気ままな散歩

2013年12月9日月曜日

来年の干支は午年

 来年は十二支では午年に当たる。我が唐漢先生の説によると、この十二支は人間の出生の過程を表したものであるという。従ってこの場合漢字は「午」であって、「馬」ではない。ちなみに漢字源によれば、以下の通り、「午」と「馬」にはなんの関係もない。
 曰く、この時刻や方角の午を午に当てたのは「農民が覚えやすいように十二支に動物を配した秦漢の農暦の影響で、本来は馬と何の関係もない」(「漢字源」の「午」の解説より引用)とある。来年は十二支では午年に当たる。

 しからば、古来「午」はどのように表わされていたのか、甲骨文字を紐解いてみる。


引用 「汉字密码」(P874,唐汉,学林出版社)

「午」は象形文字である。甲骨文字の「午」の字の二つの字形はすべて嬰児の体から脱落したへその緒からとった形象だ。しかし金文から小篆にいたって、字形の外形は著しく変化した。ただし変化の軌跡は却って明らかで証明しやすい。漢字の早く書く書き方と対称化の過程の中で、楷書では「午」と書くようになった。

 「午」の構造的な形はへその緒である。その物象は嬰児に起こる一定の時間の課程を経て、脱落してきたへその緒である。字形上の区別から、ものを括ったところとせん断した刃口にはなお一定の距離がある。これは古代の医薬消毒の条件が今日と比べ大きな隔たりがあることから来ている。いわゆる嬰児の身上にとどまって出てくるへその緒は今日の長さと比べ大変長かったに違いない。もって病原菌の感染を防いだ。嬰児の身上から脱落したへその緒は大体7日から15日(首都の医科大学の幾人かの教授および多くの子供を成育してきた母親によれば、へその緒が脱落する時間は、それぞれ人によって言うことが違うが、ここでは大体この数値になるようだ。) このとき嬰児が最初の夭折期を過ごすと、慶事に値することになる。

 つまり、古代においては、この夭折期こそが人間が生れ落ちて、確かな生命の営みを辿るまで、人間に課せられた最初の試練だったといえよう。今でこそ、医学の発達した病院や、施設での産褥はさほど危険なものではなくなってきたが、数千年前には、母子ともにきわめて危険な過程ではなかったろうか。しかも人間の場合、馬や牛と違い、生まれてからすぐ立つことはできない。牛や馬は生れ落ちると外敵に対するためすぐに立たなければならない。しかし、人間やサルの霊長類は母体を守るため、嬰児は自らの足で立つことが出来るほどまでに長く、母の胎内にいることは許されない。その代わり長い時間をかけて、育て上げることが必要で、その意味からも、この1,2週間のへその緒が取れるまでの期間は非常に大事であるし、また危険な時期であるといえよう。

 「午」は嬰児の産出、養育の順序に照らしていえば、地支の配列は第7番目にくる。時刻標記に用いて、「午」は真昼、11時から13時の間の時刻を指す。午時、午休み、午飯のごとくである。また特に日中の時刻をさし、
正午、中午、昼の3時などと使う。また「午」は日影の方向から拡張され方位を指す。「子」は即ち真北を指し、「午」は真南を指す。いわゆる陕西関中から漢中にいたる道を子午道という。また地面上のある点を通る南北の経線を子午線という。
 「午」は甲骨文字の中では基本構造の文字である。古代漢字の中で独特のへその緒文化を構成している。しかし古代文字の大家は皆それを糸と混同している。実際上は文字の実際表意に基づけは、区別は明らかである。
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2013年10月9日水曜日

「干」:漢字の起源と由来

 中国で古くから「盾」の意味で用いられている漢字に「干」というものがある。この漢字は感覚的にはおよそ盾には似つかわしくないもので、盾というより、日本で使われた武器を当てはめてみるとむしろ「サスマタ」と言った方がしっくりくる。しかし「所変われば品変わる」のことわざ通り、唐漢氏によれば、これは盾といえども、そもそもはまさしくサスマタのような使い方をしていたもので、中国ではこれが発展し盾となったという。
引用 「汉字密码」(P584,唐汉,学林出版社)

「干」は中国では最も原始的な武器

 木の叉の「Y」字の表示で横1画が加えられている指示符号に用いられて木の叉の所在を表示し、一種の狩猟、格闘の武器を示している。

 又のある木の盾はすなわち最も早い原始的な武器である。両又の先端部分を鋭く削り、獣を捕らえ狩をしたり、格闘時に刺し殺すのに用いられた。「干」を用いて人と人の間では殺し合いや格闘時に用いるときは、上部の又の尖っている部分は突き刺すのに用いられ、分かれた両又は攻撃を阻止するのにも用いられた。中でもこれは戈の啄みを防ぐのに用いられ、戈の頭がたたき下されたとき、ただ「干」を上に上げ、矛の振り下ろしを解消した。これは中華民族の盾牌の最も早い原型である。

 盾と戈の配備と組み合わせは華夏民族独特の単兵兵器の組み合わせであり、成語の「大動干戈」(戦争を起こすの意)はここから来ている。


中華の戦闘の形式は中原に「夷」が出現することで劇的に変化した

 一群の背の低い戦士が、弓矢を背負い、片方の手には戈を持ちもう片方には干(盾)を持って、中原の大地に出現したそのときから、そこでは一幕の残酷な戦争の悲劇が上演された。草むらの中から、大樹の後ろから不意に鋭い矢が飛び出してきた。その後は都合よいように使われ、矛で叩ききり、「干」で防いで、右往左往し、血は飛び散り、肉は飛び、サルよりもすばやい戦士が、とびはね跳躍し命がけで戦闘し、絶えず横になり身を伏せる人がいる。そうして、生きた人は死人の耳を切り落とした。


