食うとき、必ず梅のみを生臭さを消す調味料として使う。羹を和える時、塩梅を用いる。

また「望梅止渴」(梅を見て渇きをいやす)は歴史上有名な故事である。これは今でも我々がよく経験することである。


「漢字の起源と由来ホームページ」に戻ります。

2012年4月1日日曜日

漢字の成り立ちと由来:甲骨文字の「春」からは、古代の先人たちが春を心から待ち望んでいた様子が窺える!

漢字の成り立ちと由来:甲骨文字の「春」からは、古代の先人たちが春を心から待ち望んでいた様子が窺える!

「春はあけぼの、ようよう明るくなりゆく・・」と枕草子の中で清少納言はうたった。桜が咲き、今本格的な春の訪れを迎え、心もここなしか浮き浮きとなる季節である。また最近では「もうすぐ春ですね~、恋をしてみませんか」という歌詞も一世を風靡した。猫のさかりの声がやかましくなる時期でもある。 
 春は草木や木々が日の光を受けて、萌出る季節であり、字体にもそのことがよく現わされている。

 春の原本は会意文字である。甲骨文字の左辺は上下に分かれ、「木」の二つの部分である。木の中間に「日」があり、太陽が昇ることを表している。字の右辺は「屯」であり、潜り込んだ根が発芽することを表している。明らかに春の字の本来の意味は太陽の光が強くなり草木が生え出す時期を表している。
 金文と小篆の春は甲骨と比べ字形は均整化されている。
 

 上部は草冠、中間は「屯」の字で下部は「日」である。以後隷書の変化を経て今日の字体となり、「草」、「屯」の字は最早現らわれていない。
  しかし「春」は一年の開始を示し、この本義はずっと変わらずにいる。春のような景色は「春色」「春光」といい、春の農繁期は「春忙」といい、30歳になると赤い紙に吉祥の文字を対連で「春联」などなど。古代文学者は大変多くの草木の生長する様を描写して、「春に至りて江南の花自ら開す」「春の到来を人は草木に先んじて知る」「春に至れば人間万物鮮やかなり」など、これらの詩句春に万物が萌出る現象を表現している。又「春」という字から始まる成語も多数ある。
参考: 四文字熟語は故事と成語の尽きない泉

「漢字の起源と由来ホームページ」に戻ります。