ラベル の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2020年2月29日土曜日

漢字「猴(猿)」考:サルから進化した人間は、サルに退化しつつあるのか


漢字「猴(猿)」考:サルから進化した人間は、サルに回帰しつつあるのか
中国名で「金絲猴」、孫悟空のモデル?
 「サル化した世界」という題の本が出版されている。
この本の表題を見て、最初に感じたのは、『サルから進化した人間は、サルに退化しつつあるのか』

 私は、最近の世相を見て、「サル化の以下の世界」ではないかと感じている。人間は霊長類の頂点に君臨していると自認している。猿のことを「類人猿」と呼ぶ。
 しかしこの呼称も最近の世相から判断して、猿に失礼ではないかと感じている。今の人間を評して「類猿人」というのが、われら人間にもっともふさわしい呼称ではないだろうかというのが、私の偽らざる感想である。

 人間の退化はどこまで続くのだろうか?これは退化なのか、回帰なのか。サルから進化した人間は、サルに回帰しつつあるのかあるいは退化しつつあるのか?




引用:「汉字密码」(P95、唐汉著,学林出版社)

 「猴」、「説文」では「サル」と解釈されています。小篆の「猴」という言葉は会意文字で、形声文字です。 逆に旁「犭」の横にあるの猴が示しているは、犬のような動物である。「侯」は元々、矢印が当たって落ちた標的を指し、拡張されて君主が遠くの地方に封じた諸侯を指します。 ここでは、サルが人間の遠い親戚であることを示しています。また、サルが枝の間で跳ね返り、森林伐採で宙返りすることに関連しています。 楷書の「猿」は小篆と同じ流れにありますが、丸いストロークは直線に変更されています。
 注] この説明は唐漢氏の錯覚だと感じている。この文字が使われだしたのは、中国で封建制度が確立される以前の話だからである。中国で封建制度がいつ出来たのかについては、議論が交わされているが、文字が使われた金文は周代よりも昔になると考えるからである。


漢字源
 形声文字。「犬+〔音符・候(体をかがめてうかがう〕:猿が体をかがめて様子を伺う姿から来た名称



結び
 私がこの記事の冒頭に書いたことは、ある意味「人間冒涜」にも値するようなことです。私は人間のすべての行動が猿に劣るというつもりはありません。

 しかし、2020年2月29日付けの毎日新聞に掲載されていたことですが、神戸市のある小学校での同僚によるいじめがレポートされていました。

 それは小学校のある先生が、後輩の先生に対し、「蚕の蛹を食べるように要求した」というものでした。この行為は全く幼稚ないじめである上に、ある意味手の込んだ陰湿なものです。このようないじめは動物社会には決して起こりえないものではないでしょうか。猿の社会では、ボスがきちんと全体を管理していて、この管理から外れた行動をとる猿にはそれなりの制裁を加えると聞きました。つまりこの小学校では、猿の社会よりも管理されていないと思えてしまいます。

 もちろんこの一点だけで、社会全体を評価することは出来ませんが、最近同じような出来事が多すぎるように思います。例えば若い母親がわが子を殺してしまうことなど日常茶飯事です、車を運転中に些細なことに腹をたて、アオリ運転を繰り返し、事故に巻き込むまで追い込むなどなどです。もっとも猿が車を運転するわけはありませんが、自分の感情に任せて、社会の規範に反する行動をとってしまうということは猿の世界ではありえないことと聞いています。

 19世紀の後半にエンゲルスという人が「猿が人間になるについての労働の役割」という本の中で、猿が人間に進化する過程で労働が果たした役割を考察していますが、猿が人間進化する数十万年前から今日までの間、労働の形態は変化していきました。その間生産力は圧倒的に高くなっていった半面、人間が手を動かし労働するようになる機会は非常に少なくなってきました。つまり人間が労働から切り離されるようになって来ました。その分だけ人間の機能から考えると部分的にではありますが、そこに明確な退化が生じていると思います。
 私は先の虐めも、大きな視点に立って考えると、この人間の退化が背景にあるのではないかと考えています。われわれ人間は今一度自分の行動を振り返ってみる必要があるように思いますががどうでしょうか?

 今、世界の人間社会で進行しつつあるのは、『人間の退化はどこまで続くのだろうか?これは退化なのか、回帰なのか。サルから進化した人間は、サルに回帰しつつあるのかあるいは退化しつつあるのか?』この問いかけはまだまだ続く!


「漢字の起源と成り立ち 『甲骨文字の秘密』」のホームページに戻ります。

2015年12月13日日曜日

来年の干支は「申」


  来年の干支は「申」である。今から3500年前の殷の時代の廃墟から出土した甲骨文字の中に、すでに十二支十干で暦を表していた。干支についての考察はすでに以前に触れているのでここであえて触れることはない。
 古代の人々が農耕のために暦を作る必要に迫られた時に、何をよりどころにするか?唐漢氏が主張するように、自分たちの身の回りで繰り返される人が生まれ成長し、それに何を期待し願うのかの思いをそこに込めてそれをよりどころとする説はそれなりに説得力がある。それはあくまで仮説であって、諸説紛々としているのは事実である。
 しかし彼らは何故を持って十二支としたのか、まだ明確な回答は示されていないように思う。一年は12か月、そして子、丑・・という字を当てはめ12年で循環させたその理由はいったいなぜだろう。子という字に鼠を当てはめ、丑という字に牛という動物を当てはめたのは、文字の読めない人々にも理解しやすいように動物の名前を当てはめたというのは理解できる。
 来年の干支は「申」であって、「猿」ではない。では古代人が申としたその字はどういう意味を持っているのだろう。


引用 「汉字密码」(唐汉,学林出版社)

 申という字は指事語である。「申」の字の構造的な形は、女の嬰児に対する期待から発生したものである。 甲骨文字の「申」の右半分は (匕)で、これは即ち、母獣の生殖器の指事造語である(漢字源によると「匕」は妣の原字で、もと、細い隙間をはさみこむ陰門を持った女や雌を示したものという。)この借用で女の嬰児の性別を表示する。匕の左下の符号は女子の嬰児が大きくなって生育したことを示している。このため申の字は女の嬰児の意味で、また女が女を生み代々続く意味である。 人々はとうの昔にその形の深い意味を知らなくなっている。金文の申の字は字形の美形化と同時に、又その内容については失われてしまっている。小篆ではまさに上下の2個の指示符号いわゆる両手に変化している。楷書では誤りに誤りを重ね、又両手は合併され「申」と書くようになっている。
 「申」の本義は一種の期待と願望だ。即ち母系血縁に照らして、代々延々と続くことを呈示している。このことから引申はまっすぐ伸ばす、展開の意味になった。

「申」の嘱望、期待の意味から、又陳述、表白の意味が出てきた。

「比」は狭いすき間を置いて並ぶ、「屁」は狭いすき間から出るおなら

参考 指事語とは「中日大辞典」(愛知大学・大修館書店編)によると「形を模することができない抽象的概念を表すために符号を組み合わせる造字法」とある。
「漢字の起源と成り立ち 『甲骨文字の秘密』」のホームページに戻ります。