説文の解釈

 「干」:説文では干を解釈して「犯」とした。干を指し「犯」とし、犯を冒すこれがすなわち干の攻撃の意味である。これは一意的に同音の言葉があり、「妨害、責任、かかわり」等。防護の意味から古代では干は常に盾を意味した。
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2013年10月1日火曜日

盾:漢字の起源と由来

  矛盾という言葉の中の矛について前2回触れてきた。今回はそのもう一つの主役である盾について調べてみよう。
  盾は実用もさることながら、その表面に美しい図案を施したビジュアル的要素の多い兵器になっている。

  中国や西洋ではこの盾が兵器の中で重要な位置づけを占めているにもかかわらず、日本では私の見る限り盾という兵器があまり表立ったものにはなっていないように思う。なぜだろうか。

 そこには日本と中国や西洋とでは戦闘のあり方が異なっているのではないだろうかと思う。何か決定的違いがそこにはあるような気がする。この違いを明らかにすると、日本と諸外国の気質の違いが見えてくるのではないだろうか。これは、後日の検討課題である。


引用 「汉字密码」(P585, 唐汉,学林出版社)

  盾は本来象形文字である。甲骨文字の盾の字は上古の盾牌のデッサンである。金文中の第1款の盾の字は甲骨文字の延長である。第2款の盾の字はもう一度改めて焼きなおしたものだ。上下の構造の会意文字で上辺は人形、下辺は台の形の盾牌を表し、盾牌を持って対人体的防護を表している。


   小篆はその過程の中で生じた変化で、盾牌の形象は目で表した。《説文釈疑》曰く、目は盾の用途を示し、形と意味が兼ね備わって文字になったものだ。

  三千年来、兵器の中の「矛」の進攻性と同じく、盾はビジュアル系防護器具の代表的な標本であった。最も原始的盾牌は干(盾の意味)から生まれ出て、藤木の類の材料が多用された。蒙古の周辺では獣の皮に、漆を塗ったあと凶悪なトラの絵を描いている。

  青銅時代の皮の盾にはすでに青銅の鋳造の泡釘をはめ込みあるいは獣の面の盾飾りを嵌め込んでいる。両周(東周、西周)の時期には盾と矛は兵士の作戦的な兵器になった。暫時戈は取って代わり、大量の装備の兵器になった。ただし盾と干の間には形成上の承継性がある。戈と矛の間の承継性はわずかだが受け継いでいる。よって青銅器の銘文中には片手には戈を持ち、もう一方には盾を持っているデッサンがある。矛盾が一緒に書かれた図もある。

商周の時期の埋葬墓にまた、常に戈と盾は同時に埋葬している現象がある。

  
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2013年9月23日月曜日

矛と戈の字に見る武器の変遷

 

引用 「汉字密码」(P582,唐汉,学林出版社)

「戈」は象形文字である。甲骨文字の「戈」は正に戈のデッサンで戈の竿の上にはとがった横長の「戈頭」があり、上端は短い線で「秘帽」を為し、下端は鐏(戈などのいしづき)となり、地上に挿して立てることができるようになっている。

金文の「戈」の字は甲骨文字と比べさらに美観で真に迫っており、特に戈の頭の飾り房を表すまで至っている。 小篆の戈の字の線条は明晰であるが象形の味は非常に多く失われてしまっている。楷書はこの関係で「戈」と書くようになった。

   「戈」これは鉤で啄ばむ方式の殺人兵器で、また中国固有の民族的特徴を捉えた戦争兵器である。新石器時代の晩期の遺跡中考古学者はかつて石戈が出土したときその形から分析し、これらは有史以前の時期の「斧」であるかもしれないと考えた。斧は古代社会にあって、一種の樹木の切削道具として用いられた。必要あらば、敵をつつき殺すのにも用いられた。絶え間ない殺伐の啓示から、われわれの祖先は「戈」という一種独特の兵器を作り出した。

 商周の全時代を通じて、「戈」は最も重要な格闘兵器となり、多くは青銅が浅く鋳造されたのち再び磨かれ打ち直されたものだろう。戈は長ものと短柲の2種類があり、短秘の戈長さは約1メートルあり、歩兵の格闘に適し、長柲(木変に必)は長さは2-3メートルあり戦車の攻撃に適す。「戈」は商周の時代を経て一直線に戦争の実践主要兵器となった。紀元前3世紀に至ると「矛」の鋼鉄製の兵器の出現によりついに矛は戦争の舞台から退出した。

 戈はもともと兵器の専用名であった。戈は華夏の民族の代表的な最も実践的兵器であった。言葉の意味が拡大して以降、またそれは広く兵器をさすのに用いられるようになった。 「戈」の字はまた部首でもある。漢字の中で、およそ「戈」が組み合わさった字は、みな武器や格闘に関係している。例えば「載、戒、戎、咸、武」などの字である。
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2013年9月22日日曜日

最も印象に残る矛盾:オリンピック誘致の際の安部首相の演説 「矛」という漢字の起源と由来

 最近フジテレビで「ほこXたて」という番組がホットになっている。これは相対立する機能を持つ商品を実際に再現して見せて、その優劣を競うというものだが、なかなか見ごたえがある。例えば「どんな金属でも穴を開けるというドリルの刃」X「絶対に穴が開かない金属」だとか、「いったん接着すると絶対にはがすことのできない接着剤」X「強力な引っ張り力で接着したものをはがして見せるダンプカー」という類のものである。

