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2014年11月25日火曜日

来年の干支は「未」

 来年の干支は、未である。前に書いた通り、干支の歴史は古く、今から約3000年ほど前の殷商王朝の時代にはすでに、使われていた証拠が残っている。しかし昔は「子丑寅・・」という漢字が使われていたものであるが、それが今日のような「鼠、牛、虎・・・」という動物の名前にとってかわったのは、漢の時代とも言われているが、もう一つはっきりしない。その理由も諸説あるが、はっきりしてはいない。しかし、唐漢氏のように「時の移り変わり」を「妊娠、出産、成長」に当てはめてみるという見方を当時の祖先たちがとったであろうという推測もあながち奇説とも言えないものを持っている。

引用 「汉字密码」(P875、唐汉,学林出版社)

 未は会意文字である。許慎は甲骨文字の未の字は木に重なった枝や葉を表していると考えている。すなわち樹木の枝や葉っぱが多くの分岐が出てくることを用いて、伸び繁るさまを表している。草木の形の上にもう一筆増えているのはこの意味である。実際未の字は四つの足を踏ん張って伸び踊る嬰児からできたものだ。
 上辺の増えた一筆は嬰児の両腕が振られ動いたさまである。下辺の縦の両ばらいは、嬰児の両脚の合わさった部分と広げたさまを表す。 金文の「未」の字は甲骨文字を受けており、小篆はまた一脈受け継ぎ、楷書は隷化し「未」と書く。

 むろん「未」は草木の根から生え出す木の芽の成長からとられたもので、まだ嬰児の4肢のバタバタの動きからもその源になっており、皆どれも子女の健康に成長することを願いが深く切で切望しているものである。いわゆる「未」の本義は未然である。すなわち嬰児が今後生きるか生きられないか大きく成長するか分からない。また否定の意味もある。すなわち現在まだ夭折していないと意味もある。

 「未」の字の構造及び内包されているものは、上古先民の事実に即して問題を処理する生活態度を反映している。願いは願い、事実は事実とし、彼らはまだ文筆家の嬰児の満月を恭賀する欺瞞を持ち合わせていない。
 確かにいえることは「未」は一種の蓋然に対する状態の判断である。「未」暗くて不明という意味も持っている。「未」は暗いの初めの文字である。「未」は一種の蓋然で、味は嘗めてみて初めて分かるもので、味は多様で同じでない性質を持っている。このことから「未」は味の初めの文字でもある。
 「未」は現代漢字の中で「将来」意味も表すことができる。未来のごとくである。また事後(起こってしまったこと)の否定の対句の意味にも用いられる。「まだない、まだ起こっていない」と同じ意味である。未知数、未婚、死活がわからないなどなど。
 また否定の意味にも引用される。言葉の意味では「不」にあたる。「未敢苟同、未可厚非」(賛同しかねる、無理からぬことである)などに用いられる。

 「未」十二支の中で第8番目に位置している。時間で言えば未時はすなわち午後1時から3時までの時間帯である。 注目に値するのは干支の中の12の字の中で、「子丑寅辰巳午」はすでに起こった状態を表している。しかし「未申酉戌亥」は蓋然たる状況である。二つに分けて、前者は育産の現実を表し、後者は嬰児が成長し大きくなり、立派になってほしいという願望をあらわしている。
「漢字の起源と成り立ち 『甲骨文字の秘密』」のホームページに戻ります。

