2012年8月28日火曜日

65年目の「罪と罰」:「罪」という漢字の成り立ちと由来


韓国の李明博(イ・ミョンバク)大統領は14日、天皇陛下の訪韓について「(日本の植民地支配下で)独立運動をして亡くなった方たちに心から謝罪するというのならいいのだが、『痛惜の念』だとか、こんな単語一つなら、来る必要はない」と述べたという報道(「毎日新聞」 2012.8.14付け)が大きな波紋を呼んでいる。日本の新聞各社はこれに対し、早速反論を展開し、政府も中日韓国大使を呼びつけ抗議をし、各種外交上の手を打っている。韓国の大統領にしても少し失礼な態度であると思うが、そんなにカリカリするほどの問題ではないと思うのだが・・。こんなことを言うと火に油を注ぐようで、すこし危ないが、日本の国民も冷静に対応したいものである。
韓国の大統領も少し大人げがない態度だと思うが、日本も声高に喚き散らすのではなく、冷静に対応し、いたずらに民族感情をあおることは何としても避けるべきである。
 また、従軍慰安婦の問題、南京問題などについても、今後も、何か問題があれば持ち出されるであろう。「忘却の」彼方に押し遣ることなく、今日の問題として、国としても真正面から向き合い、真摯に襟を正すべきだろう。こうした日本の態度が、あってこそ韓国、中国、台湾、東南アジア諸国などからアジアの友人として迎え入れられるようになるだろう。
 靖国参拝の問題に対してもしかりである。参拝される方達は決まって、「英霊を祀ることは、日本人として当然のこと」と仰るが、ドイツの首相が、ヒットラーの墓前に花束をささげに行ったとしたら、世界のユダヤ人たちはそれを良しとするだろうか?あるいは世界の人々はそれを良しとするだろうか。日本が中国・朝鮮に対して行った侵略は紛れもない事実ではないのか? いかなる問題も自分たちだけが納得すれば、それで「文句言われる筋合いはない」ということではないだろう。
日本人の過去の戦争に対する態度で、司馬遼太郎氏も深い憂いを以て述べられていた。同じ道を引き返してはならない。

どうしても、靖国に祀るというなら、靖国神社を不戦の為の神社として位置付けてはどうだろう。そうなら世界中の人間も納得するだろうし、靖国法案一本でかたが付くと思うのだが。
 われわれは他人を一方的に非難する前に自ら内省的に考えることは自虐的なことでもなんでもなく、むしろ大人の立派な行為と考える。

 さて、このサイトの目的は漢字を通して文化を探求することであるので、本来の目的に立ち返る。ここで出てきた「謝罪」の「罪」とはいったいなんだろう。
引用 「汉字密码」(P632, 唐汉,学林出版社)


"辠”は奴隷の鼻を切り取ることを示している

 "辠”は“罪 "の初文字であって会意文字である。金文の "辠 " の文字の上部は "自 " で、鼻を示しており ;下部は "辛 " で、奴隷を示している。両の会意で、奴隷の鼻を切り取ることを示している。
 《説文》は "辠を解釈して、「法を犯す」なり、辛と自とから、いわゆる法を犯した者は鼻をしかめて苦辛の憂と言う意味となった。


始皇帝は「辠」の字が皇に似ているということで「罪」に改めた。



 図の示すように、小篆の "罪 " 文字二つがある、一つは金文の "辠 " から来ていて、もう一つは秦始皇が命令して作った新しい "罪 "の文字である。"罪 " の文字 を作って以降、「罪」は、法網に捕捉した下の不法の人を示している。

苟子の必罰主義 

 "罪 "(辠 ) の本義は犯罪者で、古代の割鼻の刑も示している。また拡張されて法を犯す行為、即ち犯罪をいう。《苟子・王制》にあるように、功無く褒めることもしないのは、罪もなく罰することもしないのである。"犯罪を犯した後、必ず処罰される、鼻を切り落とされ非常に苦しい目に会う。

 だから、"罪 " は又拡張され苦痛、例えば "受罪"の様に使う 。

 古代の帝王はたまたま天災と人災があったとき、人民反抗を緩和するために、往々にして"罪己诏 "を公布し、自責することを示す。ここの "罪 " の意味はいわば "呵責 " という意味だ。
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