 それぞれの商品を開発する会社がその意地と面子をかけて対立し、商品力を挙げていく様は見ていて「よくやるな!」という感じを視聴者に与えている。
 このほこたて(矛盾)という言葉は中国の故事に由来するものであるが、これを紹介したのはかの有名な韓非子であるらしい。いわく

 韓非子の書物の中に矛と盾の故事に関する記述がある。楚の国に一人の兵器を売るものがいた。彼は盾を掲げて「私の盾はいかなる矛も刺すことができない。身を翻して今度は矛を掲げて、私の矛は硬くて鋭い。いかなる盾も貫いてしまうといった。傍らの人が言った。「この矛でこの盾をさしたらどうなる?」 武器商人はしばらく考えたが、どう答えていいかわからなかった。以後ひとびとは相互に抵触するものを指して「矛盾」といった。
 こうしてこの概念は中国哲学のひとつのカテゴリーとなった。毛沢東の有名な著作に「実践論・矛盾論」というのがある。

さて、この言葉の矛の部分についてそのルーツに当たってみよう。

引用 「汉字密码」(P585、唐汉,学林出版社)

「矛」は柄の長い兵器である。格闘したり、捕縛したりするときに、刺したり、切ったりするのに用いる。商代の早期、石や骨を多く用いていたが次第に冶金の青銅の硬度が向上するにつれ、銅矛が商代晩期には逐次流行し、「戈」に次ぐ格闘兵器となった。秦漢以後は鉄器が広く使用されるようになってからは矛は逐次「戈」の地位に取って代わり、古代戦争で使用期間では最長の兵器の一つとなった。
 
 金文の「矛」の字はすなわち「矛」の象形である。矛の頭は柳の葉の状態を呈し、筒の部は飾りあるいは縄を括り付けるように半円形の輪の形をしている。小篆の矛の字は金文を受け継ぎ、かえって象形の味わいを失っている。楷書の字形は小篆の形体の直線の整理からきている。矛は鋭い先と両刃を持っている。矛の柄竹を多く寄せ集めたもので構成され、すなわち直木で芯をこしらえ外周りに竹を付着させ、糸縄で緊縛し漆で上塗りをしている。長さは多くは3.2から3.8mの間で、もっとも長いものは4m以上で、戦車に適応させている。
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2013年4月28日日曜日

「狂」:漢字の起源と由来

 最近、何かが狂い始めている。国の指導者も然り。本人は実に真面目に「一生懸命」である。だから余計に始末が悪い。
 
 諺に「亀の甲より年の功」といわれるが、最近特に感じることである。
 例えば戦争に行くことが、決していいことだと言わないが、すくなくとも戦争を経験したものは、二度と戦争をしたいとは思わない。しかし、戦争を経験していないものは、意識が抽象的になって、「戦争」を簡単なものに考えてしまうのではないだろうか。北朝鮮の指導者にしても、日本の首相や高級官僚などの国を指導する人々は、なぜあんなに戦うことを急ぐのか?
 「強いアメリカ」「強い日本」「強い中国」、いずれも民族主義を肩に担いで動こうとする。大衆の意向がそうといえばそうであるが、そもそも大衆の意向は何で決まるかといえば、その政治で決まる。つまり前の政権を引き継いだにせよ、指導者が自ら作り出してきた「潮」である。
 
 民族主義は非常に危険な思想だが、しかし自然発生的に出てくるものではなく、強力な権力が何らかの意図を持って、国外または国内で工作を仕掛け意識的に誘導して作り出されるものが、殆どではないかと思われる。そしてそれに易々とだまされるのが、概して貧困層であり、教育を受けていない被支配者階級(階層)なのだ。
 人類は結局、お互い闘い殺し合い、最後は死滅するのかもしれない。その時になって初めて、「人間とは何と愚かな生き物なんだ」と気付くのかもしれない。その時まで、この狂気の思想に取りつかれたまま、死に向かって行進するのかもしれない。

 世の中全体が、或いは自然までも狂い始めているように感じられる。だれが、世の中を狂わしているのか?


 「狂」という漢字の起源と由来に当たって見よう。この狂いを太古の人々はどのように認識していたのか。


引用 「汉字密码」(P35,唐汉,学林出版社)

甲骨文字の「狂」の字の右半分は犬の象形のデッサンである。

甲骨文字の「狂」の字の右半分は犬の象形のデッサンである。左半分の上部は足の足跡を表示し。下辺は「土」の字である。



「犬」の字は、犬が狂犬病を患った後で走り回る情景を表している

 両形は会意文字である。犬がその本性を失ってしまって、走り回ることを止められない。犬が狂犬病を患った後で走り回る情景を表している。小篆の「狂」の字は既に会意兼形声文字となっている。「犬と圭」。隷書から楷書まで一歩ずつ変化し、今日の狂の字がどのようにして一歩ずつ変化したか(訛り)を見るのは難しいことではない。楷書の「狂」の字は既に典型的な形声字となっている。犬という字と「王」の発声。


現代漢字中、「狂」の字は人の精神の常を失しているという意味である。

 現代漢字中、「狂」の字は人の精神の常を失しているという意味である。
 またこれから拡張され人の「狂妄、人が理知的な状態を失って、あるがままに放蕩し拘束を受けない状態を言う。心を失い、病に狂い・・。
 また拡張され、情勢が猛烈で広く大きい時、「狂風暴雨。狂暴不安」のように用いる。
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2013年4月23日火曜日

