2016年12月31日土曜日

漢字「寸」の成立ちを「甲骨文字」に探る:掌の少し下の「寸口」を指す。


漢字「寸」の起源と由来
引用:「汉字密码」(P388、唐汉著,学林出版社)


 「寸」は指示語である。古文の中で「寸」の字は「又」の下に短い横棒(一)を加えている。「又」は手の形で、一は指事符号をなし、掌の少し下の場所で、漢方医が脈を見る場所である。又「寸口」と称する。ないし手腕の上経脈穴位の名称である。

 上古社会では人と人の間の接近した殴りあいは結構頻繁であった。寸口のつぼを圧迫し、他人の手や素手、刃を奪うのは基本業であり、個人の生命や守るには重要である。

 また、「寸」には別の意味があり、測量時のながさを計る単位である。古人手腕から肱の曲がる部分までを一尺とした。(これは身に着けた尺度である。)手掌から寸口までの距離を一寸長とした。このことから個人は将に長さを測る単位の名称である。10寸は一尺。寸の距離は短いので、寸は又短い小さなものの形容となった。「寸土、寸歩、寸陰、寸心」等。

 因みに漢字源によると「寸」とは、会意文字で、手の指一本の幅のこととしている。周代は大尺の一寸は2.25cmであった。小尺の一寸は1.8cmであったとしている。


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2016年12月26日月曜日

漢字「入」の成立ちを「甲骨文字」に探る:矢頭を形に表した


漢字「入」の起源と由来
引用:「汉字密码」(P569、唐汉著,学林出版社)


 「入」は象形文字である。甲骨文字と金文の「入」の字は、矢の頭の刃の形をしている。小篆と楷書はこの一脈を受け継いでいる。「入」は頭が鋭いもので、竹の先のようなものの端の頭。但しさらに形は矢の先みたいに、とがった頭のため容易に物体に差し込まれるものである。このため「入」の字の本義は進入である。 説文の解釈は「入、内」である。「出」とは相反している。
 現代漢文中で踏襲されてきている「入场、入冬、入会、由浅入深」などの言葉で、「由浅入深」の意味は拡張されていて、「出すために、入るを量る」という意味だ。また「合乎」(合致する、かなう)の意味にも拡張されている。
 唐代の詩人の朱庆余の《近试上张水部》:「妆罢低声问夫婿 , 画眉深浅入时无。」の中の「入时」の考えは時に合致するの意味を含んでいるようで、その一つの様式で、「入情入理」(情理を尽くす)などがある。


 因みに「漢字源」(藤堂明保、学研)によれば、この「入」は「指示語、象形文字のいずれにも考えられる。中に突っ込んでいく様を表現したものとある。 」
 唐漢氏の説は、少し飛躍があるように思う。何故、矢の先なのか分からない。甲骨文字からは藤堂氏の案が素直で分かり易い。しかし、これが漢字学なのだろう。



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2016年12月24日土曜日

漢字「矢」の成立ちを「甲骨文字」に探る:鏃、矢竹、羽、括まで含めた象形字。


漢字「矢」の起源と由来
引用:「汉字密码」(P568、唐汉著,学林出版社)

 我々日本人には「矢」という名称が一般的だし、なじみも深い。しかし、ここに引用した解説では、中国では「矢」という名称より「箭」という名称が一般的であるかのような説明がある。実際のところどうなのだろう。もう少し当たってみるが、今日のところはこの説明を一先ず受け入れて、究明は少しの間ペンディングとしておきたい。