2012年11月25日日曜日

来年はの干支は「へび」:漢字「巳」の出生の秘密

 「子丑虎卯辰馬未申酉戌亥」は地支、干支・十二支は殷商時代すでに天干と相交えて日にちを表していた。安陽の殷墟の小さな村で発見された、甲骨文字が刻まれた「甲子年表」はほぼ中国で最も早くカレンダーが順序どおり並べられていたことが知られている。」ということは既に述べた2011年2月の「十二支の始まり」という稿で述べた。
 しかし、「上古の先民は何のためにこの漢字を作ったのだろう。漢字はまたどんな事実の拠り所に、こういう漢字を作るようになってきたのか?」という疑問はまだ残る。要は漢字「」の出生の秘密は何?
 ここで唐漢氏は以下のような仮説を提唱している。
 個体発生学と人類発生学の相似の一面が科学的に証明されている。殷商民族は商代の甲骨文字に刻まれている、干支年表の十二支が嬰児の生育時期に酷似している。人類が何かを生み出す時期、全てのものは何らかの目に見える現象を以てその拠り所とした。文字のその例外ではない。十二支を考え出した拠り所は、古代人はまさしく人間が胎児のときから、生まれ出ずる過程の中にそれを見たと考えられる。天干の中の10文字と十二支の中の12個の漢字は必ず彼らの現実の生活の反映であるはずだ。

唐漢氏自身はこれを仮説としては認めてはいないが、しかしこれが仮設ではなくなるためには、まだまだ多くの裏付けが必要であろう。 「漢字の起源と成り立ち 『甲骨文字の秘密』」のホームページに戻ります。

2012年11月12日月曜日

漢字の起源:来年の干支「巳」


来年の干支は「巳」年である。これは、蛇である。なぜ干支が、用いられるようになったのかはまだはっきりとしたことは分かっていない。

 わが唐漢氏は中国の古代の人々は、12支の人間の生命の誕生の過程を重ね合わせてみたのだろうと考えた。

 この見解は、未だ多くの支持を得られているわけではない。もちろん私も支持するしないという立場にはない。ただ唐漢氏がそう唱えるから、さもありなんと紹介するだけのことである。しかし今は仮説かもしれないが、彼の説は、説得力もあるし、また非常に面白いと思っている。



引用 「汉字密码」(唐汉,学林出版社)

  巳これは会意文字である。甲骨文字では二つの書き方がある。図の上からは両方の書き方とも、嬰児がネンネコの中にくるまっている姿のデッサンである。区別は嬰児の手肘が胎嚢の中にあるか否かだけである。

  将にこの字は、産育の第6段階(子、丑の順に6番目が巳)にあり、また生育の過程の最終の終結である。金文は甲骨文字を受け継ぎ、その手は外に動かした形である。但し金文中の「巳」の「子」の形が良く似ているので、両者混交され易い。だから小篆は甲骨の第一の書き方を受け継ぎ、「巳」という字を当てた。 楷書ではこの関係から形を整え、「巳」とした。

  巳の構造的な変化は甲骨文字、金文、小篆に及び、多くの文字学の学者を混乱させた。例えば許慎は説文の中で「巳」は「已」なりとし、四月に陰気が出るのをやめ陽気が、蔵にいるのをやめるが故に「巳」は蛇の象形文字と考えていたろうという。

  「巳」の本義はおくるみに包まれた嬰児である。仮借で地支の第6番目に来たが、巳干を用いて時を記す時、巳の時は即ち午前9時から11時までを示す。地支の「巳」と天干(甲乙丙丁戌己・・)の「己」とは形がよく似ていて、混同しやすい。しかしその形の来歴は巳は嬰児とは同じではない。上部口が閉じていれば、巳は頭を表し、上部の口が閉じていなければ荒縄のとぐろを巻いた状態を表す。

巳 へび 十二支の第6番目
已 止める、すでに あとで
己 おのれ、つちのと(天干の第6番)
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2011年2月10日木曜日

十二支の始まり

子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥は地支、十二文字は殷商時代すでに天干と相交えて日にちを表していた。
安陽殷墟の小さな村で発見された、甲骨文字が刻まれた「甲子年表」はほぼ中国で最も早くカレンダーが順序どおり並べられていたことが知られている。出土した商代の甲骨文は多数のすべて、干支で日にちが記され商代には、すでに干支で日にちを記す方法が行き渡っていた。しかし、地支「十二支」の形と意味は今日に至るまで、諸説紛々としており、いまだ共通認識にいたっていない。

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