獄:漢字の起源と由来

 犬にまつわる漢字について、連続して調べているが、今回は「獄」という字である。獄という字は、「監獄、地獄」という風にあまり好いイメージには使われない。犬は最も古くから人間と馴染んできた動物であるが、その割には昔からあまりいい評価を与えられていない。犬は人間が飼いならして以降、人間に忠実で、人に逆らうことはなかったことから、却って見下げられてきたのかもしれない。どこかの首相がどこかの大統領に媚びた為、「ポチの尻尾」と呼ばれたことにも通じるのかもしれない。この方は、この一国の首相の個人の問題で終わらなく、その国民全体が今や世界からあまり評価を受けなくなってしまっていることに、深刻な問題をはらんでいる。

引用 「汉字密码」(P29,唐汉,学林出版社)

「獄」という字は、二匹の犬が相まみえて唸り鳴いている形をしている


  「獄」という字は金文では、二匹の犬が相まみえて唸り鳴いている形をしている。真ん中の字形は「言う」の字で、これは二匹の犬が争っている時の叫び声を表している。犬が相互にかみ合っていることから、拡張され争いを表している。人と訴訟する意味である。敗訴になった人は牢につないがれたことから拡張され、漢代以降、人々は監牢を「獄」と称するようになった。

 獄の字は二匹の犬が守って、牢獄の一つの概念を示している。単に監獄に犬を看守として用いるだけではなく、無論大きな家の人は、皆通常は百姓等も皆犬を使って、大きな家の警護した。


歴代の統治者は犬
 犬は人間に対しては多くの用途があり、いわゆる歴代の統治者は犬を十分重んじてきた。《周礼•秋官》の中で、宮廷では犬と人一緒ではなく、専門に飼い犬を掌管し、犬の用事をした。漢代には「犬監」という、皇帝の飼い犬を養育を請け負う専門の部署があり、唐代には犬を養う「狗房」があった。元代の"狗站"は犬の駅を提供する役使であった。


人間の犬に対する評価

 犬と人は密接な関係を持っていたけれども、しかし中国人は犬に対してはそんなに高い評価をしているわけではない。犬で以て人を例えて、賎しいとか軽蔑の意味を持つ。「走狗、狗屁(たわごと)、狗屎(くだらないやつ)、狗官(悪役人)、狗眼看人低(権力や金持ちに媚びるような人間は、決って貧しい人を軽蔑するものである。)等など。皆貶す意味をもった生活習慣用語である。
 
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2013年4月21日日曜日

狗:漢字の成り立ちと由来 いつから犬のことを「狗」と呼ぶようになったのか?

 中国では犬のことを「狗」と呼ぶ。日本でも天狗や走狗というように用いられるが、犬は専ら「犬」である。しかし現代中国でも、牧羊犬、警犬、玩赏犬、食肉犬というが、番狗、食肉狗とは言わない。また犬歯というが、狗歯とは言わない。いつからそのようになったのだろう。犬と狗との使い分けはどうなっているのだろう。少し探って見た。
引用 「汉字密码」(P27, 唐汉,学林出版社)

「狗」は犬の交配から先住民が呼び出したことによる

 「犬」の字はなぜQuan(チュアン)と発音するのか?これは犬の子の鳴き声の「きゃんきゃん」というところから来ている。これは犬の発音は子犬の擬声語から来ている。
 しかし、人々はなぜ「犬」を「狗」と呼ぶのだろうか。このことは人々が通常湾曲した形状のものを「鈎」と称したことによるものだ。湾曲したものをつなぎ合わせて一緒に「句(gou)搭」と呼んだ。雄犬と母犬が交配をする時、大変長い時間「離れがたく一緒」にいるが、まるで繋がったものと同じようである。先住民は交配している犬を見て、自然に「句住」と呼んだものだろう。こうして長い間、「句」の発音は犬の通称となった。発音に基づき、犬と句の音と犬の字が同時に使用されて、人々は「狗」の字を作った。


漢の時代には既に「犬」は「狗」と呼ばれていた

 西漢の初年、漢の高祖が天下を取るのを助けた戦功を立てた大将軍韓信は謀反の嫌疑をかけられ、毒を飲まされ自殺した。彼は一句世に伝える名言を残している。「狡兔死,走狗烹。」この意味はずるい兎を捕まえる時は犬は一定重用されるが、一旦ウサギが捕まり、犬が用いられなくなると料理されて食べられるものだ。これは韓信のの自嘲の気持ちである。我々は却って、この事から、犬を狗と呼ぶようになったのは相当古いことだと見て取れる。

 漢字の中で「犬」の字は部首である。偏と旁に用いる時、犬は却って「狐、狼」の様にかかれる。「犬」の造りは通常犬と同類の哺乳動物の類を表す旁となる。音を表す旁を用いて、犬の行為に関係を示す。

「犬」は早い時期から狩りの助けなど
人々の生活に係わってきた

《诗•小雅•巧言》のなかに「子供のウサギに心が躍る、犬に会ってこれを捕まえる」の記述がある。これから分かることは相当早い時期から、犬は既に人々の狩りの助けをし、人々のために犬馬の労に献身する。
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2013年4月19日金曜日

「犬」:漢字の起源と由来

前回と前々回で「臭」と「献」の字について、それがいずれも犬から派生された字であることが理解できた。そこで今回は、これらの大本の由来である、「犬」の字の起源と由来について、唐漢氏に尋ねてみることにする。
 犬は中国人は「狗」という。犬科で聴覚、嗅覚とも鋭敏で、犬歯は鋭く、前脚は5趾、後ろ足は4趾で曲がった爪をもち性格は機敏で、訓練に適応し、狩犬、牧羊犬、番犬、愛玩犬、食肉犬等になる。 犬は人類が最も早く(約8千年前)から順化させた野生動物の典型は中国狗で、尾は後ろに巻きあげている。


ここで一つの疑問が出てくる。中国の3300年前の先民たちは、なぜ字を書くのに縦長で、立てて描いたのだろうか?