出典「汉字密码」、学林出版社
 「矢」は即ち日常的にいうところの「箭」である。弾を射る弓を弾弓という。弓と此れをいる矢は併称して弓矢という。甲骨文字と金文の「矢」の字は上端は鋭利な箭頭で、中間は箭杆、下端は鳥の羽を結わえた箭尾である。矢の字は即ち「箭」の象形字である。小篆は下部の先の羽がいわば変化して、二股になった。楷書はこの関係からついに象形の意味を失っている。
 矢は「镞、杆、羽、括」の4つの部分の構成品から矢の前端で刃のある三角形の殺傷作用を持つ。商代には既に銅製の鏃が盛んになっていた。但し大量の骨、角、石も使われていた。矢のさおの部分は竹が主で、矢竹が製作に多用されていた。矢の尾の部分の矢の羽は飛行状態を安定させる作用を持っている。屋の羽は大鷲の首の部分がよく、鷹の羽はその次で、鴨や梟の羽は次の次だ。雁やガチョウの矢は風があると斜めに蛇行し、質がよくない。矢の底部のくくりの部分は弦を結んで用い、商代には矢の底部に多くはノッチを入れていた。
 矢の字は古代では誓うという意味に用いられた。この事は古代に約束をする時、矢折って互いに攻撃をしない意思を示したことと関係があるかもしれない。
 《左传》の中に「杀而埋之马矢」の中の「马矢」の一語は、「馬屎」のことだ。「馬矢」と「馬屎」とは矢と屎は同音であることによる。古人は文章中に「屎」の語があると品を落とすので「矢」を使ったようだ。この用字法は文字学上「避俗性的同音假借」と呼ばれる。
 「矢」の字は部首字で、漢字中「矢」が組成上あると、大概「箭」と関係がある。


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漢字「至」の成立ちを「甲骨文字」に探る:矢が地面に到達する「そのまんま」の字形を表す


漢字「至」の起源と由来
引用:「汉字密码」(P574、唐汉著,学林出版社)


 「至」これは象形文字である。甲骨文字の「至」の字の上部は逆さに書かれた矢で、頭を下向けにした矢である。下部の横一は地面を表示している。全部の字形は射出された矢が地上に落ちて達した様である。到達した意味である。小篆の字形は形を整えたものである。但しまだこの時点では古い文字の特徴は保留されている。
「至」は《玉篇》は「至、到」なりと解釈している。「至今、至此、自始至终、朝发夕至」の言葉の中の「至」の通りである。
成語「至死不变" 、 "至死不悟」の中の2つの「至」の前者は、「死に至るも変わらず」後者は、「死に至るも尚悟らない」ことを意味している。「弓箭落地」も矢が終点に到達したことを表示している。いわゆる至の字は「終点、最、極」の意味に拡張されている。
「至理名言、 至高无上、至亲好友」の「至」は皆極、最を表し、古代の孔子に対する尊称で「至圣先师」の中の至は、道徳的に最も高尚であることの形容である。
 24節の「夏至、冬至」両者とも節気を表している。「夏至」はこの一日が北半球で昼間がもっとも長い日であるし、夜が最も短く、夏至はその正反対を表す。夏至と冬至の中の「至」の字は、均しく太陽運行が南北回帰線上にいて、夜昼の長短が極点に達する時である。
 「至」は漢語中、連句を作り、一つのことから別のことに到達する程度と範囲、結果を表示する。「至于、竟至于、以至于」など等。(程のことになる、思いがけずついする、・・なるまでする、さらに・・までする)


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2016年12月23日金曜日

漢字「弗」の成立ちを「甲骨文字」に探る:縄を用いて、二つの矢を束ねるさまを表している。


漢字「弗」の起源と由来

 2016年アメリカ大統領選挙でトランプ氏が大統領に選出された。此れに伴いトランプ旋風というべき流れが起こり、アメリカの弗の金利の見直しもあり、バブルの再来というべき様相を呈している。アメリカの実体経済は既に末期的症状に陥っているにも拘らず、トランプのいう「強いアメリカ」の再来に期待しての好感である。しかし、アメリカの経済は既に破綻しているにも拘らず、実態はなんら変わらないにもかかわらず、株価だけが上昇するところにアメリカの病根は深刻になっていると見なければならない。
 さて、このドルに対して、日本では「弗」という漢字が当てられている。これドルを表す記号「$」に表記手kにはよく似た「弗」」を当てたもので、漢字の本来の「弗」の本義とはなんら関係がない。それは当然のこと甲骨文は今から4000年に生まれたもので、そのころには「弗」という貨幣はなかったからである。


引用:「汉字密码」(P578、唐汉著,学林出版社)


