いま日本中はこの驚くべき暴言に唖然としているのではなかろうか。この発言が元で罷免された防衛局長の品性のなさに、情けないという思いに駆られている人は私だけではないだろう。
さて、この暴言に関係して、毎日新聞の11月30日付余禄にあった記載に触れてみたい。暴言という語源について「余禄」は白川博士の著述から、『「暴言」の「暴」は日と獣の死骸の形を組み合わせた文字なのだという。白川静さんの「常用字解」にそうある。死骸が太陽にさらされるわけで「さらす」、するとたちまち骨があらわれて「あばく」「あらわれる」との意味になった』とある。
早速我が唐漢氏は何と言っているのか当たって見た。
氏はこの文字は太陽の光に麦の穂が晒されているものだとしている。ここでも白川博士の呪術的な発想に対し、農耕に漢字の発生を見る氏の視点の違いが際立っている。
曰く、「暴」この字は一種の会意文字である。金文の「暴」の上辺は爾の光が下に向かって照射している様を表している。下辺は突出した麦の穂が成熟した形とみる。あたかも日の光が降り注ぎ、麦が熟しているときの描写である。
小篆の「暴」の字は形の変わった両手が太陽の光のもとに米を晒している様を示し、楷書が隷書に変化する過程の中で、再び形が変わり「暴」の字となり、形は似ているが雰囲気が失われた会意文字の形になった。甲骨文字の品用がないところを見ると甲骨文字の時代にはこの字はなかったのかも知れない。
日に晒すということから引き出されてくるのは「顕露、顕示」の意味で、暴露と同じである。赤い日が空に当たり、強烈な日差しが火に似ていることから「慌ただしい、猛烈」ということが引き出され、「暴雨、暴怒、暴躁」等の言葉が出来た。また「残忍、残酷」の意味も表わされ、暴虐、暴行、暴徒等の言葉にもなった。
氏はこの文字は太陽の光に麦の穂が晒されているものだとしている。ここでも白川博士の呪術的な発想に対し、農耕に漢字の発生を見る氏の視点の違いが際立っている。
曰く、「暴」この字は一種の会意文字である。金文の「暴」の上辺は爾の光が下に向かって照射している様を表している。下辺は突出した麦の穂が成熟した形とみる。あたかも日の光が降り注ぎ、麦が熟しているときの描写である。
小篆の「暴」の字は形の変わった両手が太陽の光のもとに米を晒している様を示し、楷書が隷書に変化する過程の中で、再び形が変わり「暴」の字となり、形は似ているが雰囲気が失われた会意文字の形になった。甲骨文字の品用がないところを見ると甲骨文字の時代にはこの字はなかったのかも知れない。
日に晒すということから引き出されてくるのは「顕露、顕示」の意味で、暴露と同じである。赤い日が空に当たり、強烈な日差しが火に似ていることから「慌ただしい、猛烈」ということが引き出され、「暴雨、暴怒、暴躁」等の言葉が出来た。また「残忍、残酷」の意味も表わされ、暴虐、暴行、暴徒等の言葉にもなった。
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