これは漢字や文字が縦に書かれることのルーツであるような気がする。
引用 「汉字密码」(P26,唐汉,学林出版社)

「犬」これは象形文字であり、輪郭の特徴をとらえた造字法である

「犬」これは象形文字である。2千年以上も前、孔子は「犬」字を見た後、少し感心した感じで、「犬の字は『狗の絵の様だ。」といったという。
 明らかに犬の字は牛や羊の造字方法の特徴とは同じでなく、犬の字が従っているのは、輪郭の特徴をとらえた造字法である。即ち線で輪郭を取る方法である。この種の方法はしっかりと犬の外形的特徴をつかんでいる。体は細く、長い尾は巻いている。

先民が犬を縦長に立てた状態で描いた

観察上字形を述べると、我々は犬の字が横から見た、実際の状態に対応できるのが分かる。これは漢字の横に狭く縦に長く書くという特徴に適応したためで、3300年以前のはるか昔の先民が犬を縦長に立てた状態で描いたものだ。まさにこれは一つの原因であり、それ以降犬の字は随時一つ一つ変わっていって、今日の犬の字の楷書になっている。厳格に述べれば、今日の「犬」の字は一種の文字符号であるが、それは依然として象形文字である。
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2013年3月17日日曜日

「献」の字は犬の肉を神前に捧げたことを伝える


 中国人や朝鮮人は犬の肉を食うとある意味ある種の差別的感覚で言われる。しかし、彼らの祖先はむやみやたらと犬の肉を食ったわけではない。犬は古代社会においても一緒に狩りをしたりする家族同然の扱いを受けていた。彼らは神に祈りをささげ、祈願する時お供えとして犬を神前に捧げていた。その名残りが「献」という字である。
  その様なことは日本でも行われていた。各種伝承にある「人身御供」である。こちらは犬どころの騒ぎではなく、若い「生娘」というのが相場が決まっていたようである。一体どちらが残酷なのか?あまり他人のことをとやかく言うものではない。

引用 「汉字密码」(P31,唐汉,学林出版社)

左辺は「高」という3本足の鍋、右辺は犬。
「献」は神前に狗肉を捧げたことを表している。

古人は、犬の肉に対しては独特の感じを持っていた
   古人の感覚では、犬の肉に対しては独特の感じを持っている。肉質は柔らかで、カロリーは満ち溢れている。しかし犬はまた狩りをする。各家の助手でもある。この為古人は犬を易々と殺してこれを料理をしなかった。古人は更に多く地方で犬の肉をお供えに当てたようだ。「献」の字の如く、最もいい犬の肉を祖先の神前に捧げることを表している。説文では「献」は宗廟に犬の名と羹を捧げることを言い、犬の脂身を捧げる。

「献」の字の成り立ち
 甲骨文字の「献」の字は左辺は、大きな口の「高」を示している。「高」は古代の3本の足を持つ鍋のことで、右辺は犬である。ここで表示されているのは犬の肉である。金文の「献」の字は甲骨文字を引き継いでいるが、ただ犬と高が形象化されている。小篆の「献」の字は、高の字の上部に虎の字の簡略形が追加されている。ここでは大口の高或いは虎の紋を施したものを表し、楷書はこの流れで「献」となり、簡体字の規範は「献」とした。

「献」の字の現代の用法
 「献」の字もともと最も貴重な青銅鍋で「香肉」を煮ることで、祖先の神霊に奉献することである。これから拡張されて、一般の意味の「献花、献礼、献旗、貢献」などの進献の意味になった。又引き伸ばされて、他人に見させる表現「献技、献丑(つたない芸をお目にかけるという謙遜した意味、献殷勤(手厚く、丁寧にさせていただくという意味)」等等に用いられる。
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2013年3月14日木曜日

「臭」:漢字の起源と由来


 前回匂いに関する漢字「香」を研究した。しかし匂いに関する漢字は、この漢字以外に「臭」、「薫」、「匂」といくつか上げられる。
 我々は、以前に文化の発達とともに、漢字が発達分化し、色々の語彙が生まれることを知っている。  そこでここでは「臭」という漢字の
語源と由来について調べてみよう。



引用 「汉字密码」(P31,唐汉,学林出版社)

犬の肉の「香」と対比をなすのが「臭」の字である。「臭」は会意文字である。犬と自の2文字の組み合わせで出来た。甲骨文字の字形は上下が結びついて、上部は「自」の字で鼻を表し、嗅覚の器官を代表し、下部は「犬」の字で、犬の形状を表す。小篆と楷書は甲骨文の脈絡を受け継ぎ、書体は暫時変わっていく。
 犬は嗅覚は非常に発達しているから、犬と鼻から会意文字の「臭」の字が出来た。即ち何かの匂いを嗅ぐ(のちに嗅ぐの字に取って代わった。「臭」の字は元々は気味を示し、香を指すこともあった。臭の字は元々は香を指していた。また悪い汚らわしい雰囲気を指すこともあった。成語では「無声無臭」のごとく、「音もなく声もない」というのは雰囲気もないということを指している。ここでは「臭」という字で、雰囲気を指し、xiu と読む。のちに「臭」はChouと読み、専ら悪い汚い匂い雰囲気を指すようになった。たとえば「臭汗、臭豆腐,臭気天を燻す」のような言葉の中の臭いの字は等しく強い刺激のある悪い臭いを指すようになった。
 嗅覚は非常に発達しているから、犬と鼻から会意文字の「臭」の字が出来た。即ち何かの匂いを嗅ぐ(のちに嗅ぐの字に取って代わった。「臭」の字は元々は気味(匂いや香り、性格や好み・気質)を示したが、すでに香を指すようにもなっていた。また悪い汚らわしい雰囲気を指すこともあった。成語では「無声無臭」のごとく、「音もなく声もない」というのは、味気もないということを指している。ただ、ここでの「臭」という字は単なる味気を指し、xiu と読む。のちに「臭」はChouと読み、専ら悪い汚い匂い雰囲気を指すようになった。たとえば「臭汗、臭豆腐,臭気天を燻す」のような言葉の中の臭いの字は等しく強い刺激のある悪い臭いを指すようになった。
  