 「弗」は象形文字である。甲骨文字の「弗」は縄を用いて、二つの矢を束ねるさまを表している。金文の弗の字は甲骨文字の後の字形と相同である。縦線二つは矢竹或いは矢竹の矢を束ねる道具のようで、「己」ないし束ねる縄である。金文から小篆と楷書には大きな変化はない。
 弗は縄で縛ることに源がある。但し漢語の中では「弗」の本義は既に消滅している。但し元通り使用されている「弗」の拡張された意味は不に当たる否定の意味である。 この一意的な使用は矢竹を緊縛後征戦の殺戮のために再び使用しないことから来ている。ないし「非戦」明確な表示である。
「弗」の字は部首字である。組字の構成要件中声符出ることが多い。「费、纷、菇、拂、佛」の如く、その中の「弗」は「緊縛か否定の意味である。


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2016年12月21日水曜日

漢字「令」の成立ちを「甲骨文字」に探る

漢字「令」の起源と由来
引用:「汉字密码」(P649、唐汉著,学林出版社)

 左の甲骨文字のヒエログラフの中の三角形は昔から男性のシンボルとして使われてきた記号であり、軍隊の記章などでもおなじみのものである。映画「ダビンチ・コード」でも、詳しく説明がされていた。





「字統」の解釈
 「字統」では白川博士は「礼冠をつけて、跪いて神意」を聞く神職のものの形。上部は三角形に似た深い冠の形である」と説明している。
 しかし、古今東西を問わず、山形の形が「男子を象徴するシンボルである」ことは古くから言われて、いわば定説のようになっており、白川氏の「冠である」という解釈も、上古の時代の男性信仰が、権威の象徴として、神職の冠となったとも考えられ、いわば後付の冠も否めない。


唐漢氏の解釈
 大腿のマタで佇立する権威を表す男性の下で、一人の跪いた人があるときこの種の景色がまさに令の字の生活の源である、また三角は男性の性器の普遍的意味を表すこととも符合する。
 命令からの意味からまた拡張して「~させる」の意味が出る。

「漢字源」の解釈
 因みに、藤堂明保編{漢字源」による解釈では以下のようである。


「△印(おおいの下に集めることを示す)+人のひざまづく姿」で、人々を集めて、神や君主の宣告を伝えるさまを表す。
たしかにこの解釈のほうが、唐漢氏に比べて上品ではあるが・・。

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2016年12月20日火曜日

漢字「命」の成立ちを「甲骨文字」に探る:命と令は同源同字。命の本義は口を用いて命令を発すること


漢字「命」の起源と由来
引用:「汉字密码」(P650、唐汉著,学林出版社)


 令と命は同源同字である。甲骨文字の上部は男の露出した生殖器だ。下部は膝づいた人だ。この命の字は令の字と相同と見ることが出来る。金文の左下には一個の「口」を加えて、膝づいて臣服していることを表しているばかりか、さらに口を用いて命令を発布していることを表している。小篆の形は金文の直接変化を受けて、楷書では命と書く。


 命の本義は口を用いて命令を発することで、即ち上級から下級への指示の発布である。
 上古の統治者は下属のものに命令を命と同じに見ることを要求した。だから命の字は拡張して、生命または性名となった。『论语•雍也』の中の記載に顔淵は「不幸短命死矣」(不幸にして短命で死んでしまった)とある。
 古人は社会的治安の乱れ、興衰と個人の禍福・失敗や成功は天意の按配と考えた。このことからまた天命、命運という言葉がある。『论语•颜渊』の中の「死生有命,富贵在天」(生死は運命、尊さは天にあり)と。

 「命」「令」の言葉は皆「させる」という意味を持っている。但し少しの差異はある。「命」は専ら上級から下級に下達する命令に用いるのに対し、「令」一般的な意味の上での「使役」(させる)という意味である。動詞を作り「令」は目的語を伴わない時がある。『论语•子路』の如く、「其身正,不令而行;其身不正,虽令不从」(その身正しければ、令せずして行わせ、その身正しくなければ、よしんば令をしても従わせられない)


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