 ここでも明らかなように「臭」という字は本来単なる「匂い」という意味で用いられていたようだが、ただ動詞で「嗅ぐ」に用いられてることもあったようだ。
 しかし、後に単なる香りというのではなしに、「嫌な不快な匂い」に専ら用いられて、嗅いでいい「香」とはっきり区別されるようになってきたようだ。


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2013年3月8日金曜日

漢字「香」の起源と由来 また香港の名前はどこから?

香と臭では、字の成り立ちも全く異なる
 匂いには「香」という字と「臭」という字がある。同じように匂いに関する漢字であるにもかかわらず、その成り立ちはまったく異なる。「香」という字は、黍の発酵する時の甘い香りから、この漢字ができた。時期は農業が発達した頃でで始めてお目にかかる。一方「臭」は鼻という字と犬という字の組み合わせである。犬が鼻がよく聞くところからこの漢字ができたとされる。甲骨文字の中にみられる。
 現在では、さまざまな香水が合成されたり、抽出されたりして広く使われている。その歴史は古く、天然香料にも植物性、動物性のものがあり、また科学の進歩により様々な香水が開発されている。


豆知識:また香港の名前の由来は?
ヴィキペディアによると、今話題の香港の名前の由来は:珠江デルタの東莞周辺から集められた香木の集積地となっていた湾と沿岸の村の名前に由来する。

引用 「汉字密码」(P213,唐汉,学林出版社)


 黍は無論飯も作りまた酒も作る。皆香りと味はよく、古人は香りという字を作る時「黍」と「甘い」という字を組み合わせた。以降黍の音を簡略化し禾とし、ついに「香」という現在の字が出来た。




天然香料
植物性香料:花、葉、果実、樹皮、根から抽出される
動物性香料:動物の生殖腺分泌物等から。ムスク(麝香、ジャコウジカ)、シベット(霊猫香、ジャコウネコ)、アンバーグリス(龍涎香、マッコウクジラの腸内結石)、カストリウム(海狸香、ビーバー)、ジャコウネズミの5種が知られており、シベットのみエチオピア産の天然香料が使われることがある。
 それ以外は、現在ではほぼ合成へ移行している。


合成香料
合成香料:自然界の香りの成分を分析し、同じ構造の化合物を原料から化学的に合成する。あるいは天然には無いものを合成する(例: 白檀の天然香料はサンタロールという物質だが、非常に稀少で合成も難しい。そのため、イソカンフィルシクロヘキサノール、フランスのジヴォダン(Givaudan)社が開発したサンダロア、スイスのフィルメニッヒ(Firmenich)社が開発したポリサントールなどの物質が用いられている)。

単離香料
天然の香料から成分を部分的に分離させる(例:ハッカからメントールを造るのがこの方法)。


香水にかかわる歴史
 紀元前1850年頃に香水を製造していたという最古の工場跡がギリシアで発掘された。
 アルコールに溶かす香水が作られるようになったのは、イスラム社会でアルコールの製造法がヨーロッパに伝えられてからである。それまでは油脂に香りを吸着させた香油やポマードが使用されていた。14世紀にハンガリー王室で使用された、ローズマリーを原料としたもの(ハンガリアンウォーター)がそれである。その後、ルネサンス期のイタリアで発展し、ヨーロッパ各地に広まっていった。
 16世紀から19世紀までのヨーロッパ(特にフランス)では、風呂に入ると梅毒などの病気になりやすいと信じられたため、入浴という行為が一般的でなく、国王ですら一生に3回しか入浴しなかったという記録があるほど。そのため香水は体臭消しとして発達していった。またなめし革の臭いを取るためにも使われた。しかしルネッサンス時代の絵画には、入浴、沐浴シーンが見られ、入浴だけに付いて言えば時代は逆行したのではないだろうか。(以上ウイキペディアより)
 この香料を求め、西洋から東洋に艦隊を組んで航海する時代が続き、「大航海時代」といわれる時代が幕を開け、結果的には、航海技術の発達、大陸の発見など、大きな出来事が続いて、地球をくまなく征服されることとなった。

 このように西洋では香水が主流であったが、日本では「香」を焚きしめる方法が重んじられた。平安貴族の間では、香を言い当てるゲームなども盛んに行われて、そのありさまは「源氏物語」の中でも、描写されている。この時代は風呂など入らなかったようで、体に付いた臭いは香をたきしめてごまかしていた。西洋の貴族が香水を振りかけるのと同じである。
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2013年2月28日木曜日

漢字「豆」の成り立ちと由来:元々は足の高い器を指す


漢字「豆」の起源と由来:元々は足の高い器を指す。器に豆などの穀物を盛って神々や祖先にお供えをしたことからお供えそのもを「豆」と呼ぶようになった
豆は「畑の肉」と言われたんぱく質を豊富に含んでいる。そのため、たんぱく質を取ることができなかった日本の昔の僧侶たちはタンパク質をもっぱら豆に求めてきた。
 そういう意味では穀物の中にあって、もっぱら炭水化物をその主成分とする米や麦と異なり、特別の位置を占めていたといえる。豆の歴史は古く、中国が原産で考古学上の発見も早くから食されてきたという証拠が発見されている。
 では、漢字の豆はどこからきているのか?
引用 「汉字密码」(P217,唐汉,学林出版社)
 「豆」は「菽」(豆の総称をこう呼んだ)の後の名前だ。豆の本義は一種の食器を示す。これは一種の足の高い皿の象形デッサンだ。古代の先民は常々熱く熱した豆をこの種の高い脚のお皿の上に盛り付けて食事に出していた。また祖先や神々にお供えする盛り付けからも来ている。この過程の中で、先民たちは豆の形の皿の造形が中間部分が大きく、上下がやや細の長く、大豆やソラマメの類と外径が良く似ていることを発見した。この為漢代以降「豆」はこの種のだ円形の植物の種子の呼称に用いられるようになった。

 大豆は中国で最も早くから栽培され、今日までもう数千年の歴史を持っている。現在世界中で植えられている大豆の源は皆中国からのものだ。考古学では最も早い大豆の実物を発見されている。春秋時代には晋国の、今の山西省の「候馬」から出土している。二千年前の「詩経」の中に「中原に菽あり、庶民これを采すとある。」古文書の中では早くから「豆を食べると人は重たくなる」の記述があるが、これは豆を食べると太ってしまうという意味だ。これから、古人は早くから既に豆が豊富なたんぱく質を含んでいるということを実生活から学んでいたようだ。
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2013年2月7日木曜日

黄砂を表す漢字「霾」(つちふる):黄砂は雨や雪と同じように天から降ってくるものと古代人は考えた

漢字の成り立ちの意味するもの
漢字の成り立ちと由来:漢字「霾」は雨カンムリとお供えとから構成され、黄砂も雨と同じように天から降ってくるものと考えた。

」はすこぶる難しい漢字である。これを読める人はそうざらにいるものではない。これは日本語読みでは「つちふる」と読んで黄砂を表す。なぜ突然こんなことを言い出したかというと今日の毎日新聞の「余禄」というコラムでこの漢字のことが触れられていた。これは春の季語である。毎年春になると中国大陸で発生した黄砂が海を渡って日本の上空にやってくるのに加えて、日本で発生した汚染物質が入り混じって襲来し空を黄色に染める。従って西日本では特に春先になると晴れているのだが、霞がかかったような状態になる。しかもこの霞黄色い色をしている。いわゆる花曇りとは少し異なった趣を示す。
 私は中国にいたとき「黄河」のほとりを尋ねたことがある。黄河の砂浜に足をつけたことがあるが、この砂はすこぶる小さくて、砂というより殆ど泥だなと感じたことがある。またある時は、中国で街中を歩いていたとき、突然天気が変動し、大粒の雨が降ってきたことがある。この雨日本のように透明ではなく、泥の雨だったことを覚えている。雨が降った後、自分の服を見ると雨滴の跡に泥がひっついて大変汚らしい感じを持ったことがある。そこらあたりの車も同様で、窓も屋根も泥だらけだったのを覚えている。
 ところがこの黄砂が日本にやってくる過程で、色々の汚染物質を付着してくるので、非常に厄介なことになる。

 今年の黄砂は、「PM2・5」という車の排気ガスなどから出る微小粒子物質が付着したもので、健康にも非常に害のあるものだということである。日本に飛散してくる前に、中国でも深刻な被害を及ぼしているということなので、中国自身で解決してほしいものである。これは日本人のたっての願いだが、やはり自分の身は自分で守れ!といことで、マスクをかけて欲しい。マスクは高機能のものが出ているが、中でも光触媒を使ったもの等が開発されている。


 公害防止の鉄則は「できるだけ根元から断て」である。飛散や拡散してしまってからでは、遅いのである。
 さて今日はこの「」の起源を尋ねたい。
引用 「汉字密码」(唐汉,学林出版社)

漢字「霾(つちふる)」甲骨、小篆
漢字の成り立ち
 「」は、説文で言うには「風雨土」である。これは、中国の北方地方特有の一種の現象である。風雨の中に混じった大量の土埃であり、雨で下に落ちたり、砂嵐や汚れた雨になって下に落ちる。甲骨文字の「」の字は上部は雨の簡単形で、下部は獣といくつかの小点からなっている。これは土埃の雨で動物の体に出来た汚い汚点を示している。
 小篆の「霾」は、変化して形声字になっている。

 形声字。 雨と発声字。狸は「埋める」という意味の初めの字である。もともとはお祭りの時動物を穴の中に埋めたことを示している。ここで土の点は 「落ちた」という意味である。
 「霾」の本義は大風が土埃を巻き上げることを示している。雨で落下する天候の現象である。「终风且霾」の意味は、「大きな音を立ててやってきた大風は土埃が混じっているものだ。」という意味である。
 「霾」は中国の一種の特有の気象現象である。遠く数億年前から、シベリアから吹き込んでくる黄土は、中国北方の黄土高原を形成した。甲骨卜辞に記載のあった3千数百年前、安陽の地区の砂嵐が記載されている。ここ数年新聞メディアでは砂嵐の出現の頻度は毎号頻々としている。これは地球環境の悪化のためか、あるいは周期の歴史の回帰性なのか、まだ人を悩ませている。
 実はこの唐漢さんの説明には、非常に違和感を感じるのである。唐漢さんの本は2000年の初めに書かれているので、彼が書かれた頃には勿論「PM2・5」という問題は発生していなかったであろうが、しかし黄砂の問題、酸性雨の問題は既に大きな問題になっていたはずであろう。しかし彼は黄砂を単なる「黄土の砂問題」として、矮小化してしまっている所に違和感を感じるのである。彼は「ここ数年新聞メディアでは」と今日的な問題を取り上げている限り、この「霾」が単なる黄砂の問題ではなくなっていることの問題提起をして欲しかったと感じるのは私一人だろうか。


雨カンムリの甲骨文字
要素「雨」を持つ漢字を集めて見ました。左から「雨」、「雪」、「雹」です。雨カンムリが共通して表示察れていますが、漢字の中でそれぞれどのように表現されているか見ることができます。これらの漢字のなかで共通して表現されているのは、雨足、雪の切片などが小さな点として書かれています。したがって、「霾」の甲骨文字の中の小さな点は、唐漢氏が言うようにお供えにできた土の汚れではなく、天から降ってくるものを表現したように思います。
漢字「雨」甲骨文字:雨に関わる基本文字漢字「雪」_甲骨文字漢字「雹」甲骨文字




 

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2013年1月30日水曜日

漢字「法」の成り立ちと由来



 ""の繁体字は"水+廌(鹿と馬に似た珍獣)+去”を合わせて書く。漢字源よると「池の中の島に廌を押し込め外に出られないようにした様」を表しているということで、伝説上の動物の名前で、悪者に触れてその非を糺すという性質があると信じられている。
 今日はこの「法」について、もう少し深く解説したい。 

引用 「汉字密码」(P894 唐汉,学林出版社)

「説文」の解釈
  「説文解字」はこの字を解釈して、廌を解き放すことだとした。牛に似て、角が一本で、古代の人は訴訟を決定し、正直でないものに触れて、その非を正す性質があるとされた。
   許慎が見るところによれば(多くの古人も含め)「廌+去」の字の造りの意味は、歴史的伝説から出ている。

「法」の字にまつわる伝説

 春秋の時期、斉の庄公はある壬里の臣下が、中里の臣子を相手取って訴訟を起こした。罪状が判断付きにくかったために、斉の庄公は直ちに「を、即ち神獣獬豸を呼んで彼ら二人の訴状を読ませた。 結果里国の訴状を読み終わっても獬豸はなんら動きを表示せず、一方、中里の訴状の半分も読み終わらぬうち、獬豸は角で彼を翻した。こうして斉の庄公は壬里国の勝訴の判決を下した。
 かくして、この種の角で罪があるかないかを断じる方法が、漢字「サンズイ+廌+去」の字の構造の中に割り込ませることになった。漢の法官の冠にはこの神獣の角を形どった物が使われていたということである。

金文の「法」の字の生れた由来

 実際上、金文中の法の字は古代の現実の生活の中から来ている。右辺は一頭の水牛の象形で、左辺の上部は「大」(人を表す)+口(地の穴)の構成の「去」の字である。下部は即ち水の象形の描写である。三つの形の会意は、人が水牛の水中遊泳の方法を見習うことが出来ることを示している。あるものは水牛ではなくいわゆる神獣であると説く。いずれにせよ、小篆の法の字は金文を承継しているが、ただ書の法の字は廌の形を省いて、「法」と書く。

「法」の字の本義

 法の本義は「真似る・模倣」することである。「商君の書・更法」の如く、「治世不一道,便国不必法古。」 この事は国家を治めるには一つの道だけではない。ただ国家に有利にするには、必ずしも古きを模倣することではないという意味である。法は模倣の意味。また拡張され、「手段・方法」を表す。また更に拡張され、「見本。標準」の意味にも用いられる。 
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2013年1月1日火曜日

命:漢字の起源と由来


   最近の宇宙工学の発展は、地球以外の天体に生命体が存在するかもしれない可能性を我々に示してくれる。最近発表された水星に極冠の地があり、水?が存在する可能性すら示唆している。このようなニュースに触れるにつれ、この生という響き、中でも「命」という漢字をわれわれは特別の響きを以て捉えているように感じる。「生ある限り」など、その言葉は何かしら聞く人にみずみずしい響きと感性を与える。しかしその漢字はもともと古代ではどのようにつかわれたのであろうか?探ってみたい。

引用 「汉字密码」(P650,唐汉,学林出版社)

「令」と「命」は同じ源

「令」と「命」は同じ源を持つ漢字である。甲骨文字の「命」の字は、上部は男の露出した生殖器であり、下部は一人の膝まづく人を表している。この命の字は令の字と完全に一緒のように見える。
 金文の左下隅には口が一つ加えられているが、これは単に人を膝まづかせて臣服させている示しているにとどまらず、口を用いて命令を発布していることを表している。小篆の形は金文から直接変化し、楷書では命と書く。命の字の本義は口で命令を発している。即ち上級が下級に指示を発すること。


上古の統治者は臣下に命令を生命と同じに見ることを要求した

 命令に従い君に利することを順というが、命令に従い君に利しないことを諂いという(へつらい)。この事は命令を聞いて国君に有利に働くことを忠順といい、命令を聞いて国君に不利に働くことを媚びへつらいという。
 上古の統治者は臣下に命令を生命と同じに見ることを要求した。いわゆる「命」の字は拡張して生命或いは持ち前の生命を意味するようになった。《论语•雍也》の中の記載で顔淵が「不幸にして短命で死んだ」とある。


「命」の字は上級が下級に命令の下達、「令」は一般的に「させる」という意味

 古人は社会の統治の乱れ国家の興衰が個人の幸せと禍失敗と成功が皆天意の采配によるところと認識していた。この為「天命、命運」等という言葉がある。
 「命」と「令」の言葉には皆「使役」の意味がある。但しわずかな違いがある。「命」の字は専ら上級が下級に命令の下達の意味に用い、「令」は一般的に「させる」という意味に用い、動詞に用いる。「令」は時に目的語を伴わないこともある。 
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